原発事故被害者「相双の会」会報134号が届きましたので、転載します。

西村経産大臣は6月22日の全漁連との会談で「廃炉を進めるためにはALPS処理水の海洋放出は避けて通れない」と言いました。
本当でしょうか?

融け落ちた燃料デブリこそが廃炉の妨げ

脱原発福島県民会議など10団体が6月12日に行った交渉で東電が示した敷地利用計画は、 2030年までに 2号機燃料デブリの段階的取出しに係るメンテナンス施設・
保管施設と 1~6号機使用済燃料プールを空けるための乾式キャスク仮保管設備の建設、2030年代前半から共用プールで保管する使用済燃料の高台での乾式保管への移行です。

1~4号機使用済燃料の保管なら十分すぎる容量(共用プールと乾式キャスク仮保管設備の容量10 699体に対し、1・2号機使用済燃料を加えても9 507体の貯蔵で1 192体の余裕)がすでにあります。

ところが、事故を起こしていない5・6号機の使用済燃料2 830体の搬出・保管、さらに共用プール(容量6 734体)の乾式貯蔵化も必要だと、 不要不急の計画を持ち出して「敷地が足りない」と言うのです。

東電は、プール貯蔵より乾式貯蔵の方が低リスクだと言いますが、間違いです。
使用済燃料を プール貯蔵から乾式貯蔵へ移すには、5~10年以上プールで冷やし、人の発熱量(2~3 kW/tU )程度にまで崩壊熱を下げ、自然空冷可能な状態にする必要があります。

この状態ではプール貯蔵と乾式貯蔵にリスクの差はありません。
乾式キャスクの表面線量は強い中性子線やガンマ線のため10μ Sv/h (年換算88 mSv )程度と高く、コンクリート貯蔵施設で遮蔽しないと85m圏内(伊方原発の場合)を管理区域(3ヶ月当り1 3 mSv )に指定しなければならないほどです。
放射線を遮蔽できる共用プールのほうが、労働者被曝を減らせるし、東日本大震災に耐えた共用プールを急いで解体する必要など全くありません。
乾式キャスクの50年程度の寿命を百年以上へ延ばすには50
年以上プール冷却する方が良いのです 。

デブリ関連施設もデブリ取り出し作業そのものが止まっていて見通しが全く立ちません。
これをどう解決するのか、東電にできるのかが廃炉の進捗を制約していると言えるのではないでしょうか。

汚染水発生ゼロは可能、タンク余地あり

「発生し続ける汚染水でタンクが満杯になる」時期は、当初の2023年春頃から秋頃へ伸び、今では2024年2~6月頃になっています。
これは、汚染水発生量が減っているためです。
東電による2022年1~11月の建屋への地下水流入量評価は、1号機でゼロ、4号機もわずか1 m3/ 日です。
2・3号機で は12 m3/ 日と23 m3/ 日ですが、これらも早期にゼロにできます。

地下水は、その水位より下にある建屋貫通部から流入しているのですが、この水位は、建屋周辺のサブドレン汲上げ量で調整されています。
地下水の水位を下げすぎると建屋滞留水が貫通部から漏洩しますので、滞留水の水位より80 cm 高く保ちながらサブドレン水位を下げています。

1号機の建屋貫通部はすべて東京湾平均海面基準の標高でT P 2 0m以上と高いため、少雨期の地下水流入量はすでにゼロ、4号機でもサブドレン水位以下の貫通部は2箇所程度で隙間が狭い ためかほぼゼロです。
2・3号機でも、T P ..-2 0m以下に貫通部はなく、サブドレン水位をそこまで下げれば少雨期の地下水流入量をゼロにできます。

すでに、2023年3月末の原子炉建屋滞留水の水位は、2・3号機で共にT P ..-28m程度へ下がっており、80 cm の水位差を保ってサブドレン水位をT P ..-2 0mまで下げれば、貫通部からの地下水流入量をゼロにできます。
そうしないのは、1号機の水位T P ..-2 2m程度から 20cm の余裕しかなくなるからですが、1号機では今でも少雨期に地下水流入はなく、たとえ 水位が逆転しても貫通部がない以上、建屋滞留水が漏洩するおそれはありません。
それでも心配なら、1号機滞留水は水深約50 cm なので、4号機と同様に床面露出寸前にまで水位を下げれば水位差70 cm になり、安心でしょう。
床面に蓄積するα核種のダスト化も少量の残水で防げます。

あとは雨水対策です。雨水は屋根からの浸入、壁伝いの流下水や地表面からの地中浸透水の上部貫通部からの浸入によります。
屋根がないのは1号機だけで、それも2023年度末には屋根ができ、地表面にモルタルを吹き付けるフェーシングで降雨の地中浸透も防げます。
壁伝いの流下浸入も止水工事で防げます。
これらを数年でやりきれば、汚染水発生ゼロが実現します。
その間にタンクが必要なら、予備タンクやタンク増設余地が12万トン分(空き状態の予備タンクが2 5万トン、フランジタンク解体エリアに溶接タンク約9万トンが増設可能)あります。

いずれにせよ、ALPS処理水を海洋放出しなければならない理由など存在しないのです。

原発事故避難者訴訟(第4陣)4回口頭弁論期日意見陳述
避難準備区域解除から12年たっても多くの人は戻ってこない

令和5年6月14日
折原 久男

折原さんは、昭和23年、南相馬市原町区に生まれ、昭和42年に福島県警察官として採用され、相馬市や浪江町などに異動となり官舎で生活。
昭和52年に安子さんと結婚し2人の子どもに恵まれました。
平成13年頃に、南相馬市の実家の隣に新居をかまえました。

平成20年3月に警察官を定年退職し、原発事故時までは、飯館村にある場外馬券発売所で警備の仕事に従事していました。
震災後、居住制限区域に指定され場外馬券発売所は閉鎖となり解雇されました。
その後、就職活動をしましたが、年齢もあって採用してくれる会社は見つからず、1年以上たって南相馬市内の会社でアルバイトとして会計事務の仕事をしています。

> 避難者訴訟原告団の第4陣に加わり、 6 月 14 日の口頭弁論で以下のような訴えをされました。

避難生活について

平成23 年3月11日の東日本大震災のとき、私と妻は、南相馬市内のスポーツ用品店で買い物をしていました。
地震発生後、私たちはすぐに自宅に戻り、自宅にいた母の無事を確認し、その日は自宅で一晩過ごしました。
3月12日、私は、いつもどおり勤務先である飯館村の場外馬券発売所に行きましたが、午後3時36分、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋が水素爆発したため、上長の指示で直ちに自宅に戻ることになりました。
3月13日は場外馬券発売所が通常どおり営業することになったため、私は普段どおり仕事をし、仕事を終えると自宅に帰って過ごしていました。

ところが、3月16日、知人から、福島第一原子力発電所がまた水素爆発するかもしれないから避難した方が良いと言われ、私、妻、私の母は、長女夫婦が住む郡山市のアパートに避難することにしました。
3月17日の午前中に自宅を出発し、郡山市に向かいましたが、長女夫婦が住むアパートに着くと、すでにほかの親戚たちが避難してきており、空いている部屋がありませんでした。

そこで、私たちは、郡山市内にある旅館に避難することにしました。
旅館に着くと従業員から、放射性物質が衣服に付着していないか検査してからで ないと入れませんと言われたため、仕方なく私たちは郡山総合体育館で検査をしたうえで、ようやく旅館に宿泊することができました。

旅館の部屋は、隙間風がひどく、備え付けのエアコンだけでは部屋が十分に暖まらず、とても寒かったのを覚えています。
私たちは、そのような寒さに耐えられず、ほかの避難先を探していたところ、長女から連絡があり、二本松市にある鏡が池碧山亭という旅館が、1人1泊2500円で宿泊できるそうだと教えてくれました。

そこで、私たちは、3月24日に鏡が池碧山亭に避難しました。
そこでは寒さの心配もなく、よ うやく一息つくことができましたが、宿泊費が3人合わせて1日7500円かかったため、いつまでも旅館に泊まる生活を続けることはできないと感じていました。

そのような中、親戚から、南相馬市から避難した人の中に、すでに自宅に戻っている人がいると聞いたため、私たちも4月1日に自宅に戻り、現在に至ります。

地域とのつながりについて

私たちが住んでいた南相馬市原町区大木戸地区は、福島第一原子力発電所から半径20km圏外30km圏内の距離にあります。

原発事故直後の2011年3月15日には屋内避難指示が出され、それから約1か月経過した4月22日には、緊急時避難準備区域に指定されました。
そして、さらに5か月経過した9月30日には、その緊急時避難準備区域も解除になりました。

しかし、私たちが暮らしていた地域は、避難したまま戻ってこない住民が多くいます。
私の実感としては、震災前と比べると6割程度しか戻ってきていない印象で、特に若い世代はほとんど戻ってきていない印象です。

このように多くの住民が避難したまま戻ってこないことで、私たちの住む地域は、原発事故後、大きく変わってしましました。

地域で毎年開催されていた芋煮会、花見、ゲートボール大会などの行事は、多くの住民が戻ってこないことにより、行事そのものが消滅し、あるいは形骸化してしまいました。

原発事故前は、近所の方から野菜などのおすそ分けを受けたり、食事を共にしたり、葬式の手伝いをしあったりして交流を深めてきましたが、そのような人間関係も奪われてしまいました。
若い世代が多く戻ってこないことで、地域コミュニティの崩壊は将来にわたって続くことになると思います。

私たちの生活は、原発事故以前の姿に戻ることは二度とないのです。

私たちは、原発事故が起きるまでは、長年慣れ親しんだ地域の人々とのかかわりの中で、平穏な日常生活を送ってきました。
しかし、原発事故によって、そのような地域コミュニティは完全に変容させられてしまいました。

東京電力にはしっかりと責任を取ってもらいたいと考えています。

是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分) kokubunpisu@gmail.com

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