原発事故被害者「相双の会」会報98号が届きましたので、転載します。

はじめに

2020 年 3 月 12 日、避難者訴訟第 1 陣の控訴審で仙台高裁がくだした判決は、大いなる希望を与えるとともに、私たちのたたかいに問題提起をする内容でもあった。
ただ少なくとも、2011 年の事故発生以来の苦難に対し、9年にわたって私たちがたたかってきた甲斐はあったし、今後たたかいを続けることによって私たちの要求を実現することができるだけの橋頭堡を築くことはできた。
これは、私たちに得られた確信である。
そこで以下では、3/12 仙台高裁判決の内容や意義をとらえ、それを踏まえて私たちのたたかいが今後どのようにあるべきかについて述べる。

仙台高裁判決の積極面について

仙台高裁判決は多くの積極面を持つ判決であった。
まずあげられるのは、東電の悪質性を認定したことである。
津波による全電源喪失の予見可能性を認定し、被害者にとって、被告の対応の不十分さは「痛恨の極み」だとした点 は、画期的と言って良い。
第 1 審のいわき支部判決が、津波の予見可能性を否定するかの ような判断をしたことと対照的であった。

第 2 に、原告の受けた損害について、分析的に解明し、被害論を深化させた点である。
判決は、慰謝料項目を3種類(1避難を余儀なくされた慰謝料2避難生活の継続による慰謝料3故郷喪失・変容慰謝料)にわけて、認定した。
そして、故郷喪失がなにゆえ問題なのかについて、保護法益として「包括的生活利益としての平穏生活権を設定し、その内容として、「自然環境的条件」と「社会環境的 条件」や、自然環境との関わりや住民相互の緊密な人間関係に基づく「生活利益」を認定 した。
ゆえに、原告には「地域への強い帰属意識と安心感」があるから、「仮に帰還しても、 地域社会が大きく変容してしまったことによる被害が継続する。」との判断になったものである。
これも画期的であった。
ここでも、第 1 審のいわき支部判決が、この点の整理を何ら行わず、故郷喪失・変容慰謝料を独自に算定せず、結果損害額も極めて低額に抑えられていたことと対照的であった。

課題を残した点

他方で、仙台高裁判決に問題がなかったわけではない。
結論としての損害算定(認容額) が、必ずしも高額な水準に至らなかった点である。
また、故郷喪失慰謝料について、帰還困難区域で 600 万円、居住制限区域・解除準備区域を 100 万円、緊急時避難準備区域は 50 万円と認定したことは不均衡であり、一貫性を欠く。
結局、額の判断においては、原賠審による指針の内容を基本的に肯定して、これに「薄く上乗せ」する姿勢となったと言わざるを得ず、この点は残念極まりなかった。

今後のたたかいに向けて

さて、以上を踏まえて、私たちは今後いかにたたかうべきか。
私は以下のように考える。

(1)東電の対応について
まず出発点にすべきことは、この判決についての東電の対応について糾弾することである。
判決後、私たちは、不満はあっても仙台高裁判決は、考え方として基本的に受け入れ可能なものであると考え、東電に対し、仙台高裁判決を受け入れ、原告団に真摯に謝罪し、 判決に基づく賠償を行うことを求めた。
しかし東電は、原告団に対する謝罪を拒絶し、最高裁に対して上告を行った。
この、事故に対する全く無反省な態度、これをこのまま曖昧にすることは許されない。
私たちはこの点について、怒りをこめて徹底的に告発することがまず必要である。

(2)最高裁闘争を主軸にしたたたかいを
そして、私たちは、最高裁闘争を主軸にしたたたかいを構築する必要がある。
最高裁は本来、すでに高裁までに認定された事実を前提に憲法違反があるかという観点からの審理を行う機関なので、本件のような事案で、東電の上告が受け入れられるはずがないというのが私たち法律家の常識である。
しかし見ておかなければならないのは、最高裁が極めて政治的に動く機関だということである。
私に忘れられないのは、2009年 に派遣労働者の派遣先での労働契約の確認を認めることを求めた裁判で、最高裁が派遣労働者の要求を認めた大阪高裁判決を覆し、派遣労働者の要求を退ける判決を下した事例である。
この最高裁判決は、2008年から09年にかけて大量に生み出されたリーマンショックによる「派遣切り」に対して、派遣労働者が一斉に提訴する運動を巻き起こしたことに対し、これを裁判所がことごとく返り討ちにするためのお墨付きを与える役割を果た した。
これと並行的に考えれば、仙台高裁判決の進んだ部分を覆して原発被害救済の訴訟や運動を封じ込める役割を最高裁が果たすことは 十分に考えられる。
仙台高裁判決後、「小高に生きる」(南相馬市小高区の被害者)訴訟の東京高裁判決が原告の損害額を減額する不当判決を行い、これが上告されていることにも照らせば、なおさらである。

避難者訴訟第1陣原告団の一部は、付帯上告をした。
最高裁への要請行動も含めて、東電の上告を許さないというたたかいを強めることが今後の私たちのたたかいの主軸として位置づけられるべきであろう。

(3)要求実現の世論を広く強めよう
そして、私たちの要求実現の取り組みを広く世間に訴える取り組みを行うことである。
避難者訴訟第1陣原告団は、仙台高裁判決後、東電に対し、「被害者らに健康管理と医療 支援」「ふるさとの生活環境、ふるさと回復への尽力」「被害者に対する社会的差別の克服の努力」を国とともに果たすことを求めた。
この点については東電は協議の継続を約束している。
私たちは、この要求を具体化し、その切実な必要性を広く伝えるべきである。
それなしには、最高裁闘争が、「なんだ金がまだ欲 しいということか」という世間一般の誤解を 生み出しかねない。
この点での政党や国会への要請や、メディ アやSNSでの私たちの実態や要求を伝える活動が、広く求められているところであろう。
以上

原発事故から10年目、除染もしなくなるのか
南相馬市(富良野市に避難)中里範忠

原発事故から 9 年 3 か月、新型コロナウィルスが全世界に猛威をふるって、やや下火に 向かい始めた(と思われる)時点でこれを書いています。
私が避難している富良野市では、倉本聰氏を中心とする演劇集団富良野グループの公演 (「屋根」)も春風亭昇太の落語も中止になっていまいました。
中国からの観光客が大半を占める富良野市ですが、ラベンダーの最盛期を前にインバウンドは完全にストップし、ホ テルもペンションもバスもタクシーも乗馬トレッキングの馬もみんな手持ち無沙汰です。

山手線の内側の 5.2 倍が除染されぬまま

ところで、6 月 3 日付朝日新聞電子版は、『未除染でも解除へ』『国の責務に例外』の見出し で『東京電力福島第一原発事故の避難指示区域について、政府は除染していない地域でも 避難指示を解除できるようにする方向で最終調整に入った』と報じた。
翌 6 月 4 日には NHK も同一内容を伝えた。

「放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し避難を求めている区域」すなわち帰還困難区域は南相馬市、飯舘村、葛尾村、浪江町、 双葉町、大熊町、富岡町にまたがっており、 その中のごく一部である特定復興再生拠点区域以外は一坪も除染されないまま放置されてきた。
その面積は山手線の内側の 5.2 倍。
私の生家と累代の墓は、その帰還困難区域の真ん中、イチエフの西 5 キロ地点にあります。
いつになったら除染してくれるのかと心待ちにしていたのですが、どうやら除染をしないで終わりにするらしい。

中里さんが避難する北海道富良野の風景

居住できないのに避難指示を解除?!
ここで、思い出すのは事故後間もない頃、 獨協医科大学の木村真三さん(放射線衛生学・ 准教授)が、双葉町について、除染をしなければ 160 年間は人が住めないだろうと語っていたこと。
私は 160 年という長さを実感したくて歴史年表を広げて遡ってみました。
西暦 1851 年、江戸時代末期の嘉永 4 年で井伊直弼 が暗殺された桜田門外の変の 9 年前、ペリー の黒船来航の 2 年前になる。

時代は元号で言えば、令和、平成、昭和、 大正、明治、慶応、元治、文久、万延、安政、 嘉永とさかのぼることになる。

除染しないということは、放射能が自然減衰するまで 160 年間は住むなということ。
比較的人口密度の高いところの除染は終った、 後はあきらめてくれと言わんばかり。
報道に よると、飯舘村が、村の分断を避けるために 未除染区域の解除を要望したことに応えたものだという。
行政担当者の意向はそうかもしれないが、その地に住んでいた住民の気持ちはくみ取っているのだろうか。
政府はこれを 口実に、居住しないことを条件に帰還困難区域の避難指示を解除したいのだと思う。
棄民政策そのものだ。

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