原発事故被害者「相双の会」会報86号が届きましたので、転載します。

人の絆の強い羨ましい津島だった
津島地区は浪江町と言っても伊達郡に近く山間部集落で、世帯数450、人口 1,400人の集落です。
かつては津島村でしたが 1956年に浪江町 と合併しました。
浪江請戸漁港へ流れ込む請戸川の上流でヤマメ、イワナの宝庫でもあります。
また下流には大柿ダムがあり、南相馬小高区、 浪江町、双葉町の田園に注ぐ水源です。
春には 山菜に新緑、秋にはキノコに紅葉と自然の豊かな地域です。
私は福島市などに行くときは遠回りであるが自然を楽しむために津島を通る事が多くありました。
集落の中に国分商店という食品店がありました。
そこの羊羹が美味しく買ってきたものです。
私の親類でもないのですがなんとなく親しみを感じていました。

そんな平和な集落に 2011年3月 11日から浪江町内の方々がどんどん押し寄せてきて体育館などが満杯になり、また親類の方が家族で押し寄せてきました。
乳飲み子や妊婦も一緒。
津島は人情深い方ばかりですから食事、風呂と家族のようにお世話をする。
そんな日が数日間過ぎたときに津島地域は放射線量が最も高い事が分かり避難の移動でバラバラになり避難場所を数カ所変えながらの生活がはじまり8年が過ぎてしまいました。
津島地区は帰還困難区域となり入る事ができませんので全世帯廃屋状態になっています。

 

半数以上の住民が裁判に起つ
時間が過ぎれば過ぎるほど展望が見えないために病気になる人、亡くなってしまう人がありますがそれでもふる里が懐かしく帰りたいが帰れない日々を送っています。

そこで黙っていては駄目だとなり裁判に立ち上がり原告680人、239世帯で福島地方裁判所郡山支部へ提訴しました。
津島裁判にはじめて 参加しましたが団結の結集に圧倒されました。
津島は何でも助け合ってきた人間性なのかなと 羨ましくもあり素晴らしく感じてきました。

私たちには津島のような地域、人間つくりが大事であることを痛感しました。
人の命と健康を第一に考えなければならないにも拘わらず国民の血の滲むような税金で人を殺す道具である戦闘機を147機も爆買いする政権に怒りを感じます。
2020年のオリンピックの時、 原発事故は完全に収束したと宣言したい意図がありありと見えます。
国は、原発事故で全てを奪われ元には戻らない避難者の苦悩が分かっているのでしょうか、原発には犠牲者が出るのは当たり前と思っているのでしょうか。
避難者の苦悩にもっと寄り添い良い方向へもって行くのが国の責任であり、加害者東電は被害者の生涯に責任を持つことは常識であり当たり前のことです。
國分富夫

 

1.除染を条件とした汚染土壌の再利用は、民主国家の行うことではない。
私は、1993年から飯舘村の村民と行政が協働した環境共生型の村づくりを支援・アドバイスをしてきた。
…中略…地元の方言の「までい」(じっくりゆっくり、ていねいを意味し、震災後は飯舘村の主要な復興事業名として活用されている言葉)を総合計画のキャッチコピーとして採用することを提案し、
2011年 3月までは順調に環境共生型の村づくりが取り組まれ、日本でも有数の優れた村になりつつあった。

しかし、原発事故でその継続が途切れてしまい、村人とともに非常に落胆した。
発災直後から飯舘村役場へ研究室の研究員の派遣や今中京大助教(当時)との協力により、放射能汚染調査を行い、その後、継続的な農林地・宅地・住宅内の放射能汚染調査、村民意識調査、村民達とのワークショップ実施、村民と協働して試験栽培実験を行ってきている。
発災後に厳しい汚染状況を現地調査により認識し、早期の帰還政策を優先するのではなく、「村外への分村建設」、「村民の二地域居住」、「二重住民票の獲得」等の政策提案を村当局等にしてきた。
帰還困難区域に長泥地区が指定され、他の地区は除染され長泥地区のみが除染されずにいたことに長泥住民の苦闘があった。
飯舘村当局、環境省、長泥行政区は、村の作成した「飯舘村特定復興再生拠点区域復興再生計画」に合意し、除染土壌再利用事業が進められている。
長泥住民は苦渋の選への汚染土壌の再利用事業が国主導で実施されることは、民主的国家としては決して許されない。

 

2.水田を核の最終処分場にすべきではない。農民・農地への侮辱である。
長泥で公共事業の土地改良事業によりも汚染土壌を利用した農地造成(盛土)事業がされる。
農地(水田)は民有地であり、造成前より多くの放射性物質を含む農地に対して、村民は利用管理を強いられる。
長泥の農地に表層 5cm に残存している放射性セシウム(Cs)を 20000Bq/kg とし、それを削り取り地区外に搬出した後に、村内の汚染土壌、仮に 2000Bq/kg を 100cm の厚さで、34ha の水田に埋めたとすると、約5千億BqのCsの追加汚染となる。
50cmの客土をして、空間線量率が低下したとしても、民有地の農地が汚染土壌(本来は中間貯蔵に行くべき汚染物) の永久の捨て場となる。
放射能汚染地(中間貯蔵地)の上で農業をすることが強いられる。
健全な農地での健康な農産物を作るという、長泥の農民達が苦労して行ってきた農業そのものが永続的に侮辱される。
農民と農地への侮辱となる公共事業は認めら

れない。村が対応するとしても長期的な管理の補償は不明確で、高度汚染農地が放置されたままとなる恐れがある。
さらに農地の有機物を多く含む軟弱な表土を農地基盤材として再利用する前例のない農地造成であり、山砂等で調整したとしても、不同沈下の危険もあり長い間には土壌崩壊、流出の心配もある。
更に、埋め立て農地の南側は南相馬市を流れ太平洋に流入する新田川の上流である。
埋め立てに使用された放射能汚染土壌の河川への流失を防ぐための長期的管理が不可欠となる。
放射能汚染土壌の捨て場を河川上流部に設置するという、長期的な危険が伴う公共事業が実施されることは許されない。

3.長泥の実証試験は広く公開し、多元的な研究者・市民による監視と評価を要望する。
実証事業が進められ、村内の汚染除去土壌が運ばれ、5000Bq/kg 以下であろう土壌が選別され、山砂を混合して調整土壌とする実証試験が実施されている。
調整土壌の前段階での土壌中の Cs 量、調整後の土壌の Cs 量の正確な値の開示を長泥住民も希望している。
環境省、飯舘村当局の関係者以外の第三者の研究者・市民による監視と評価ができるように要望する。
さらに実証実験では再利用土壌でのエネルギー作物栽培実験により、作物への Cs 移行率の測定が計画されている。
この種の実証実験は、既に数年前から私自信が飯舘村内で実施しており、汚染土壌の粘土層の吸着率が高く、エネルギー作物への Cs 移行率は極端に低いことは実証されている。
長泥の栽培試験は Cs 移行問題無しという結果ありきで、土壌再利用促進のためのアリバイ的事業である。

4.汚染森林土壌を放置したままの中間貯蔵・最終処分方策は早急に見直すべきである。
飯舘村は75%が森林でありCs汚染されている。
宅地周囲 20m の森林は落ち葉のみ除染で、除染後は宅地の空間線量率は低くなるが周囲の山は高いままで汚染ホットゾーンのままである。
森林土壌表層は 5000Bq/kg 以上の汚染が継続している。
仮に表層 5cm を除去すると推定約 866 万袋となり、浜通りの除染土壌量に相当する。
宅地や農地の除染土壌は中間貯蔵に搬入される。
同程度以上の汚染の森林土壌 866 万袋も中間貯蔵に行くべきである。
しかし、森林汚染土壌に一切触れない「放射性物質汚染対処特措法」には大きな欠陥があり、除染対応による原発事故対応策は矛盾したままである。
汚染森林は放置され(Cs 捨場)、その麓が避難解除される状況は、原発事故の緊急事態は継続していることを示しており、よりきめ細かい土地利用規制等の対策が必要である。

 

図 飯舘村の土地利用状況 森林が 75%である。

 

嘘による誘導
経団連の標記提言は嘘ばかりである。
第一に、「再生可能エネルギー(自然エ ネルギー)の拡大」が「危機」に陥っているのは経団連の諸君の責任である。
福島事故後に喧伝された「発送電の分離」を実行しなかったばかりか、全国で発送電を独占的に支配したまま、基幹送電網は原発と火力に優先使用させ、あるいは原発稼働用に空けてあり、せっかく成長し始めた風力や太陽光の買取りを制限しているのだから。
不安定な自然エネルギーをサポートする必要があるなどとするが、原発こそ電 力供給をいかに不安定にするかは福島で明らかだ。
普段でも原発は負荷を変動させると事故発生の確率が大きくなる。
そのため一定負荷で稼働させねばならないが、それには逆に火力や水力等でサポートする以外にない。
ブラックアウト(大規模停電)を防げるのも、分散した自然エネルギーだ。
日本の風力発電ポテンシャル(潜在能力) は洋上を中心に20億kWもある。
この活用による脱原発こそ必要である。

 

原発輸出はなぜ失敗
第二に、「安全性が確認された原子力発電所」などというものは存在しない。
原子力規制委員会という名の原子力推進委員会が、「新基準」でことごとくの原発を「安全」と認定しているが、福島事故原発に比べて危険性をほんの少し小さくしただけであって、決して「安全性が確認された」ものではない。
国際的にはまっ たく通用しない「安全性」にすぎない。
中西会長がイギリスへの原発輸出に失敗し、独占資本と安倍政権の「成長戦略の柱」だったはずの原発の輸出計画が総崩れしたのは、福島事故後に少しばかり改善した原発の建設費が相当に高くつくからであった。
また洋上風力などの建設 が急速に進み、その発電コストの方がはるかに優位に立ったからである。

安全性は確保できるか
第三に、「原子力発電については、地球温暖化対策の観点からも安全性確保と国民理解を大前提に、既設発電所の再稼働やリプレース・新増設を真剣に推進することが不可欠である。」などといかに強調しても、巨大地震が予想されている日本で、「安全性確保」ができるわけもないし、「国民理解」が進むわけもない。
(以下続く) 原 野人

>>PDFはこちらから