原発事故被害者「相双の会」会報85号が届きましたので、転載します。

5 月 13 日に超党派の国会議員による 除染土再利用にかかわる各界からの意見聴取会が、衆院会館で開催された。
以下は、飯舘村長泥で進められる除染土の再利用計画に関する意見です。

私は原発事故直後より飯舘村を中心に定期的に放射能汚染調査を行っている。
除染に伴って仮仮置き場に大量に積み上がっていくフレコンバッグについては、いずれ中間貯蔵施設に運び込まれると聞いていた。
ところが、昨年初め「再利用」という名の下に、長泥地区の田畑の盛土材として用いる計画を知り驚いた。
そもそも福島第 1 原発事故による周辺地域の汚染物は、原子炉等規制法に基づく「核燃料によって汚染された物」に該当し、その処理・処分については、汚染発生者である東京電力に責任がある。
汚染の規模が広大・甚大であるため、政府が関与せざるを得ないのは理解できるが、除去土壌を田畑に埋め込んでしまうのは当初の約束違反である。
フレコンバッグは、福島第 2 原発も含め、まず東電が所有する敷地内にて処分すべきであり、それがかなわなければ中間貯蔵施設で保管すべきものである。

中間貯蔵施設ができたとき、「30 年以内に福島県外で最終処分を完了する」と定められていることを知り、私は仰天した。
福島県外の最終処分地が 30 年で見つかるとは思えない。
また「40 年で廃炉」というロードマップも「うまくすれば 40 年でデブリを取り出せる」という希望的なものであり、仮にデブリが取り出せたとしても、壊れた原発が更地になっているようなことはあり得ない。
福島第 1 原発、第 2 原発、その他東電所有地を最終処分場とし、廃炉問題、汚染水問題を合わせて、100 年、200 年先を見込んだ総合的なロードマップが必要である。

 

5.20 避難者訴訟・仙台高裁でのMさんの訴え

Qは原告側弁護士の尋問

母は平成 29年8月7日に肺癌で亡くなる 1 週間前に『原発事故で放射能を浴びたの が原因かね』と言っていた。
私は「そんな 事ないよ」と言いました。

Q それは何か根拠があったのですか。
A 何の根拠もありません。
事故後の避難者にとって、放射能というのは背中に貼り付いたように恐ろしい言葉なのです。
だから、そんな恐ろしいものが母に貼り付いたとは、私自身も思いたくなかった。
しかし 医学的には分かりませんが、肺がんは原発事故が原因かなという気持ちは拭え切れません。

安全神話にだまされた

Q 御両親は浪江に帰るつもりでしたか。
A 特に父は浪江への帰還を望んでいました。
壊れていく家、荒れていく庭などを見るのがつらいと言って一時帰宅はしませんでした。
墓参り、必要な荷物を取りに行く時だけでした。
母の癌の発症により、両親は浪江の帰還をあきらめました。
父は殆ど歩く意欲がない状況です。
今では話しかけても反応が極めて鈍いです。
母を亡くして がっくりきたと思います。

Q 御両親とも放射能汚染をおそれたという事ですか。
A 両親も私と同じように、国・東電の宣 伝等で原発は放射能漏れなど起こさないと信じ込んでいました。
これが嘘だと分かって、何も信じられなくなりました。
除染したから帰還しても安全だとか、廃炉作業は安全にやるから大丈夫だ、とか言われても信じられない。

Q あなたは福島第一原発を見学したことがありますか。
A 福島第一原発の近くの展望台は見晴らしがよく花もきれいで、よく子供をつれて 行ってました。
私の高校卒業後の就職先は 第一原発の敷地内原発関連職場でした。

Q 両親は原発で働く事を心配しなかったですか。
A 心配は全くしませんでした。
主人も第 一原発内の職場でした。
結婚について両親も危険な仕事をする人という心配はせず、 いい人を見つけた、原発の人ならマチガイない。
原発の職場はなくならないと喜んでました。

Q 妹さんは関東方面に嫁がれましたが、 原発の事について話をしたことはありますか。
A はい。両親宅に来た時に、妹の夫が「こ んなに原発に近い所に居て恐くないですか」 と聞いていました。
後で両親と私は「遠くに居て原発の事を知らない人にとっては原発は恐いものなんだ」と話しました。
2000 年には東電の「原子力モニター」をしました。
東電が、大熊町と双葉町の女性を 20 人くらい集めて原発関連の施設を見学したり、原発の仕組みや安全性について勉強しました。
2か月に一回施設にいく。
六ケ所 村再処理工場と、浅草の東電関連施設にも いった。
参加費用は一切かからず日当 5000 円がもらえる。
昼食に豪華なお重のようなお弁当が出た。
やっぱり原発は絶対安全な のだと思いました。

Q そうしたイメージを周りの人に話したことはありますか。
A お茶のみの時などによくモニターの話をしていたので、私の原発への信頼感が周囲や家族にも伝わっていたと思う。

安全神話の崩壊

Q 原発に対して強い信頼感を持っていた あなたは、事故が起きたときどう思いましたか。
A 3 月 12 日朝 6 時 30 分に町の防災無線が放送で「原発事故なので山へ避難して」 と言ったときも、訓練としか思わなかった。
13 日、14 日位までは原発だけは大丈夫だろうと思い込んでいた。
それが爆発したのをテレビでみて信頼が一気に崩壊しました。
全部嘘だったのだと思い何も信じられなくなった。
漏れるはずがないといわれた放射能が放出されたとわかり、強烈に怖くなりました。

Q 恐怖が原因でいまだに気を付けていることはありますか。
A いまだに車のガソリンの量を半分以下にするのが怖い。
ガソリンが無くなって、放射能から逃れられなくなる恐怖を震災の時に味わったから。

子どもたちについて

Q ご長男が 2011 年春に東京電力に就職したが、7 月に福島第一原発への転勤を命 じられ、会社を辞めざるを得なかったので すね。
A 第一希望の就職先だった。
正社員で春に入社して火力発電所に配属されたが、4 か月で事故があり人手が足りないため福島第一に行ってくれと言われた。
転勤は断れなかった。
私は反対しました。
まだ 18 歳でした。
第一原発は線量がとても高く、若者にどんな悪影響が出るかわからない現場で作業をさせることは考えられなかった。
いくら安全性に配慮しているといわれても、国や東電のいう「安全」は全然信用できません。
亡くなった母は、他所でアルバイトになったとしても福島第一には行かせないでと言っていました。

Q ご長男はどういう反応でしたか。
A せっかく第一希望に正社員として採用 されたので、最初は「なんで俺がやめなきゃいけないんだ」と言っていたが結局説得に応じました。
長男自身も放射能に対する恐怖を持っていたのだと思う。
すぐに他の仕事を見つけたが、最初の会社は倒産してしまった。
今は建設会社で契約社員の仕事をしています。

Q 長女のHさんについては?
A 母が「Hが結婚する時に、『大熊に居た人だ』などといわれなければいいね」と話していました。
母の友人の縁談が「親が長崎の被爆者だ」という理由で破談になった事があったそうです。
「大熊に居た」という事で破談になるような事はさせたくない、 と言っていました。

Q 娘さんを大熊に連れて行った時、第一声は何でした。
A 大熊の自宅で車を降りた時の第一声が 「ここで息していいの?」でした。

Q あなたとお母さんの状況を一言でいうとどうなりますか。
A 「みじめ」。
祖母が昔からよく「なんでも自分がちゃんとしてれば、ちゃんとなるから大丈夫」と言っており、私もそれを信じて、生きてきたが、今回の事故で、いくら自分がちゃんとしてもどうにもならない ことがあるのだと思い知らされた。
「みじめ」 という言葉が、生涯ではじめて我がこととして感じさせられました。
母も、「家があるのに家に住めない。
全部なくなってしまった。
孫に怖い思いをさせてしまった・・・戦争中でもないのにね。
みじめだね」と言っていました。

 

経団連の『日本を支える電力システムを再構築する』批判(上)

経団連は提言『日本を支える電力システムを再構築する』をとりまとめ、中西宏明会長が記者会見した。

会長は「電力を巡る危機感が政府・経済界・学術界をはじめ、広く国民にも共有され、電力の全体像について国民的議論が展開していくことへの期待」を強く訴えた。
「現在、日本の電力は4つの危機に直面している。
国際的に地球温暖化問題への関心が高まるなか、東日本大震災以降、
1火力発電依存度は8割を超え、その打開策となる
2再生可能エネルギーの拡大も、
3安全性が確認された原子力発電所の再稼働も、困難な状況。
結果として…
4国際的に遜色ない電気料金水準も実現できていない。
一方で、電気事業者は投資回収の見通しを立てにくくなり、電力インフラへの投資を抑制している。
こうした危機を放置すれば、化石燃料依存から脱却できないばかりか、電力供給の質の低下や電気料金の高騰につながりかねず、地球温暖化対策や産業競争力強化に逆行する。
Society5.0(情報化社会に続く未来社会の姿 )実現の重要な基盤である電力に対して投資を活性化すべく、環境整備を進める必要がある。」

「原子力発電については、地球温暖化対策の観点からも安全性確保と国民理解を大前提に、既設発電所の再稼働やリプレース(取り替え入れ替える)・新増設を真剣に推進することが不可欠である。」

さらに会長は記者会見の中で「化石燃料が永遠に使い続けられるものでないことは明らかであり、再生可能エネルギーや原子力など、化石燃料以外のエネルギーの選択肢を確保することが重要」と強調。
「原子力については、政府、電力会社、設備メーカーなど関係者が一体となって、社会的信頼を醸成していく必要がある」とした。
「また、日本の電力が直面している課題を放置すれば、昨年9月の北海道でのブラックアウト(大規模停電)のような事態が全国で起こる可能性も排除できないとしたうえで、あれほどの事象を経験したなかでも電力に対する危機感が日本全体で共有されていないことに懸念を表明。
広く危機感の共有を図り、解決に向けた議論を行っていきたい」とした。(以下続く)
原 野人

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