原発事故被害者「相双の会」会報84号が届きましたので、転載します。

時が経つほどに深刻になる被害 司法は早く救済を!
4月 19 日に、仙台高裁で2審の原告尋問がおこなわれました。
3年前の1審(福島地裁 いわき支部)の証言とくらべて、人の心身への事故のもたらす被害は一層深刻になっていることがわかります。
「復興・帰還」の掛け声と「補償打ち切り」の中で、人間の復興はまったく進んでいません。
司法は一刻も早く東電の責任を認め正当な救済を命ずべきです。
以下2人の原告の尋問の要旨です(Qは原告側弁護士の尋問)。

Sさん(浪江から埼玉岩槻に避難)

避難先での差別
Q 約3年前の一審の尋問の時、住居はいわき市にあり、夫の秀夫さんがさいたま市岩槻区 に新居を購入して転居予定だと答えていますね。
岩槻には転居したのですか

A その年の12月ころに引っ越しをして、2017年の1月ころから本格的に居住をした。
今でも、浜通り地域の近くに居たいという気持ちが強くて、なかなか、岩槻の家にはなじめていません

Q 岩槻に移ってからの差別的言動について、スポーツジムで他の会員から何と言われたんですか
A 「福島の方はお金をもらって生活できていいね。で、こんなスポーツジムに来てる。 (自分たちは年金使ってまで通ってるのに、というようなニュアンス)」と。
新居に入居するにあたって、鍵の引き渡しの時、不動産業者からも「放射能が移るって言って悪かったな」と言われました。
私たちを下に見て小ばかにしてるような感じ。

Q 自宅の工事を行った業者からも何か言われましたか。
A 私が工事を指示したことはないのだが、「福島の人はわがままだな」と言われ、ポカンとしてしまった。

Q そういう話を聞いてどのような思いになりますか
A いまだにこういう差別があるんだな、ということを感じて、悲しかった。
涙がドバっと出た。
上記3つのうちでは、「わがままだな」と言われたのが一番こたえた。
なぜ福島と言う言葉がでるのか分からなかったから。
別に福島人だと言ってるわけでも、服に書いてあるわけでもないのに…

Q 放射能への不安について、野菜の産地などは、今でも気にされているのですか
A 福島、千葉、茨城、栃木、埼玉、群馬の野菜は買いたいとは思いません。
スーパーでいつも産地を気にして買い物をしています。
福島の果物が本当に好きでした。
きゅうりにしてもトマトにしても福島産が好きでした。

Q 除染も進んでいると思いますが、それでも、福島近隣の野菜や、近海の魚は気になるものでしょうか
A 土壌に放射能が降りそそいだし海に駄々洩れだから。
多くの放射性物質を飛散させて、広範囲を汚染させた。
そんなに簡単に除染できるとは思えない。
国や県などの行政が安全だと言ってることについては、信用できない。
基準値の設定が正しいのか、検査結果自体が正しいのか。
非常に疑わしい。

Q 行政を信用できないと考える理由は、何かありますか
A 行政は嘘ばかり言っている。
帰還政策に持っていこうとしているのが目に見えている。
放射能あるのに帰れって言うのも嘘。
実際多くの人が帰ってない。
それで、野菜等が「安心だ安全だ」と言われても信用できない。

Q なぜ、避難者は皆放射能に恐怖を持っているのでしょうか
A 2011 年3月 12 日の爆発したときに、なんで今ここにいられるの?という壮絶な恐怖を感じた。
避難で津島にいたとき、消防隊の人が「爆発した」と言っていた。
爆発ってなに?もしかしたら1Fのこと?
ここから何キロ??と考えて怖かった。
セシウム?ストロンチウム?とか、よくわからないけれど、色々な言葉が頭の中を駆け巡った。
それで、 自衛隊がフル装備で装甲車に乗ってきてびっくり。
これはまずい、もう逃げるしかない、と思った。
原発の近くに住んでいる方は、そのように、本当に怖い思いをした。
そのような恐怖は、忘れられないと思います。

Q 原発事故から8年たって、平穏な生活は送れていますか。
A 時間が経っても平穏な生活には戻れない。
どうしても浪江に戻りたいと思う。
こんなにも浪江が好きだということは、失って初めてきがついた。
時間がたつと逆につらい。
自由に出入りできるようになったからこそ、戻れないことにもどかしさを感じる。

Q 請戸の昔の友人などに会うかと思うのですが、その時は、どういう話をしますか
A 「帰れないね」というのがまず最初。元請戸の友人と墓参のときにあう。
「お墓に入って遊びましょうね。死んでからじゃないと浪江に帰れないね」と話をする。
最初は冗談かとおもったが、現実だった。早く死んだら帰れるのかな、とか思ってしまう。
むなしい。

Q 今回の原発事故で、最も悔しいと感じるものは何ですか
A 地震津波だけではなく、原発事故が起こったからこそこうなった。
何ら私たちは悪いことしてない。
東電さんが起こした事故で全て奪われた。
事故の責任をいまだ果たしてくれてない。
でも、私たちは沢山失っている。
それに比べたら、東電さんは何も失ってないんでしょうね。
悠々自適で生活してますよね。
責任をしっかりはたしていただきたい。

Q 最後に一審判決(昨年の福島地裁いわき支部)に対して何か言いたいことは
A 農漁業の方はこの間さらに過酷な避難生活を送っている。
これからの復興を願っている方もたくさんいると思う。
でも、いまだ復興できてないこの現状をわかってほしい。
わかってくれてなかったから、いわきの裁判官は、あれだけのことがあっても、あれだけ皆が訴えても、わかってくれなかったのだと思う。
だから仙台の裁判官にはどうか私たちの苦しみを理解していただき、判決に活かしてほしい。

Wさん(富岡から郡山に避難)
富岡には殆ど帰還せず

Q 避難前の住所である富岡町岩井戸の事故前の 64 世帯のうち、戻った世帯は?
A 4~5軒と聞いています。

Q 戻った世帯の年齢層は?
A 50 代、60 代、70 代。
一番多い世代は 70代。子どもはいない。
週末だけ戻ったり、いわき市の居宅と行ったり来たりの世帯があります。
完全帰還の人は2軒だけ。今後戻ったとしても2、3軒と思う。
富岡町全体でも岩井戸と同じように高齢者ばかりだと思います。
新しい建物(アパート)が建っているが、作業員用のアパートと聞いている

Q 作業員が新住民として富岡に住みつく可能性は?
A 考えにくい。アパートにいる人は単身者ばかり。
仕事が無くなったら、いずれ去っていくはず。

Q 避難先の郡山で「どこから来たの?」と聞かれたらどうしますか?
A 答えざるを得ない状況なら答えるが、なるべく話題をそらす。
避難者の中で、いい話を聞かないから

Q どんな話?
A 子どものいじめ、賠償金のこと。

Q 中学生の息子さんは学校で富岡出身と言ってますか?
A 「新潟から来た」と言っていると思う
父は3年前に心配した通りに

Q ご家族の状況は?
A 父親の脳梗塞は 2018 年7月に発症。
2017年1月には発作性心房細動。
現在はベッドで寝ていることが多い。
避難生活の前は病気知らずだった。

Q 医師は何と言っている?
A ストレス、筋力低下が原因と。

Q 3年前の第1審(いわき)で、お父さんに「富岡に帰る意思はありますか?」と質問したところ、「それは、自分の人生をかけてきたところですので帰ります。」とはっきり答えていました。
現在、お父さんはどのように言っていますか?

A 病気のこともあり、帰ることは諦めている。
体力がないので、自分の意思ではどうにもならない。

Q お父さんは「もう、味噌屋は無理だ。俺の人生は何もない。終わったんだ」と言っています。
そんな父を見て、娘としてどう思いますか?

A さみしい、つらい。だけど、認めてあげなければならない(もっと頑張れとは言えない)。

Q お父さんの1審の尋問調書には「69 歳というのは微妙で、あと 10 年はやろうと思いますけど」とあった。
このときは、体力的に、店を再開することは出来る状態だった?

A はい。

Q また、お父さんは「仮に今のあなたから店再開の計画を取り上げられたとなったならば、あなたはどうなりますか?」との質問に対して、「全ての希望、意欲を失うことになります。抜け殻です。」と答えていましたが?
A 正に、そのとおりになってしまった。言いにくいですが・・・。
母は一人でももどるつもり

Q お母さんは現在、富岡の自宅へ頻繁に戻っている?
A 毎週のように。暇さえあれば戻って、倉庫の清掃、畑や庭の除草をしている。

Q 「自宅敷地内に車を停めて、車の中で泊ってくることもあります。」とありますが、どうやって寝ていますか?
A 後部座席に布団を敷いて寝ているらしい。

Q 誰もいない岩井戸で寝ていて、「さみしい」と言わない?
A 「全然寂しくない」「むしろ落ち着く」と言っている。

Q お母さん、一人でも帰るつもり?
A 家が出来れば、一人でも帰って住むつもり。

家族で話し合えない辛さ

Q あなたは「帰還の問題について、家族で集まってじっくりと意見交換をしたことはありません」と言われます。
あなたは、娘という立場では、お母さんが帰るのを応援したい、お父さんも出来ることなら帰してあげたい。
一方、母親という立場では、子どもを置いて帰るわけにはいかない。
あなた自身の立場では、「行きつく先は富岡」。
あなた自身の中に、3つの立場があって、矛盾する気持ち、葛藤する気持ちが存在している?

A はい

Q 矛盾する気持ち、葛藤する気持ちを抱いているのは、お父さんも、お母さんもKさんも、S君も、同じ?
A はい。みんな自分の考えと家族の考えが違うので悩んでいると思う。

Q そんな中で、「帰還の問題について、家族で集まってじっくりと意見交換」すると、どうなってしまうのか?
A 話し合うと、誰かが妥協しなければならない。

Q 妥協すると、どうなるの?
A 家族の関係が壊れてしまうかもしれない。それは怖い。

Q 壊れないように、ギリギリの関係性の中で生活しているということ?
A はい。家族でじっくり話し合うことができないのは、他の避難者も同じ。
だから離婚が多い。
事故前に息子夫婦と一緒に住んでいたけど、今はバラバラの人もいる。

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◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

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