原発事故被害者「相双の会」会報80号が届きましたので、転載します。

今年は 3・11 から8年。
未だに原子力緊急宣言が出されたままで、収束には程遠いのが現状です。
昨年秋には一昨年に続き、国連人権理事会が政府の帰還事業に苦言を呈し、暮れには小児甲状腺がん患者が272人にも及ぶことが明らかとなり、 また、汚染土の公共事業での再利用計画など、国民にとって他人ごとではない現実が明らかになりました。
にもかかわらず、こうした事実はほとんど報道されません。
今年は新天皇即位やオリンピック に向けての報道がますますふえて、原発事故関連のニュースは減っていくことでしょう。
しかし希望はあります。
安倍首相が「日本の原発は安全」と嘘をついて輸出しようとした原発はことごとく頓挫。
またハワイ在住の日系男性が呼びかけたアメリカ政府に辺野古基地中止を求める請願書名はあっという間に 10万人を超え、ローラさんや他の芸能人も次々と発言し始めています。
ほんらい芸人は舌鋒鋭く悪政を批判したり、皮肉って笑い飛ばしたりして庶民が留飲を下げる、という役割もあるのですから、もっともっと発言すべし(笑い)。
今年こそは原発事故の責任を明らかにし、世界中の人たちと繋がって、新たな闘いの始まりの年にしたいと願います。

 

第1 略

第2 ふるさと喪失慰謝料
(1)一審原告らが生活していた故郷の状況

ア コミュニティの中での生活
一審原告らの故郷におけるコミュニティは、長年にわたって日常的に交流しあい、助け合うという関係性でした。
住民にとって、故郷での生活は安心したものであり、アイデンティティを維持し培うことのできる自分の居場所でもありました。

イ 自然の中での生活
一審原告らは、故郷の山々、川、海といった豊かな自然環境の中で、家庭菜園や植栽、散策などをして生活していました。

ウ 自宅
自宅の大きな部屋は、冠婚葬祭や様々な行事のときに、多くの親戚や近隣住民が集まる場でした。

エ 伝統文化
故郷の祭りは代々受け継がれてきた伝統的なものであった。
それは、故郷の住民の交流の場であり、地域住民の役割の一つであり、故郷の象徴でした。

オ 職業
一審原告らの職業は、故郷で長い年月をかけて築き上げてきた人間関係に根差し、故郷の自然やコミュニティと密接にかかわりながら営まれていました。

カ 地域生活利益
故郷の住民は、多くの無形の利益を享受していました。
これを一審原告らは、 「地域生活利益」と呼んでいます。
農作物や自然の恵みのおすそ分けは、 生活費を抑制する機能(生活費代替機能) を持ち、日常的な交流は、困った人がいれば助けあう(相互扶助機能)という関係性を作っていました。
また、住民が行政に準じた活動をしており、住民全体で農道、貯水池の管理、修繕をしたりして、 生活環境を維持していました(行政代替 機能・環境保全機能)。
若い人もお年寄りも、それぞれが尊重され、居場所がありました。
この環境が、各人の自尊心を築 き、人格を発達させてきたのです(人格発達機能)。

 

(2)本件原発事故による故郷の破壊と、一審原告らの請求内容

ア 故郷の現状
大熊町、双葉町の全域、浪江町などの 一部でいまだ避難指示が解除されておらず、帰還できない状況が続いています。
避難指示が解除された地域でも、帰還 者の数は限定され、若年者層が戻らず、 数少ない帰還者の中心は高齢世代です。
また、多くの原発作業員が流入し、町には見知らぬ人が多く存在するようになりました。

イ コミュニティの喪失
避難指示が解除されても、ごく一部の住民しか戻っていないこと、住民の構成が大きく変わってしまったこと、地域での生業や職業生活が停止したままであることは、コミュニティを通じて営まれていた多くの活動が喪失したことを意味します。

ウ 放射能汚染による自然環境の喪失 と不安な生活
山林や河川はもちろん、一審原告らの自宅や道路の周辺以外は除染がされていない状況で、帰還しても自然の恵みを採取することもできません。
除染されていない山林が近くにあり、 家や道路の周囲しか除染されていないことは、見えない放射能におびえる暮らしを強いています。
さらに、福島第一原発、第二原発の廃炉が進んでおらず、いつまた同様の事故が起きるかもしれないという、大きな不安を与えているのです。

 

(3)一審原告らが請求するふるさと 喪失慰謝料の内容

一審原告らは、故郷を失い、多大な精神的な苦痛を受け、地域生活利益という無形の経済的利益を喪失しました。
一審原告らは、これらの損害を「ふるさと喪失慰謝料」と名付け、原審ではこの損害として金 2000万円を請求しました。

第3 避難慰謝料
一審原告らは、仮設住宅や借り上げ住宅では、狭くてプライバシーが守られず、家族もバラバラとなって避難生活をすることになりました。
避難生活が長期に及ぶと、家族間の程よい距離感が崩れ、 ストレスを家族へぶつけたり、避難者同士や避難先住民との軋轢に苦しんだり、 やることがなく過ごしたりする中で、不眠や抑うつ症状があらわれ、体調を崩す人が続出しました。
ときには死にたいと思うこともあり、自ら命を絶つ事件も発 生するなど、避難者の精神状態は極限に追い込まれています。

このような過酷な避難生活に対する精神的苦痛は、中間指針が定めた賠償基準では到底償うことが出来ないことから、一審原告らは被害実態に見合った損害賠償を求めてきました。

第4 原審判決の内容と問題点
1 原判決の概要
原判決は、故郷喪失慰謝料と避難慰謝料を区別することなくまとめて算定し、 帰還困難区域については損害額として 1600万円を認定し、そこから既払金として 1450万円を控除して 150万円の追加支払いを命じました。
居住制限区域と避難指示解除準備区域についてはいずれも 1000万円の損害額を認定し、そこから既払金として 850万円を控除して、やはり150万円の追加支払いを命じました。
緊急時避難準備区域については損害額として 250万円を認定し、そこから既払金 180万円 を控除して70万円の追加支払いを命じました。
居住用不動産や家財の損害については、 すべて棄却しております。

2 原判決の特徴
原判決は、一審原告らが主張した被害事実を概ねそのまま認定しました。
そうでありながら損害評価において、政府の指針に基づく支払にプラスして一律に 150万円ないし 70万円という、不当に低い損害額しか認めませんでした。
原判決には、本件に対する判断ないし姿勢について顕著な特徴があります。
その1は、必要な判断の回避・欠落で あり、2つ目は原告の請求内容ないし請求方法に対する、誤解・曲解に基づく判断。
3つ目は原賠審の中間指針に対する追従です。

3 必要な検討と判断の回避
(1)被侵害利益についての判断の欠落
ア 判断の回避
原判決は、本件事故によって侵害された権利・利益がどのようなものなのか、 全く検討していません。
侵害された権利や利益の正確な理解なしに、適切・妥当 な損害の算定・評価は出来ないというのが常識でしょう。
しかも、本件において生じた被害は、 その内容を適切に理解すること自体が容易ではない特殊な内容で、例のないものです。
広大な地域が、放射能に汚染されて住めないことになり、全ての住民が遠くに追い立てられて戻れないという事態は、裁判史上はじめての出来事なのです。

そして、この「地域社会の全面的な破壊・剥奪」という事態は、生活あるいは 人生を丸ごと奪うような、全面的な被害を生んでいます。
住民からどのような「価値」を奪い、「損失」をもたらしたのか、 どのような心身の苦痛を与えたのか。
これらの解明は、被害者である一審原告ら にとって初めての経験であることはもとより、裁判所にとっても、未知の重大な検討課題であったはずです。
その解明なしに、損害の内容を適切に評価することは不可能です。
この、本件公害事件の出発点にあたる 考察を回避して、何の判断も示さなかったことが、間違った判決の根本にあります。

イ 本件における被侵害利益は何か
被侵害利益とは、2つの損害を基礎付ける「包括的生活利益としての平穏生活権」です。
その内容には、生存権、身体 や精神生活に関わる人格権(生命や健康に関わる「平穏生活権」を含む)、無形の財産権をも含みます。
そうした生活において得ている様々な権利・利益を「包括的生活利益」と呼びます。
これは、自然環境を維持・保全しつつ自然の恵みを享受する暮らしや自宅を中心とした暮らし、 生産関係から社会・文化に至る、そのような包括的生活利益を享受する権利であり、本件事故で侵害された価値です。
その侵害が、さきほど述べた、「避難慰謝料」 と「ふるさと喪失損害」となって現れます。
このような重大な権利侵害・人権侵害が認められる本件について、原判決が被侵害利益の内容について何の検討も示さなかったという事実は、それ自体異常であり、この控訴審においては、裁判のやり直しが求められております。

 

(2)損害の内容についての判断回避

ア 無形の財産的損害+精神的苦痛であること
一審原告らは、故郷喪失損害(故郷喪失慰謝料)の内容について、これが精神的苦痛(いわゆる純粋慰謝料ないし狭義の慰謝料)にとどまらず、地域生活利益を失うことによる、無形の財産的損害を含むことを強調してきました。
しかし原判決は、この点についても、一切の分析と評価をしませんでした。

イ 2つの慰謝料の区別
一審原告らは、本件における「避難慰謝料」と「故郷喪失損害」は別の損害項目であり、別途に損害算定をするべきことを重ねて主張してきました。
ところが 原判決は、これをまとめて算定しました。
しかし、この2つの慰謝料は、その性質と内容を異にしています。故郷喪失損 害は、事故までの生活において有していた利益・価値の喪失です。
これに対して避難慰謝料は、避難生活によって発生した新たな苦痛です。
これをまとめて算定することは、水と油を一緒に秤に乗せるが如き、困難な評価になります。

 

(3)指針等の法的性格 1~4 略

5 原賠審の指針等への追従
指針は、それが原賠審という政府の機関によって作成された賠償基準であるが故の、政策的な要素・制約が避けられません。
原判決は、そうした限界や 傾向を認識しないままで判断をしたため、その内容に追随した判断に傾斜しており、 そのことが、不当に低い損害評価につながっております。

(1)指針等の性格・内容と位置づけ
第一に確認されるべきは、原賠法自身が定めているとおり、指針等は本来裁判規範ではなく、「当該紛争の当事者による 自主的な解決に資する一般的な指針」であることです。
そのことから第二には、指針等は、「早期に最小限の救済を実現すること」を企図しております。
切迫した状況下にある被害者を「迅速」かつ「公平」に救済することが「目的」です。
そのためには、「最低限の損害」を「一律に」支払うという合意を実現する必要がある。
つまり、最低限の金額(損害)であるからこそ、支払い側は被害の個別立証を経ずに、自主的な支払い合意に応じるのです。
こうした指針本来の性格に加えて、指針には、財政的・財源的な観点から、賠償額を軽減しようとする傾向が避けられません。
こうした政策的な制約から、原陪審の指針は、最低限の賠償の基準にはなり得ても、これを裁判上の指針にすることは出来ないのです。
それなのに原判決は、これらの指針による既払い金額を損害評価の基礎において、一律の金額(150万円ないし 70万円)を上積みして支払わせるという損害算定を行いました。
司法判断においては、指針のような一律かつ最低限の損害評価ではなく、個別の被害に応じた主張・立証に基づいた、 独自の損害評価が求められます。
原判決は、司法判断として基本的に誤ったものであるというほかありません。

(2)指針の「公共政策的」
限界-故郷喪失損害の「否定」
指針の制約的な欠点の1つとして、慰謝料の内容が、地域社会の破壊、あるいは長期的な棄損によって生じる、無形の財産的損失を含んでいないことを指摘したいと思います。
故郷喪失損害は、純粋な慰謝料のみではなく、地域生活利益の剥奪という「無形の財産的損害」を内容としています。
この事態は、住民にとって、地域社会が永続的に失われたことを意味しております。しかし政府としては、復興・復旧という政策的観点からは、そのような事態は認めたくない。
むしろ地域社会の再生による産業や雇用の回復こそ、推進したいのです。だから、中間指針による賠償には、「故郷喪失損害」というべき損害は含まれていないのです。
それなのに原判決は、故郷喪失損害には無形の財産的損害が含まれることも検討しなかった。
そして、居住制限区域と避難指示解除準備区域について、既払い金にプラス 150万円という損害評価を行いました。
これは、被害者の実感からかけ離れた損害評価です。
他方で、帰還困難区域については、第四次追補によって 700万円が追加支払いされましたが、これは避難慰謝料の先払いに過ぎません。
仮にこれを故郷喪失損害分だとしても、それならば、この支払以降の避難慰謝料はどうなったのか、不払いのままです。
原判決の指針への誤った追随が、不当な損害評価、不十分な救 済という結果をもたらしたものです。

以下略

 

1 帰れる場所をなくした
私は原発事故当時、双葉郡双葉町で暮らし、養蜂業を営んでいました。
原発事故が起きて避難中に私の祖母は亡くなり、 一緒に避難した父は半身麻痺になり歩く事が出来なくなり介護施設に入所しました。
双葉町では蜂蜜や双葉郡の生産品や海産物を使った食事や加工品を販売していました。
そして、友人と農家レストラン も建設していました。
しかし、養蜂業は 再開出来ず、2年以上掛けて開墾した土壌は、放射性物質に汚染され、原野のように荒れはててしまいました。
「復興!」 「イノベーション!」ただ繰り返された言葉が私にとっては何の意味もありませんでした。
この7年半の間に、私の自宅は、野生動物やどろぼうの侵入により荒廃し、最後は更地にせざるを得ませんでした。
近所の家も解体され更地になりました。
原発事故で、私たちは帰れる場所を無くしました。

 

2 避難生活
平成23年3月12日早朝、私は、双葉町役場から川俣町の飯坂小学校に避難しました。
その後さいたまスーパーアリーナ、埼玉県加須市の騎西高校、福島県猪苗代町のリステル猪苗代、福島県郡山市の富田若宮前仮設住宅、福島県いわき市勿来町の県営勿来酒井団地へと避難し、今に至ります。
私は心臓に人工弁が入っており障害等級1級の身です。
避難所は物資もまともに届かず、心臓の薬も2週間飲めませんでした。
放射能被ばくへの恐怖とパニックの中で避難したことで心臓に負担がかかっていました。
そこへ薬も飲めないという追い打ちをかけられ、命の危険を感じました。

ひとつ前の避難先である郡山市の富田若宮前仮設住宅では、私は仮設住宅の自治会長を引き受けていました。
仮設住宅で5名の方が亡くなりました。
孤独死で亡くなった場合、自治会長として立ち会う事もありました。
そこでの悲惨な状況は、脳裏に焼き付いて離れません。
夜中 に酔っ払いが「避難民出ていけー。」と仮説住宅に怒鳴り込んで来たときには、何故こんな事を言われなければならないのかと悔しい思いをしながら対応しました。

 

3 判決後
平成30年3月下旬、県営勿来酒井団地に転居し、6月下旬に、食堂「食事処輪」 を営業し始めました。
本当は、養蜂業の再開を考えていました。
しかし、双葉町にはいつ帰れるのか分からず、養蜂場は、放射能に汚染され、 1キロメートル以内のところに放射性汚染土壌の仮置き場があり、とても再開を考えられません。

県営勿来酒井団地は双葉町のリトルタウンです。
双葉町民の営業を公募していたので、応募しました。
営業資金は、東電の養蜂場の賠償金では足りませんでしたが、福島県と双葉町の補助金を受けて、営業にこぎつけました。
新たに営業を開始した食堂は、勿来町の中心街から離れていて近くに商店もない地域です。
50歳近くになってからの食堂経営のスタートであり、住民も全く知らない方ばかりで心細く、まるで新入社員になったような気持ちでした。
収入も養蜂業のころから大分減少しました。

私は、福島県産品に対する風評被害も同じ生産者として重く受け止めていたの で郡山市農業総合センターで放射線の検査状況なども見学し、「食事処 輪」では、 福島県産品を材料にした食事を出すようにしています。
原発事故前に習得していた知識や技術をすこしずつ思い出し、形にしていくのはとても大変でした。
何度も心が折れそうになりながら、記憶をたどり、何回も加熱や味付けをしてテストを重ねていきました。
まだ赤字で事故前の収入にもなりませんが、生きていくためには、歯を食いしばって何とか営業を続けていかなければなりません。
そして、いつの日か双葉町でもやりたいです。

 

4 私達の人生を積み上げてきた故郷での暮らしを奪い、苦しい避難生活を与えた東京電力を許す事が出来ません。
公正な判断をよろしくお願い致します。
以上

Yさんの弟Tさんとは、Yさんの家族だとも知らないまま、震災前から面識があった。
Tさんは以前、小高出身の鈴木安蔵を描いた映画「日本の青空」の制作会社に勤めていた。東京の古い友人が「日本の青空2」のチケットがあるので見にいこうと誘ってくれ、そのとき知古を得たという関係だ。
友人とTさんは、もともと阪神・淡路大震災の被災者支援で知り合った人たちがゆるく連携する「ホンマチネット」(被災者が避難した神戸市の「本町公園」に由来した名称)という集まりのメンバーでもあった。
Yさんと兄弟だとわかったとき、Tさんは「私が小高にいたのは3歳まで。そのころの記憶はほとんどない。兄のように、小高に強いこだわりもなかった。『日本の青空』にかかわったのも偶然のこと」と話してくれたものの、彼もまた、東日本大震災では“故郷”のため、そして被災者のために奔走した。
11年の夏には、Tさんらホンマチネットの人々は避難所になっていた南相馬市立原町第二中学校に赴いて支援物資を届けた。
彼らが師と仰ぐ兵庫県被災者連絡会代表の河村宗治郎さんを連れ、阪神・淡路大震災の体験を語ってもらう場も設けた。
その後も南相馬や石巻市雄勝など方々に出かけて炊き出しをしたり、イベントを開いたりして被災者を励まし続けている。

印象的な出来事もあった。相双の避難者が集った木更津の交流会では、その場で知り合った小高から避難中の高齢女性に、私が「Tさんは小高教会にいた牧師の息子なんですよ」と紹介したら、「子どもを教会幼稚園に通わせていた。
牧師さんのこともよく覚えている。
ほんとうにそっくりだ」と笑顔を見せてくれた。
イケメンのTさんに父親の面影を見たからだろう、キラキラと瞳を輝かせていたのが微笑ましかった。
*訂正 前号で長岡さんの肩書を「フリーライター」としましたが、「フリーランス記者」と訂正します。
また書籍紹介で「第三書館(版元ドットコム)」と表記しましたが「版元ドットコム」は削除します。

ご意見のお願い
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。
匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613 ◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

 

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