原発事故被害者「相双の会」会報70号が届きましたので、転載します。
私は判決にとても期待していました。
なぜなら 被害者の訴えに裁判官はときおり目を潤ませ、また現地視察を3回もして、被害の実態をよく受け止めてくれたと感じていたからです。
にもかかわらず、この判決は全く納得できません。
被害の実態をすべて認めながら、加害者である国が勝手に決めた損害賠償の中間指針に実質上屈したような賠償額だからです。
これが命、家族、故郷すべてを奪った犯罪への賠償命令とはとても思えません。
私たちは何一つ悪いことはしなかった。
原発をつくってくれなどと言わなかった。
なのに事故の結果、苦しみはいまも続いています。
それどころかあと 10 年、20 年、30 年と続きます、孫子の代まで続くのです。
事故は終わったのではなく、放射能のもたらす被害は時がたつにつれてますますひどくなるのです。
闘いは後世に引き継ぐことが私の責務であると思います。つまり百年賠償の闘いです。
前略
1 東電の法的責任
判決は、原賠法3条を根拠に、被告の賠償責任を認めた。
しかし、原賠法3条の…適用は、被告に過失責任がないことを意味するものではない。
本件においても判決は、特別法たる原賠法の存在を理由に民法709号の適用を認めなかったが、 そのことによって東電の過失の存在が否定されたことを意味するものではないことが、留意されるべきである。…中略…
我々は、東電が自分に都合の良い情報ばかりを信じ採るべき対策を採らなかったこと、原告団長をはじめとする市民団体が繰り返し事故対策を採るように申し入れていたにもかかわらず、あえてその声を無視していたことなど、東電の悪質性に掛かる事情を十分に主張立証してきた。
それにもかかわらず、判決は、原告の詳細な主張・立証を十分に考慮しないまま、事故が発生するような津波が到来する可能性は極めて低いとして、現実的な可能性はないと意識していたとしても、著しく合理性が欠けるとは言えないとして、 故意・重過失は認められないと判断した。
これは本件事故に至る経緯及び本件事故を生じさせた東電の責任を極めて軽視するものであり、断じて容認することはできない。
2 ふるさと喪失損害
本件訴訟における重要な争点は、原告らが被っている「ふるさと喪失損害」の評価とその救済である。
すなわち、原告らはそれまで生活していた 地域社会での生活を丸ごと奪われ、地域コミュニティとの繋がりと、これによって互いに享受し合っていた地域の諸機能、「生活と生産の諸条件」と言うべき様々なかけがえのない価値、 生活上の利益を失った。
そして、固有の文化や自然環境を含む、地域での生活と繋がりを失ったことによる原告らの喪失感は重大である。
このよう な被害は、わが国の公害においても類例のない未 曽有の事態であり、これらの無形の経済的損害と精神的苦痛は、まことに甚大なものである。
判決は、このような「ふるさと喪失損害」「ふるさと変容損害」の発生を原告らに共通する損害として認め、これに関する慰謝料の支払いを命じた。
しかし、判決は、故郷喪失と避難慰謝料を区別せず、包括的な慰謝料として認めるにとどまった。
そして、判決が認定した包括的な慰謝料額は、 中間指針を若干増額した程度であって、原告らの受けている被害の実態と請求額に照らして、著しく不十分なものにとどまり、これでは損害の回復をなし得るものとは評価できない。
地域との繋がり、地域で生活することの価値という重大な権利利益の侵害の発生を認めながら、こうした水準の損害算定にとどまるという矛盾した判断は、国の政策である指針等に追従したものと言わざるを得ず、司法の役割を放棄したものとして、批判されるべきである。
3 避難慰謝料 略
4 物財に対する賠償 略
5 結論
以上のとおり、本件判決は、本件事故による著しい権利侵害と甚大な被害の実相を正面から受けとめることなく、損害算定においても、原告ら が求めた救済の水準に到底及ばない内容にとどまった。
このような判決は、被害の切り捨てと帰還の強要を進める政府の政策に追従し、司法の役割を放棄したものという、最大限の批判が相相応しい。
原告らと弁護団は、この判決を決して受け入れることなく、引き続き公正な司法判断を求めて闘う所存である。
以上
7回目を迎える『県民集会』は、今年は原発事故の被災地の楢葉町『天神岬スポーツ公園』で開催された。
県内各地だけでなく、東北6県はもとより、関東地域からも多くの参加者が集まり、3200 名の参加者が、第2原発の廃止・原発事故の責任追及・生業を返せ・原発事故前の生活を返せ…などを内外にアピールしてきました。
浪江町の被災者の三瓶さんは、『子ども・孫は家族の宝、その子ども・孫が家族バラバラにされ、ばい菌扱いされて悲鳴を上げている、原発事故が原因なのに東電・政府は責任を取らないどころか、原発の再稼働を進めている。
原発がある限り、誰もが「原発事故」に会う可能性がある、私たち大人が声を挙げて行きましょう』と訴えました。
私は、緊急時避難区域(22Km 弱)で2年間避難してきましたが、今でも家族が放射能被害が無いように、何時になったら安心して家庭菜園が出来るのか、行きつけのスーパーはいつ再開するのか、 震災前の病院・医院にいつなるのか等々、そんな 当たり前の事が通らない今の生活で、浪江の三瓶 さんと同じ気持ちになり、今更に怒りが込み上げて来ました。
自民党の国策により、『双葉地方の活性化のため』と『雇用と補助金の毒』で建設した『福島原発』、それを『安全性』より『利益追求』を優先した「電力資本」により起こった、『人災の原発事故』なのに、未だに誰一人責任を取らない、こんな事が許されるのでしょうか。
「第 20 代高校生平和大使」の2人の高橋さんは、『高校生平和大使として世界の方と「核の問題」で交流している、私たちは「微力だが非力でない」核(放射能)の脅威を無くすために世界と連帯して行きたい』と力強く挨拶され、シニア時代の我々が孫の年代の高校生に”はっぱ”を掛けられた気持ちでした。
少しでも『子ども・孫に負の遺産を残さない』事が、残された私の人生の課題かなと思いながら参加してきました。
事故後7年を迎える今、私は原発事故の本質は 『大地を汚(けが)した』、“よごした”のでなく “けがした”と結論付けています。
浅学非才な私が結論すべき事ではないと思いますが、約7年飯舘村はじめ近隣の多くの植物 (山菜・茸・山の果実・試験栽培した野菜)、動物、 (猪肉、野鳥の肉)の放射能を測定して導き出した私なりの結論です。
大地は全ての源で、農林業の基です。
流れ出して河川、海域を汚染する、原発事故で放出された 放射性物質は既に自然の循環サイクルに組み込まれ如何に巨額の資金を投入しても回収困難です。
大地に放出された放射性物質は、植物の根から吸収され、葉に蓄えられ秋には落ち葉になり、葉は腐り大地に帰りますが、放射性物質はその場に止まり、吸収落葉を繰り返します。
放出された放射性物質を消す手立ては無く、ただ物理的に半減期を待つのみです。
放射性物質の大半を占めるセシウム137の半減期は30年と言われ、300年を経て漸く1,024分の一になります。
農地、宅地など一部については巨費を投じて除染工事を行いました。
結果的には空間線量率は下がりましたが、事故前の空間線量率の約10以上 (場所によっては低いところもありますが僅か)、 農地の放射性物質も大半は回収されました。
しかし、それは飯舘村の面積の15%程度に止まり未除染の山林・原野は 30,000~50,000 Bq/kg の高濃度です。
仮に 40,000 Bq/kg の山林は 30 年で 20,000 Bq/ kg、60 年で 10,000 Bq/kg、300 年を経て漸く 39 Bq /kg です。
大地をけがす事は人間の営みの基をけがすと、言う事です。
避難指示が解除され汚染地に住むと言う事は時々刻々放射線の被ばくに曝されます。
子どもの放射能の感受性は大人の20倍以上とも言われていますからただ事ではありません。
この事からやはり原発は人間とは共生できないし、共生させてはいけないものと結論付けました。
事故後発信された情報でこれらを言い表す司法の判決が出ました。
それは2014年5月21日福井地裁で出された大飯原発3,4機運転差止訴訟の一審判決の 「はじめに」は次の様に記しています。
「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす 事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請で あるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、 私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である」。
原発事故後3回目の現地視察をして
この度は 2日間、母ともどもお世話になり真にありがとうございました。
昨夜遅くに無事帰宅しました。
急なご連絡の厚かましいお願いで、また大事な裁判の判決の翌日にも関わらず、 温かくお迎えくださったこと、心から感謝申し上げます。
奥様には本当に美味しいご馳走をたくさん頂き、心もお腹もたっぷり満たされました。
2015 年、16 年に続き、なんとか年に一度は福島へ行きつながりを持ち続けたいと思いつつ、昨年はなかなかその時間が取れなかったのですが、今月に入りたまたま日程の空きができ、急遽思い立ってご連絡した次第です。
以下、少し感想めいたことを記しておこうと思います。
今回お伺いして、変わっていくものと変わらないものを改めて目の当たりにした気がします。
以 前にはまだあった津波に関連する被害の部分は撤去や整地、護岸工事が進んでその痕がどんどんわからなくなってく一方で、原発関連となると、人の暮らしやコミュニティ、住宅、農地、山林 の荒廃が元には戻らないままで、治るものと治らないもののコントラストがより一層強くなっていると感じました。
原発事故は今も続いているのだと思わざるを得ません。
でも同時に、2 日間 浜通り各地の海と山と里山を案内していただいて、なんと豊かで美しい土地なのか、とも思いました。
國分さんのお話に出てくる、かつて川で獲ったイワナや山でのきのこ狩りの光景がその豊かさに 重なり、国や東電が壊したものが、決して今ある暮らしや自然だけでないことがわかります。
過去の記憶も、また、子どもたちに伝えるはずだった未来の記憶もそこには含まれているのではないか、そんな風に感じました。
2年半前になりますが、最初に訪れたときはメディアから伝えら れていた情報しかなくて、自分がその土地に足を踏み入れることを特別なことのように感じて少 し緊張していたことを思い出します。
うまく言えませんが 今回はずい分と自分の肌に馴染んできたように思います。
色んな思いを京都に持って帰ってきましたが、自分の感じたことをうまく 周囲に伝えられるといいなと思っています。
そしてきっとまた行きたくなるだろうと思います。
美味しい食べ物と楽しい國分さんのお話に会いに!笑
お忙しい中、本当にありがとうございました。
月末またスケジュールがびっしり詰まっておられますね。
奥様とともにご健康と益々のご活躍をお祈りしています!
京都・木原麻子
ご意見のお願い
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。
匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com