12月1日(木)原発事故被害者「相双の会」会報55号が届きましたので、転載します。

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横浜の中学生の生きる勇気―差別と偏見をなくしていこう
分断され追い詰められる避難者

横浜の自主避難した中学生が「賠償金もらっているだろうから金を出せ」とか「ただでいい家にすんでいる」とかいじめにあい、
それを学校も教育委員会もちゃんと対応できなかったことが、大きく問題となった。
大人たちの不用意な原発避難者への偏見や差別の会話が、 中学生の耳に入ったとしか思えない。
「福島でたくさん死んだから自分は生きようと思う」と勇気を振って生きていく少年に心から声援をおくりたい。
同時にもっともっとひどい偏見や無理解がわたしたち原発事故被害者をとりかこんでいること、被害者がどんな苦しみを強いられているかを、多くの方に知らせていかなければならない。
賠償もほとんどされず避難住宅保証も来年3月で打ち切られるという「自主避難」への国と自治体の対応も人間のやることとは思えない。
勝手に避難地域を指定して線引きしておいて、この線から外は責任をおいませんという、加害者(東電と国) のやり方からして、許せるものではない。
まるでいつまでも避難しているのが悪いかのような、6年も避難して限界だから定住しようと賠償金を使って家をたてるのが「贅沢」であるかのような風潮を放置していたら、被害者はさらに精神的に追い詰められてしまう。
生きる勇気すら失い、うつ病になり、自ら命を絶つひとはふえるばかりだ。

国家的犯罪が人間の尊厳も冒す
原発避難者の子どもたちは転校から転校となり大人の私たちから見ても可哀そうでならなかった。
靴の中に画鋲が入っていた、 「放射能くさい」「そばにくるな」等々数え切れない。
「避難するようになってから 成績がガタ落ち」、「不登校になった」、高校に入学したがいじめに遭い退学してしまった例もある。
親も「学校へ行くなら死んだ方がましだ」と言われると退学を認めざるを得ない。
いじめをしているグループ(加害者)はのうのうと学校行っている。
また 次のいじめをしているのかもしれない。
引っ越した先では親も出身地をいわないようにしているという。
何故か、何を言われるか分からない。子どもが心配だからだと言う。
ふる里を追われ安住の地を求め、やっとの思いで新築したが、嫌がらせを言われて家を売りに出したという。
新築した家に「倍償御殿」と落書きされた人もたくさんいる。
こんなことがまかり通っているとしたら人間の尊厳に関わるだろう。
これまで培ってきた財産を全て奪われ、 東電が一方的におしつける賠償金ではとても補われない。
親類、友人、地域コミュニティを壊され、被害者同士が分断され、対立させられる構図が、ますます複雑化している。
これは「原発の犯罪」であり国家的 犯罪だ。
避難者への誤解にぶつかったら、黙って下を向くのでなく、粘り強く説得していきたい。
横浜の中学生だって懸命にがんばっているのだから。

中間貯蔵施設用地取得まだ一割
福島県内の除染で出た汚染土壌を保管する貯蔵施設本体工事が(11 月 15 日)ようやく着工されたが、施設の全体面積約約16平方キロの内10月末までに国と契約を結んだのは(用地取得)まだ一割にも満たない約 1.7 平方キロにとどまっている。
貯蔵施設の容量は最大で2200万立方メートル(東京ドーム18個分)と推計される契約は施設全体の容量の 0.5 %に過ぎない。

2045年までに県外へ最終処分?!
施設の使用開始から30年以内に県外へ最終処分することは法律で明記された。
昨年(2015 年)3月に予定地内に設けた保管場に土壌の搬入が始まったから2045年3月12日まで県外へ最終処分しなければならない事になる。
しかし、中間貯蔵施設予定地で、登記簿上の地権者約2400人のうち半数の約1200人分の土地が実際は「所有者不明」の状態だという。
代々の相続により実際の地権者数は数十倍に増え 用地の買収や賃借の交渉は さらに難航しているようだ。
関係者によると、最も古い登記簿上の地権者の中には江戸時代後期の安政年間生まれの人もいたほか、明治時代以降、登記が更新されていない土地も多いようです。
名義変更せずに代々住み続けた場合、法定相続人が100倍以上に増えるケースもある。
用地取得には全員と交渉する必要があり、膨大な時間と費用がかかる恐れがある。

無責任な原発促進が地域を滅ぼし、国民を窮地に陥れる
こんな状況で中間貯蔵施設完成があやぶまれる。
そうなると各市町村にある仮置き場に影響を及ぼす。
つまり、最終処分場がないままに仮置き場、中間貯蔵施設の解決はできないのである。
しかし、最終処分場など受け入れる都道府県などあるでしょうか。


11 月 22 日 5 時 59 分福島県沖地震 M7.4 震度 5 弱、津波警報発令が出た。
51 万人 に避難指示、原発は大丈夫だろうか、避難の準備をしなければと頭をよぎる。
車にガソリンは、家族はとなる。

停止中だって原発は危険
特に事故を起こした福島第一原発はいつ何が起きるか分からない不安定な状況が 3.11 以降続いている。
第二原発3号機の使用済み核燃料プールの冷却が自動停止した。
プールには核燃料 2544 体が保管され 常時冷却し続けなければならない。
停止時 の水温 29.3 度制限値の温度は 65 度となっている。
冷却水が絶たれてしまうと水は沸騰したりして燃料棒が空気中に露出し、空気の自然冷却では過熱が続きケースが高熱化、酸化し核残留物が気化拡散したりして大事故になる。
原発が稼働していようがいまいが危険、ましてや事故を起こした福島 第一原発はあちこち壊れたままだから、もっとも危険と言わざるを得ない。

汚染水もヒヤリ
汚染水貯蔵タンクも、地震で漏れる危険があり一時送水を停止した。
第二原発の2~4号機で、地震後漏えいによる水たまり12カ所を確認されていながら二日遅れの 24 日に公表した。
東電は第二原発は通報案件ではないとしている。
重大な事故を起こしながら公表基準でないからとは、いかに被害者を馬鹿にしているかです。
何時また地震が起きるかわからない。福島県民は避難の準備は常にしておかなければなりません。

 

10月29日~30日、大型バス1台で東京南部から第4回目のツアーがやってきました。感想を一部紹介します。

2013年に来たとき、小高地区は田んぼの中に貝殻がいっぱいついた車がころがっ ていましたが、今はフレコンバックが積み上げられていました。
以前の風景も、今の風景も悲しさと悔しさで胸が痛みます。
自然の恵み豊かな飯舘村を、人も住めず山菜もキノコも食べられない山里にしたのは、 原発を安全だと思わせた政府と東電とそれに言いくるめられた私たちだと思います。
政府と東電とにこれ以上原発をつくらせな い運動を少しづつやるしか道はないと、つくづく思います。 M.C

今回線量計をもって参加し、あちこちで 計測してみました。
同じ場所でも、植え込 みの所と道路上で、また手に持った空中ででは全く放射能がちがったりする。
安全だ として発表される数字もあてにならないも のだなと感じました。
各地で一方的な避難 解除が行われ、東京では「もうけっこう元 通りに戻っている」と思っている人が多く 「風評被害」という言葉もたくさん聞きます。
時がたつにつれて本当に起きているこ とから人々の心がどんどんはなれていって いるような気がします。 T.H

レントゲン室と同じほどの放射線量が検 出される場所には、レントゲン室と同じ印をつけてもいいのではないでしょうか。
こんなところに子どもを住まわせられないと、わかりやすく訴えないと国や東電の思うつぼになりそうで、怖いと思いました。
日中しか帰れない家の周りを手入れされる 方々の気持ちを慰めるように、人気の殆どない町で柿の実がなっていたり、菊やバラが花を咲かせていたのが印象的でした。T.A

昨年来たとき、小高地区の家の前に黒いフレコンバックが積まれていたのを覚えています。
ニュースで小高が避難解除になったと聞き、驚きました。
まだ 1 年もたって いないのに大丈夫なのかなと思っていまし た。
今回3%くらいしか帰宅していないと 伺い、やっぱりと思いました。
被災者を思 いやらない政治には腹が立ちます。T.T

福島原発のことは今の日本では殆んど日常の話題にはのぼってこない。
「帰還」「帰 還」と地元自治体や地元有力者を、またお金をちらつかせるきたない力によって抑え こんで、何とか「以前の形」に戻ったとと りつくろうやり方が、今やまかりとおって いると伺ってますますこれではいけないと 思いました。
「帰還の押しつけによって原 発事故はなかったことにするつもりだ」と いう説明を改めて伺って、東京でこそこの欺瞞を大きく訴えなければいけないと感じ ております。 I.A

来春の避難解除に向け、除染が進んでいるせいか、フレコンパックの山は昨年より増えたように見えた。
国道 6 号線を走るバスの中、刻々と放射線量は増え続け最大 5.17 まで上がった。
セイタカアワダチ草が 綺麗すぎる隣にフレコンパックの山。
そして帰還する人々の家のすぐ近くにもあるフレコンの山。
20ミリシーベルト以下だから 帰れとは無責任だ。
’20 年のオリンピックに福島は安全に復興できたと言いたいがた めであれば、とても許せないことだ。
自分 に出来ることで福島を原発を話し続けてい こうと思う。 H.Y

一見きれいになった町、村と仮仮置き場に片づけられたフレコンパック、除染では元に戻らない放射線量と、1 ミリシーベル トを20ミリシーベルトに合わせた基準での帰還区域設定、中は動物の荒らし放題で住めなくなって壊されていく家々(バスから猿が歩いているのが見えた)と、帰還解除されても明かりのつかない町並みと、草茫々の中に埋まりそうな廃墟の村の姿などが印象に残りました。
事故前の福島の自然 と生活を返せと、伝え、訴えていきたいと 思いました。 M.U

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