8月4日原発事故被害者「相双の会」会報51号が届きましたので、転載いたします。


「廃炉まで 40 年」「石棺」「凍土壁失敗」
―復興の展望はどこに?―

廃炉工程が定まらない、溶融燃料取り出し
廃炉1~3号基すべて燃料デブリ(溶け落ちた核燃料)を取り出すのは、世界にも例がない。
チェルノブイリは 1基だけであるが、事故が起きてから 30年たって もいまだに燃料デブリを取りだすめどもついていない。
どれくらい困難であるかは誰も想像もつかない。
政府は実は廃炉はできない事を想定して、何の根拠もなく、「廃炉まで40年」という事にしたのであろう。
燃料デブリを取り出せない限り危険は永久的につきまとうと思われる。
つまり福島の復興は、まずは燃料デブリを完全に取り出す事が大前提だと思う。
それにしても政府の気休めの「40年」だけでもとんでもない年月です。
その間 は安全安心など程遠いことではないでしょうか。

石棺で原発もろとも覆い隠す手法
廃炉はいつできるのかと不安ななかで、 東京電力福島第一原発の廃炉方法を検討する国の認可法人「原子力損害賠償・廃炉 等支援機構」の山名元理事長は、
今年7月15日に「東京電力福島第一原発の廃炉に向けた戦略プラン」で、溶融燃料(燃料デブリ)を取り出さず原子炉を覆う「石棺方式」に言及した。
これには一斉に反対の声が上がった。
「石棺では復興の妨げになる」というのである。
確かに「石棺」では終わりがないという事に繋がるからでしょう。
チェルノブイリ原発事故では、大陸の固い乾いた岩盤の上に建っていたので、 巨大な石棺で覆ってしまえばそれでとりあえず事故処理でした。
しかし、日本での事故処理は原子炉をコンクリートで封鎖することで放射線量を減らすことしかできないと思われます。

政府の本音は、溶融燃料(燃料デブリ) を取り出す事はもともと困難で不可能である事なのかも知れません。
福島では、汚染地下水が大きな問題となっていますが、汚染水対策は5年過ぎてもできず、「凍土壁」に望みを託しました。
しかし、建屋周辺の土壌を凍らせる 「凍土遮水壁(とうどしゃすいへき)」が完全に凍結しないため失敗に終わりました。

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福島地裁いわき支部の島村典男裁判長が現場検証

原発避難者損害賠償訴訟の原告団が強く求めていた裁判官の現場検証がやっと実施されました。
いわき市仮設住宅、広野町二ケ所、楢葉町六ケ所を、原告団、 原告側の弁護団、被告側の弁護団が立ち合いで視察。
原告側は事前に綿密な打ち合わせとリハーサルを重ね、抜かりのない体制で事故による被害状況をありのままに説明し訴えられました。
検証の結果は裁判で証拠として扱われプラスになる事が期待されます。
九月には南相馬市小高区、浪江町、双葉町の現場検証を実施する予定となっています。

 

福島第一原発事故の避難指示解除に当たって
桜井勝延市長の歴史的責任を問う

桜井勝延市長は 2016年5月27日、南相馬市小高区を中心に出されていた政府の福島第一原発事故による避難指示解除に同意し、避難指示は本日解除された。
多くの住民の命と健康に対する懸念を押し切ってなされた今回の決定に対し、私たちは以下の理由により、桜井市長の歴史的な責任を問い続けることを声明する。

1.住民の叫びを真摯に受け止めず、事実上切り捨てたこと
桜井市長は 2015 年 11月の市民説明会で、最低、①「宅地周りの除染」が完了す ること②小・中学校の教育施設環境が整うこと、を解除時期決定の条件として公約した。
本年2月と5月に開かれた政府主催の市民説明会では、これら2点が達成されていないことに加えて、
①これまでなされた除染でも効果がないこと
②農地・農道・森林 の除染が完了していないこと
③学校周辺の放射線量にも不安があり、子どもを帰らせられないことなど、実態に 基づく「時期尚早」の声が圧倒的だったにもかかわらず、
桜井市長は、「あそこ(説明会)では反対の人しかしゃべらない」 「サイレントマジョリティーは全く逆」 「解除を1年遅らせたところで、商店や病院が震災前の状態に戻るわけではない」 (3月5日付毎日新聞インタビュー)などと述べ、住民の悲痛な叫びに真摯に耳を傾けなかった。
そればかりでなく、5月の最終説明会の時点で、自ら公約した「宅地周り除染」が 4911戸中 425戸残っていたにも関わらず、「同意を待っていたら何時になるかわからない」と述べるなど、最低限の約束すら反故にしたまま、最終説明会のわずか5日後、解除に同意した。
関東など避難先での説明会は、この決定後に行われた。
以上の事実は、桜井市長が多くの住民 の腹からの叫びを切り捨て、政府方針を優先し、それに従ったことに他ならない。

2.住民の命と健康を放射線の危険にさらす選択をしたこと
桜井市長は本年2月17日、東京の外国人特派員協会で行った記者会見で、南相馬市の放射能の汚染状況について、「国の目標よりも下回っているところが多くなってきている。
けれど若い世代が戻らないのは、放射線教育を全く行ってこな かったのが原因だ」との見解を表明した。
政府の避難指示解除の物差しは、年間追加被ばく線量20ミリシーベルトである。
これは日本の現在の法律で一般人の立ち入りが禁止されている「放射線管理区域」の4倍に当たる。
福島県の健康管理調査では、すでに 172人の子どもたちに甲状腺がんが見つかっている。
チェルノブイリ法で年間5ミリシーベルト以上を強制避難区域としてきたウクライナやベラルーシでは、30年を経たいま、子どもをはじめ、あらゆる年齢層で深刻な健康被害が生じていることが報告されている。
また、放射線に対する子どもの感受性は 大人の10倍に達することも通説になっており、南相馬市が昨年行った意識調査でも子育て世代の8割以上が「帰れない」と言っている。
桜井市長の対応は、このような放射線被害の常識ともいうべき最近の知見をも 黙殺する政府方針を無批判に受け入れているばかりでなく、これを「放射線教育」 に転嫁して、住民の命と健康をさらす政策に同意した責任は逃れられない。
そこには、幾世代にもわたる健康と命への影響を否定できないという、 厳粛な事実に対する謙虚な姿勢はない。
そればかりではなく、2014年に原町区の特定避 難勧奨地点の解除を容認し、現在、東京地方裁判所で争われている経緯に対する反省も伺うことはできない。

3.被害者切り捨ての政府政策を加速させる役割を果たしたこと
政府は現在、2017年春までに帰還困難区域を除く全ての避難指示を解除し、1年後に賠償も打ち切って、「福島原発事故にケリをつける」ことを政策目標にしていることは周知の事実である。
これは、東京オリンピック・パラリンピックから逆算して被害地・被害者を切り捨てていく 「行程表」であることは明らかである。
これまで解除された避難指示区域で最大の住民を抱える南相馬市の今回の解除は、この政策に弾みをつけ、「解除ラッシュ」ともいうべき事態の引き金になっている。
さらに、桜井市長は先に挙げた外国特派員の記者会見で、「除染で出た汚染土や廃棄物の再利用を真っ先に唱え、ようやく国もそういう方向に踏み出しつつある」と誇らしげに語っている。
これに 呼応するかのように環境省は、8000 ベクレル(kg)以下の汚染物を公共事業に活用するという方針を打ち出し、南相馬市は率先して実証実験をはじめるとしている。
桜井市長が、かつて反対闘争の先頭に立った原町区大甕地区の産廃処理場近くの田んぼは、いま、広大な除染廃棄物の仮置き場となり、黒いフレコンバッグが累々と積み上げられている。
「脱原発都市宣言」を誇り、「脱原発首 長連合」の代表世話人に名を連ね、原発 再稼働に「怒りを覚える」と語り、「われ われ現場で政治を預かる者にとって一番 大切なのは、市民の命なんですよ。
命あってこそ暮らしがが成り立つわけですから、 命を危うくするような政策は推し進めるべきではないというのが私の考えです」 という発言(前記記者会見)との間の、深い溝をどう説明するのか。
まさに「命を危うくするような政策」を加速させる役割を果たした責任もまた、歴史的な審判を免れない。

2016年7月12日
南相馬市の未来を憂える市民有志一同
世話人  村田弘・國分富夫・横田芳朝・志賀勝明

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