4月28日(木)原発事故被害者「相双の会」会報48号が届きましたので、転載します。
九州の大地震で、多くの方が避難生活をしている姿が連日報道され、5年前のわが身を思いだして胸が詰まります。
それにしても許せないのは、いつもテレビに流れる「運転中の川内原発は異常なし」というテロップ。
原発に異常が出たらもうとりかえしはつきません。
停止したって大量の放射性物質が保管されていて危険なことに変わりありません。
事故を起こした福島第一原発だって、いつ何が起きるか分からないので、私たちはつねに車のガソリンを満タンにしています。
一刻も早くとめ、地震で安心して眠れない住民の不安を少しでも減らしてあげなければなりません。
3.11 大地震よりも道路などの被害は激しいようです。
「避難計画」などほとんど役に立たないのは福島のわたしたちが一番よく知っています。
原発被害は「不安」や「恐怖」などの精神的なものも大きい。
「異常なし」などと常時放送すること自体が「異常」なのです。
今回の「想定外」のしつこい地震で、川内原発の数十キロ周辺の皆さんの不安はいやでも増すでしょう。
すでに原発の被害は発生しているのです。
九州のみなさんが二度と私たちのような悲惨な目にあわないために、政府は即時、原発を止めるべきです。
福島原発被害者の裁判を支援している仲間の報告を、ご覧ください。
● 「安全神話」にしがみつく原子力規制委員会―鹿児島からの報告
4月14日マグニチュード6.5、最大震度7の激震を観測した熊本地震は、その後余震とされた地震が頻発していたが、4月16日には、阿蘇地方にも甚大な被害をもたらすマグニチュード7.3 という阪神大震災に匹敵する巨大地震となった。
その後も震度6強などの地震を頻発するだけでなく北西方向への大分地方への拡散もありその先には愛媛の伊方原発がある。
南西の鹿児島川内原発方向もしだいに頻発している。
川内原発方向に延びる断層
今回の巨大地震で九州には大きな歪が生じている。
再稼働したばかりの鹿児島・川内原発周辺にある断層にも、熊本地震を引きがねにした地震発生の危険性も警告されている。
地震調査研究推進本部によると、甑断層の東端、甑海峡中央断層の北端が原発方向に延びている 可能性を指摘しており、川内川河口推定断層の指摘もある。
また、石橋克彦神戸大学名誉教授(地震学)は断層があろうがなかろうが、原発直下で今回のような激震が起こる可能性があると指摘している。
今回の巨大地震は震源地では地震動 1580 ガルを記録している。
基準地震動620ガルで合格とした原発再稼働の新基準をはるかに超える数値となっている。
原発は100Kmにも及ぶ配管でできており、原子炉や蒸気発生器の危険性はもとより、地震によって配管のトラブルなど数々の危険性を有している。
想定外の地震なのに「想定外の事故は起きない」?
川内原発の周辺に現存する日奈久断層・出水・甑島列島・市来の各断層帯への今回の地震の影響、まだ発見されていない断層への影響などで地震を引き起こし、原発が危険にさらされない保障はどこにもない。
川内原発を稼働し続けることは危険極まりない。
しかし、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、「不確実性があることも踏まえて評価しており、想定外の事故が起きるとは判断していない」として、今のところ運転を止める必要はないという考えを示している。
まさに安全神話ではないのか。
鹿児島県知事も「世界で最も厳しい基準をクリアーした川内原発である。
現状の地震では何の問題もない」と原子力規制委員会の意見に従う姿勢で、県民の不信・不安には耳を傾けようとしない。
「原発被害者訴訟相双の会原告団を支える鹿児島の会」 Y.T
酪農地帯に「核のゴミ」持込
日本の北、北海道の幌延町で、2001年4月から、原発の使用済核燃料を再処理した後に残る 「核のゴミ」高レベル放射性廃棄物の地層処分研究が行われています。
幌延町は1984年に高レベル放射性廃棄物の研究・貯蔵施設の誘致をしました。
これに対して私たち周辺市町村の住民は「誘致反対」の運動 を展開、幌延周辺6町村では、有権者の7~8割の反対署名を集め、4議会が反対決議を行いました。
近隣の稚内市においても5割を越える署名を集め市議会では慎重決議がされました。
全道的にも100万を越える反対署名が集約され、計画は凍結されました。
「貯蔵工学センター計画」から「深地層研究計画」へ
しかし、国は1998年に「貯蔵工学センター 計画を取りやめ、深地層研究を推進したい」との申し入れを行い、住民は反対しましたが道は、道・ 幌延町・核燃料サイクル開発機構の3者で「計画は20年、核を持ち込まず、終了後は施設を解体、埋め戻す」とする「3者協定」を結び、「深地層研 究計画」を強引にスタートさせました。
「核のゴミ」処分地、国が申し入れ方式に
原発が「トイレのないマンション」と呼ばれているように、「高レベル放射性廃棄物」の処分方法については、2000年に地層処分(300m 以深)と決めただけで、何の見通しもないまま進められてきました。
福島第1原発事故で原発全てが運転を停止しましたが、政府は運転再開のため、受け入れ先のない「核のゴミ」の処分地を決めようと、選定を「応募方式」から国による「申し入れ方式」に変更しました。
幌延町で今起きていること
幌延町「深地層研究計画」は、その期間が20年程度と約束されていましたが、この期間を先延ばし、研究終了後の地下施設の埋め戻しも否定し始めました。
なし崩し的な処分場への危険が強まっています。
「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会」は反対の声を広げています。
火山活動が活発で地震が多発し、地下水の多い日本列島では、核のゴミの「地層処分」という方法自体に科学者から深刻な疑問が出されています。
しかも、幌延町の地層は変動が大きく、泥岩でひび割れが多い、地下水も多いのです。
さらにガスの湧出もあります。
1、避難者訴訟においては、私たちは、繰り返し、「現地検証」を裁判所に求めています。
これは、裁判官が、事件の現場となっている現地を訪問し、現地の様子やそこにいる人の話を聞く等をして、裁判官が語感を通じて事件の内容について把握する証拠調べの方法です。
2、裁判官が、荒廃した街並み、人の住まなくなった家、仮設住宅の苦しい暮らしといった状況について、法廷内で100回話を聞 くより、1回実際に見聞するほうがはるかに理解が進みます。
避難者の皆さんの苦難を、 被害の現場において感じ取ってほしい。
3、しかし、裁判所は、なかなかこの手続きを認めてきませんでした。
今般、2016年4月から裁判官が交替したことを踏まえ、裁判所に改めて私たちは現地検証を必ず、しかも早期に行うことを求めています。
4、私たちは近時裁判所に提出した意見書で次のように記しています。
・現在行われている原告の尋問では、時間 に限界があり、これまでの経験に照らして、各原告の深刻な被害の実相を、各自の被害状況に応じて個別的・具体的に、短時間で十分に明らかにすることは容易ではない。
尋問の 成果を充実したものにするには、裁判所が予め現地の概括的な被害状況を五感で把握しておくことが極めて有効である。
逆に、せっかくの検証を原告本人尋問の後で実施したのでは、その価値が半減してしまう。
だから、検証の実施時期は、5月末から7月上旬という時期に行ってもらいたい。
・検証の対象は、3種類に大別できる。
第1は避難区域であり、避難前の原告の自宅と、周辺の町並みを対象とする。
双葉町の原告の自宅と双葉駅・町役場の周辺、さらに浪江町 及び南相馬市小高地区に所在する原告の自宅と、これら地域の中心部周辺を想定している。
無人の町並みと、荒廃した住宅の状況を検証する趣旨である。
第2に、避難指示が解除された区域である。
楢葉町、広野町において、避難指示が解除されてもなお、地域の社会的機能は回復していない状況と、地域内には放射性廃棄物の広大な仮置き場が点在し、原発関連の作業員宿舎が林立している状況を検証する。
故郷はコミュニティが復旧したのではなく、除染作業の前線になっている。
第3に、避難先の仮設住宅である。言うまでも無く、劣悪な住環境と、著しい生活阻害の現場を見聞する。
5、生業訴訟で、福島地裁が現地検証を行いました。
いわき支部でも、早期に行うよう、私たちはさらに強力に求めていきたいと考えています。
以 上
「福島原発被災地視察ツアー」参加者の感想
2016 年4月2日(土)~3日(日)市民団体「本郷文化フォーラム」が、相双への視察に来ました。 感想を紹介します。
◇津波による被害と原発崩壊による被害とを混然としてとらえていたところがありましたが、改めて原発による被害が基本の問題だと思いました。
無人の浪江町の街並みは、「捨てられた」町のように思いました。
本当は「捨てさせられた」のでしょう。
被災者がまともに人としてあつかわれていないように思います。
「希望の牧場」に行けたのはよかった。…わたしは地域のボランティアで、小学校にいって「よみきかせ」をしています。
絵本「希望の牧場」は、小学校の高学年クラスで読んでいます。
こんどは写真も見せようと思います。 I.S(男)
◇地元のお年寄りは「家族は東京へ行って、80歳を過ぎて一人暮らしは淋しい。一人700万円もらったって、仲間も家族もいなければむなしいだけ。
突然、街からいなくなる人もいる。
立ち退き料として当然なのに『お前らいい思いして』と色めがねや、非難の目でみられてしまう」と語った。K.A(女)
◇国道6号線を走っての被災地見学でした。
取り残された、誰も住まない(住めない)新築したての家や田舎ならではの大きな家、庭先の春の花々を見て「もったいない!」「ここにも、あそこにも」と声を上げずにはいられませんでした。
広範囲の地域での空っぽになった家々、崩れかけた浪江町駅前の商店街、「希望の牛」たち、無人の街の桜並木……。
福島原発事故の底知れぬ恐ろしさを感じました。 M.R(女)
幌延核廃棄物施設誘致に反対する稚内の集会(2頁参照)に、福島の声を聞きたいというので行ってきました。
寒い中多くの方々に参加して頂き感動いたしました。
一時間半、途中誰一人欠けることなく聞いていただきました。自然豊かな北海道まで押し寄せてきている核問題、まして高レベルの最終処分場となれば黙ってはいられない。
完全阻止の取り組みとならなければならないと思いました。福島にもどってからメールにて、こんな感想が寄せられました。
「国分さんが言っておられた、『北海道は放射能のことを気にしなくて良いウンヌン』って話がとても印象に残っています。
福島では五年経った今でも、『あそこのシーベルトはどうだ、このベクレルはどうだ』と常に注意しながら生活しているんですね。
幌延問題を抱えて生活を続けている私としては、とても他人事とは思えないです」
4月15日避難6年目を迎え、浪江から会津に避難している会津浪江会の総会が開催されました。
鈴木宏孝会長あいさつの中で交流を深めより良い環境をつくり元気で頑張っていきましょうと誓いを新たにしました。
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。匿名でもけっこうです。
電話 090(2364)3613 メール(國分)kokubunpi-su@hotmail.co.jp