原発事故被害者「相双の会」会報135号が届きましたので、転載します。
汚染水を「処理水」と誤魔化す
政府も東京電力も、福島第一原発から海に放出しようとしている汚染水を「処理水」と称して国民を誤魔化し続けています。
確かに汚染水を ALPS(多核種除去設備)で処理をしましたが、放射性物質であるトリチウムは除去できず、その他の放射性物質も完全には除去しきれていません。
国内外の原子力施設からもトリチウムは放出され続けていますが、核燃料に「直接」触れて発生したものではありません。
一方、福島第一の水にトリチウム以外の放射性物質も含まれているのは、溶けた核燃料に「直接」触れたものだからです。
原発事故の当事者である政府・東電が「安全・安心」と言っても信用されないので、何とか「外部」「国際機関」のイメージを借りて信用させようと引っ張りだされたのが国際原子力機関(IAEA)です。
あたかも彼らがお墨付きを出したかのように宣伝されますが、IAEAの本分は、核査察などによって原子力が軍事に悪用されることを防ぐことや、原発の安全性を監視すること。
今回の汚染水の放出計画を巡っては、リスクが低いことは明言していますが、「自分たちは(放出の)正当化はしない」ということも言い添えています。
つまり、あくまで責任は日本政府など当事者にあるというわけです。
聞く耳もたない現政権と東電
政府と東京電力は「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と何度も公式の場で約束しておきながら、説明会などで反対や懸念の声がどれだけ出されても、聞く耳をもたず、海洋放出ありきの方針を一向に変えず強行しようと狙っています。
反対者の団体からは嘘と言われようが、復興のために、廃炉のために避けて通れない事であると繰り返すばかりです。
7月に地元の海洋放出反対の市民団体の申し入れにも東電はこんな釣れない回答をしました。
「2015年に福島県漁連に対して回答した、『関係者の理解なしには、いかなる処分も行 わない』との方針について変わりはありません。
引き続き、計画に基づく安全確保や、科学的根拠に基づく情報の国内外への発信、海域モニタリングの強化、風評対策の徹底など、政府の基本方針を踏まえた取組をしっかり進めるとともに、漁業者を初めとする皆さまのご懸念やご関心に真撃に向き合い、ALPS処理水の処分を含めた福島第一原子力発電所の廃炉作業に関する当社の考えや実施計画等について、丁寧にご説明をさせていただく取り組みを重ねてまいります。」
福島県漁連は6月30日の総会で「ALPS処理水の海洋放出に反対であることはいささかも変わらない」とする特別決議を全会一致で決議し、全漁連も6月22日に同趣旨の総会決議をしています。
いずれも4回目の決議です。
こういう状況の中、「説明」を繰り返しさえすれば、「理解」になるとでもいうのでしょうか。
汚染水を安全な方法で対処できる案がある
トリチウム(三重水素)は放射能としては弱いものの、いくら薄めたところで、大量かつ何十年にもわたって放出すれば、海への打撃となるのは明らかです。
水と同じ挙動をするだけに、魚貝類や海藻を通じて人体のあらゆるところに出入りする可能性はあります。
放射線の一種であるベータ線を体の内部で出すので、体中の細胞や遺伝子などに悪影響を与えかねず、決して「風評被害」にとどまるとは言い切れません。
海洋放出は一番安く、手っ取り早い方法だからと政府が決めた方針で、安全は二の次にされたわけです。
福島で開かれた説明会では、「復興を妨げず、風評・実害を拡大させないため、長期の陸上保管を。(原発周辺の)中間貯蔵施設の敷地は使えないのか」などの意見が続出しましたが、政府側の答えは「(原発のある)双葉や大熊の人の状況を考えると言えない」「敷地外への運搬には法律の制約がある」というものでした。
しかし、海洋放出となれば、沿岸漁業だけでなく福島全般のイメージ低下は避けられません。
どうも政府側は補償すれば事足りると考えているように思えてなりません。
また、法律の制約と言いますが、海に大量に捨てるのは良くて、別の場所で安全保管するのは悪いというのは論理的にもおかしいのではないでしょうか。
福島第一原発は敷地が足りない、中間貯蔵施設は2045年までになくす(建前がある)から使えないというのであれば、既に廃炉が決まった10キロほど南にある福島第二原発の敷地だってあります。
森を伐採することになりますが、法律の制約は、政府が適切にステップを踏めばよいだけの話。
多くのタンクは移設が可能です。
130万トン超の汚染水を移送するのはなかなか大変ですが、放出によって福島に大打撃を与えることに比べれば大した問題ではないはずです。
福島第一原発での新規の汚染水発生量は、雨水や地下水対策で大幅に減ってきています。
ですから、既存の汚染水を陸上できっちり管理すれば、トリチウムは半減期が約12年と放射性セシウム(30年)に比べれば圧倒的に短いので、40年管理すればざっと10分の1になります。
その間に、水とトリチウムを工業レベルで分離する技術が確立されるかもしれません。
とにかくこれ以上、福島に迷惑をかけるな!が切なる願いです。
見ると聞くとでは大違い
秋田県鹿角市から原発事故の被災地を視察して感じたことを報告いたします。
今迄も原発被災地へ行って、現地をこの目で確認したいという思いがありながら、なかなか実行する機会がありませんでしたが、今年の春にようやく実行することが出来ました。
諸般の事情もあり、四名の参加でありましたが一泊二日で相双の会の國分さんの案内で、視察することができました。
大体の状況は「相双の会」の会報、各種マスコミを通じてわかっているつもりでいましたが、現地を見ると見ないでは感じるものが全く違いました。
家はあるのに、立入禁止のゲートが設置されていて入ることも出来ない。
この家の人たちはどこにいるのだろうか、それとも家族バラバラに生きているのだろうか、もしかして亡くなった人もいるかもしれないと思うと、悔しいだろうなと胸が詰まりました。
空しい「復興」の現実
建物だけが残っている学校を、玄関のガラス越しに見みると、子供たちのランドセル、靴は下駄箱に入ったままで恐怖のあまり身体一つで逃げたのだろうと想像できます。
その後二度と戻ることもなく、全ての思い出を残したまま避難した状況が見えてきました。
また浪江町の請戸小学校では津波が迫ってくる中で高台へ逃げる様子を語り部の方に伺いました。
間近に迫った卒業式の横断幕が体育館に掲げられていて、その後児童たちは卒業式を迎えることも出来ず仕舞いであったと思います。
日本の原発は安全だ、これまでの地震は全て把握済みと、絶対的な事をいいながら、それが事に及んだら、全く対応ができず、最悪の事態となりました。
今迄、綿々と築かれてきた住み家を、一切の心の準備を出来ない状態で離れざるを得なかったのは、金では補償できるものではなく、更にその補償も色々と理由を設け差別して、この先いくばくもない人達の心を癒せるものではありませんでした。
駅舎は新しく立派になっていても、駅前は家もない、人もいない。
この状態を復興と言えるのでしょうか、この風景を見て、虚しさがこみあげてきました。
被害者向けの住宅も、あたらしいが小さく、人の気配も感じられず、また真新しい小中校舎に児童生徒は20人そこそこと聞きました。
将来を見すえて新築したのか分かりませんが、300~400人の校舎に見受けられます。
公共事業には多額を投入しているのがよくわかりましたが、本当の復興とは違う感じで箱物が独り歩きしているように感じました。
いったいどうする「廃炉」
原子力発電所は国策で電力会社を巻き込み進めてきたにも関わらず謝罪もなければ責任も取ろうとしない。
それどころか最高裁までが忖度し「国には責任がないと」したのです。
現地を視察して憤りを感じました。
これから大きな問題として、廃炉があります。
放射能に汚染された、あの大きな炉をどうやって廃炉にするのか。
どうやって解体するのか。
どうやって処分場へ運搬するのか。
どう考えても分かりません。
その解体作業時には、更なる放射能汚染が起こるのではと、危惧しています。
勿論計画し各種の反対を押しのけて設置した「国」「東京電力」では既に決まっているでしょうから、早く説明してほしいものです。
文責 赤坂隆則 同行者 丸岡孝
文、 倉田 誠、村木美之、
◇電話090(2364)3613
◇メール(國分)
kokubunpisu@gmail.com