原発事故被害者相双の会 会報127号が届きましたので転載いたします。

私(國分富夫)と飯舘村の高橋義治さんは 50 年以上の長い友です。
労働組合の青年部役員、執行委員会などで共に活動してきました。
面倒くさい議論を夜中までし、お互い酒も好きだったので泊りがけで遊んだ記憶があります。

飯舘村は阿武隈山間の村で冬は寒く昔は冷害の多いところでありましたが、稲も改良され美味しい米を生産できるようになり、また飯舘牛はブランド品として全国に知られるようになりました。
自然が豊かで春は山菜、秋はキノコと山が賑わうほどでありました。
私も秋になると高橋さんとキノコ狩りをし たものでした。

食堂が避難者のよりどころに

そんな自然豊かな村が原発事故により放射能で汚染され避難を余儀なくされましたが、高橋さん夫婦は村の殆どの方が避難終了するまで残っていました。
そんな時、私は会津の方へ避難していましたので、たまたま一時帰宅したときに高橋さん宅へ寄りましたところ夫婦二人でポツンと寂しげな顔でいたのが印象的です。

その後、高橋さんは福島市の方へ避難し、 代々食堂を経営していましたから福島市で手打ちうどん(ゑびす庵)をはじめました。
福島市には飯舘村の人ばかりでなく小高、浪江町等々からの多くの避難者がいました。
食堂ゑびす庵は避難者のよりどころとなり、ゑびす庵に行けばふる里の方々に会えることもあり大繁盛でした。
そんな意味では避難者への貢献が大きかったと思われます。

故郷に帰りたい一心で

飯舘村の長泥地区以外は 2017 年(平成 29 年)3月に避難解除されました。
高橋さんは 飯舘村に帰る事を決意し5年8か月振りに ふる里に帰還し昔ながらの食堂「ゑびす庵」を再開しました。
お連れ合いの千代子さんと息子さんはそれほど帰還に積極的ではなかったそうですが、義治さんはふる里に帰りたい一心であったため戻ってきたそうです。

私が思うには一番喜んだのは先に帰還した高齢者の方々ではなかったかなと思われます。
飯舘村は避難を余儀なくされた他町村と同じく帰還者に若い人は少なくほとんどが高齢者です。

私も高齢者の一人ですが、避難先で馴染んだ生活は出来ないものです。
まして田舎は隣近所は家族のようなもので、珍しい食べ物があればお裾分けし、全てにおいて助け合う。
それが当たり前の日常でした。

事故前は日本一の村だったのに

高橋さんとはしばらくぶりに 11 月 21 日 にお会いしたが、一瞬見たときの様子がちょっと違う。
「どうした元気なのか」と声をかけてしまいました。
「いやぁー大学病院に入院していたんだ」と言うのです。
隣町の 川俣町で意識がもうろうとなり病院に運ばれたそうです。
それでも「飯舘村はいいなぁ帰ってきてよかった」。
「原発事故がなかったら若い人も居てもっともっと活気があった。事故前は日本で一番美しい村だと自慢していたが、今では放射性物質で汚染村とまで言われて寂しい」と話します。
肉うどんをご馳走になりとても美味しかったです。
さすが飯舘村のえびす庵です。またきま~す。
(國分富夫)

3月の最高裁判決受け、原陪審の賠償「指針」見直しへ

 

11 月 10 日、国の原子力損害賠償紛争審査会(以下原賠審)は、福島第 1 原発事故の被害者への賠償「指針」を9年ぶりに見直すことを決めました。

最初の「指針」は事故直後に東電と国が定め、その後幾度か補正されたが、2013 年 12 月の「第五次追補」(「中間指針」)を最後 に見直しされませんでした。
原発事故は時が経つにつれて深刻さをますのに、国の怠慢です。

今回見直しに至ったのは、避難者・被害者による損害賠償裁判の成果です。
私ども原発被害避難者訴訟第 1 陣(原告団団長・早川篤雄 副団長・國分富夫)に続き、全国各地で 1 万 人超の被害者が裁判にたちあがり、各高裁で、被害実態を認定し、東電の悪質性を断罪して「中間指針」を上回る賠償を命じる判決が出ました。
そして 22 年 3 月に最高裁は東電の控訴を退けこれらの高裁判決を確定しました。

最高裁の確定判決を受け、原告と弁護団は直ちに最高裁判決を原告だけでなくすべての事故被害者に適用するよう、東電、原賠審に求めてきました。

原賠審は最高裁判決で認められた新たな 精神的損害項目として、
①過酷避難状況による損害、
②ふるさと喪失・変容による損害(帰 還困難区域以外の避難指示区域も)、
③自主避難等による損害、
④放射線量が相当程度に 高い地域に一定期間滞在したことによる健康不安に基づく損害をあげ、新たな「指針に取り込む努力・工夫が求められる」としています。

国は避難指示解除の空間線量率を
3.8μ㏜/h以下だというが


飯舘村 伊藤延由さんの FB から

すべての避難者・被害者が納得いく「指針」を一刻も早く示してほしいものです。
昨日 11 月 23 日の被ばく量:4.2μ㏜、終 日飯舘村内、雨で道の駅のイベントに行ったりでほとんど室内で過ごしました。
事故前な ら 0.05μ㏜/h×24/h=1.2μ㏜で自己遮蔽を考慮すると 0.8~1.0μ㏜程度です。
飯舘村内で生活するという事は寝たきりになって も4~5倍の被ばくになります。
大したことないと言う人もいるが被ばく量は可能な限り低く、が放射線防護の要諦だと思います。
まして子供たちは大丈夫なのか不安になります。

しかし、国は避難指示解除の空間線量率を 3.8μ㏜/h以下だという、この値は年齢に関係ないが本当に大丈夫?、直ちに健康に害が無いだけでは済ませられないではないか、今が良けりゃ、自分が良けりゃーですか。
これに対しメディアの報道を見ないが、国 がいいと言うから大丈夫と言う姿勢に疑問を抱く。

*この FB 投稿を見た東京大学名誉教授の鈴木譲先生から、「伊藤さんの投稿と通じるもの があるように思います」と、「女性のためのたらちね防災プロジェクト」のとりくみが紹介されました。
関心のある方は下記の問い合わせ先に。

「女性のためのたらちね防災プロジェクト」参加のご案内

福島第一原発事故が起きた恐怖を科学的に裏付けした理論的説明ができず「科学的根拠がない」という理由で怖がっていると決めつけられて、その声は学校や社会の中でもみ消されていきました。
それは、見えない科学事故による環境汚染実態が、被災地域の経済的な復興推進の邪魔になるからだと感じています。
災害、そして原発事故は突然起きるもの。
その時、みなさんは子どもや家族をどう守りますか?
東日本大震災発災後、「たらちね」は地震・津波・原発事故の複合災害現場で女性たちが市民科学を駆使し、子どもと家族、そして地域の人々の心と身体を守るために活動してきました。
私たちは、南海トラフ大地震や千島海溝沖大地震、その他の理由で、再び原発事故が起きたとき、被災地域の女性たちが、私たちと同じ苦労をしないように、「知っていれば何かの時に役に立つ防災」を広めたいと思っています。
そのために東日本大震災の経験を活かした「女性のためのたらちね防災プロジェクト」をス タートします。

3.11 で「たらちね」が経験したこと。
それを、みなさんの暮らしに役立たせるため、女性の立場から女性のみなさんにノウハウを共有したいと思っています。
みなさまのお申し込みをお待ちしています。
*申込み締切は、2022 年 12 月 20 日 です。
電話番号 0246-92-2526 担当きむら
申込み/問合せ Email: toiawase@tarachineiwaki.org 件名を「女性防災」としてください。

 

「売地看板」ばかりの避難解除地区


道路、建物が綺麗になってきたが人影は少ない。
昼食時間になると食堂関係は賑わいがあるが休日は休みの食堂がある。
除染労働者など東電関係の労働者食堂になっているからだろうと思う。
本来原発事故前の休日は大繁盛であり、月曜日か火曜日に休みであった。
店舗数は事故前の十分の一、いやぁーもっと少ないかな、それだけ居住者がいない事と高齢者ばかりだと推測される。
また街中には売地の看板が増え、いつまでも減らない。
事故前は売地看板など立てる前に買い手が決まるのが普通だった。

是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。匿名でも結構です。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

PDFはこちらから▶▶