原発被害者相双の会 会報120号が届きましたので、転載いたします。
「ご意見をうかがう」だけだった
原発事故による汚染水放出計画を漁業者・庶民の反対を押し切り策定し、放出強行まであと一年となります。
県の多くの自治体は放出に反対なのに、原発周辺の自治体は汚染水、廃炉の問題を国任せにしているのではないかと危惧されます。
地元自治体こそ「安全神話」に陥ることなく住民を守ることが重要です。
政府は、汚染水放出について一部の専門家でつくる作業部会で検討しただけです。
「決めたから認めろ」とは納得いきません。
漁業者や住民らの意見を聞くために「公聴会」を開催しましたが、形式的でほんの少数の方だけで、それも意見を聞くだけに終わっています。
政府が2年前に開いた「ご意見をうかがう場」でも、農林水産団体などが海洋放出に反対しましたが、座長の経済産業副大臣は「この会は議論する場ではない」と述べ、聞く耳をもたなかったといいます。
このような「公聴会」「ご意見をうかがう場」をいくら開催しても問題解決になりません。
政府は「海洋放出ありき」での開催ですから議論を避け、漁業者はじめ住民に対し誤魔化し「公聴会」でしかありません。
漁民の怒りは沸騰
海洋放出が強行されたら、被害は福島県の漁民だけでなく太平洋岸の漁業全体に深刻な打撃となります。
4月5日に全国漁業組合連合会会長と岸田首相、萩生田経産相が面会しましたが政府から納得いく話はなく、会長は「放出に絶対反対は変わりなし、政府との距離感は同じ」と述べたと報じられました。
国は 300 億円で漁業関係者を懐柔しようとしました。
しかし、それは「風評被害」で値下がりした水産物の冷凍保存などの対策費です。
肝心の漁業者の経営継続への支援ではないことがあきらかになり(4.12 萩生田経産相記者会見)、全漁連関係者は「これまでも梯子を外されてきた」と怒りを新たにしています。
知事・各自治体は市町村民を守る事が第一ではないのか
残念なことに汚染水などについて「国の責任で決めろ」と、国に任せれば安全に「海洋放出」「廃炉」が進むと考えること自体が「安全神話」になってしまっているのではないでしょうか、
福島県の内堀雅雄知事は「汚染水海洋放出を容認するしないという立場にはない」と発言しています。
知事は県民の財産、命と健康を守る「福島県の代表」ではないのか、福島県の自治体の大半は反対なのです。
このような発言には情けなく落胆です。
どこの原発でも放出しているから安全というのか
「もともとどこの原発も処理水を海洋放出しています」などと政府は言っています。
そんなことを庶民は知っていたでしょうか。
処理水に含まれるトリチウムの弊害について報告されていたでしょうか、放射性物質トリチウムの海洋放出なのですからまったく無害とは言えません。
トリチウムの半減期は 12.3 年です。
完全に無害となるには少なくも 100 年を大きく超えるでしょう。
しかも、第1原発は壊れています。
水は炉から溶け出た超高線量のデブリにも触れています。
正常に運転している原発の「処理水」とは全く違うのです。
福島県浜通りは最近たびたび震度3~6の地震に襲われ、壊れた原子炉内の汚染水がどう変質するかは予断を許しません。
豊かな海、豊かな自然をこれ以上汚してはならない
これまで一部の者が利益を上げるために自然を壊し続けてきた結果が地球温暖化となり生物そのものが命まで削り取られています。
今から 11 年前の福島では、山菜、渓流魚を食べ沢の綺麗な水を飲み、芋煮会を家族で楽しめました。
そこになんの不安などなく当たり前の生活でした。
海は休日、仕事帰りに、福島の言葉では「投げ釣り」で、季節によって違うがイシモチ、クロダイ、ヒラメなどが取れ釣り談義に花が咲きました。
この故郷を返せといいたい。
これ以上汚すなといいたい。
(聞いたとおりに方言で書いてありますのでご理解下さい)
思い出の家々が廃屋か更地に
原発事故から間もなく 11 年 2 ヶ月の春爛漫。
桜季節も終わりの山は新緑で山菜が目を出し駆けめぐりたい気分である、
しかし放射能を考えるとそうはいかない。
今日は曇りであるが浪江町から南相馬小高区内をこれまで足を踏み入れなかった地域を歩いて見た。
例年であれば間もなく田植え準備で大忙し時であるが、田畑には人ひとり見当たらない。
遠くにダンプカーと重機が動き、除染作業なのか人の姿が見える。
まばらにある住宅近くに行くとロープが張ってあり、荒れ果てた住宅で人の気配はない。
以前立ち寄った時は家のお婆さんが一人庭先に座り外を眺めていた。
その時に声をかけるとにっこりとして「お茶でも飲んでけ」と言われた思い出の家だが、ロープが張られているので長期間不在であるようだ。
元気でいれば良いのだが。
近辺は家を解体された跡地も多く、立派な家は勿体なく解体できなかったのかなと思われる家もある。
その他は売地、売家の看板がある。
ここにきて、原発事故前であるが小高小学校の教師をしていた先生を思い出し探したら見つかった。
しかし廃家状態になっていた。
また同僚が住んでいた家も更地となり物置らしきものがあるだけだった。
「もう俺は自民党許さんにぇ」
小高区に入ると田圃は綺麗に耕されて
いるところがあるがその他は荒れ地というか草を刈られただけの農地だ。家もまばらで殆ど人影もない。
事故前の様相とは全く違う。
ようやく一人の高齢者とお会いすることができお話しすることができた。
「人影は見当たりませんね」というと、「寂しいです年寄りはいるけど出てきません」「行政もこのままでは成り立ちません。月一回の草刈りなど清掃活動していますが、『自分には無理です』と言って参加しない方も増えている」とのこと、
話はどんどん進み「日本てい国は何なんだ。自分らで原発を進めておいて責任取らねで、裁判でも無罪となる」「原発事故から 11 年もの間、関連死で何人死んでだとおもってんだ」「それに若けいのは戻ってこねいし、戻ってこいとも言わんにぇしな」と、
怒りと悲しさに腹が立っているようだ。
「このままでは小高は無くなっと、よそ者を呼び寄せているようだが、ほんなの本物でねー復興でもねー」。
「市会議員だって誰も廻ってこねいし、あいつら給料とりだな、みんなの話も聞かねーで何が市会議員だ」。
この方の話を聞いて、確かにそう思う。
被害者の声を聴いて議会として行政として何をやるべきなのかの議論であってほしいものだ。
「これだけの犠牲者をだして全て無くしてまだ原発進めんだと、もう俺は自民党許さんにぇ」という。
「体に気をつけて下さいと」言って別れた。
「おらもう逃げね、ここで死んだ方がましだ」
そろそろ帰ろうかと知り合いの傍を通ったら何やら話し込んでいるようなので入り込んだ。
話していた内容は3月16日の震度6強の地震のことだった。
「もしかして福島第一原発が震度6強だったらどうだったかな」と言うと、「避難しなっきゃなんねべ」「おらもう逃げね、ここで死んだ方がましだ」と口々に言う。
多くの高齢者の方々とこれまで話し合ってきたが、同じ言葉が出てくることは避難生活の苦しみ悩みが多かったからであると思う。
「一人娘も東京へ行ってしまった。残されたのは二人だけ、この先なんの希望なく老人ホームなど施設にでも入れてもらうしかね」と寂しげだ。
賠償金払えばすむことではない。
何時も思うことだが、原発事故がなかったらこんな思いもしないで安心した生活ができていたはずだ。
東電は賠償金を払えば事が済むと思っているのか、その賠償金は事故から避難解除されるまでの月 10 万円である。
職業は奪われ全ての財産まで奪われ、解除後は家族が別居生活となり、被害はこれからも何十年も続く。
これが原発事故・放射能公害の被害者の声なのです。
匿名でも結構です。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分) kokubunpisu@gmail.com