原発事故被害者「相双の会」会報107号が届きましたので、転載します。

 

國分富夫副団長が最高裁に要請

3月15 日に福島原発避難者訴訟第1陣原告団副団長・國分富夫他が、弁護団とともに最高裁に出向いて要請をしました。
被告・東京電力は、昨年春の仙台高裁判決を不服 として上告しました。
その理由は原子力損害賠償審査会(原陪審・文科省)の中間指針通りに賠償したので、仙台高裁が命じた追加支払いは認められないというものです。
しかし原賠審の指針自体が加害者の立場にある国が一方的に被害者の声を聞かず定めたものです。
だから最低限の賠償基準でしかありません。
大勢の皆さんが、ADR に訴え、ADR はある程度の救済策を示していますが、強制力はなく、殆んど東電は無視しています。
あとは裁判にうったえるしかないのです。

幸い、昨春の仙台高裁判決以降も、各地裁と高裁で不十分ながら東電と国の責任を認めたり、東電に追加支払いを命じる判決が出ています。
これ自体が現陪審指針がいかに不十分な者かを証明しています。
しかし金額は避難区域の区別に応じて 50 万円ないし 400 万円の範囲で、被害の深刻さに対応するものとはいえません。
特に「故郷喪失」と言う全人格的・全生活的な原発事故特有の被害は全く考慮されていません。

そこでトップを切って最高裁に闘いの場が移った避難者訴訟第1 陣の原告団も、「故郷喪失」の認定が不十分な仙台高裁判決を不服として、最高裁に上告しました。
その上で、最高裁が被告の上告を退け、早期に判決を出すよう求めています。

注目される最高裁判決

通例、高裁から最高裁に移った場合、実質的な審理はせず、一年以内には結論が出されるものと言われます。
しかし今次訴訟ではすでに一年がたとうとしています。
客観的には、福島事故被害を隠蔽し「復興」したかのようにして原発再稼働を目指す政府や電力会社の圧力と、被害者への完全な補償と反原発を求める運動の綱引きの間に、最高裁があるのです。

最高裁判決は、仙台高裁に続く各高裁・地裁判決にも大きな影響を与えます。

原告団は判決がなかなか出されないようであれば、最高裁と東京電力への要請行動も検討することにしています。
その節は東京で応援いただいている皆様にもよろしくおねがいします。

以下最高裁への要請書全文です。

最高裁判所第三小法廷

2021 年3 月15日

裁判官 戸 倉 三 郎 殿
裁判官 林 景 一 殿
裁判官 宮 崎 裕 子 殿
裁判官 宇 賀 克 也 殿
裁判官 林 道 晴 殿

福島原発避難者訴訟第一陣原告団
原告副団長國分富夫

要 請 書

本日は、大変お忙しい中、貴重な時間を割いて頂き誠にありがとうございます。
さて、2011 年3月 11 日の東日本大震災と原発災害「東京電力福島第一原子力発電所苛酷事故」から 10 年が経過しましたが、私たちにとっては残りの人生の多くの時間を削った時間でありました。
今もなお家族が一つの屋根に住めない状況が続いています。
事故以前は三世帯七~八人が寄り添いながら、若い夫婦は近くの企業などに勤め、高齢の親は孫を見ながら農作物の管理をしていました。
自然豊かで公害など考えたこともなく、春は山菜、秋はキノコと自然に親しみ、安心・安全そのものでありました。
最高裁前 左:小野寺利孝共同代表弁護士 右:國分富夫副団長
しかし、原発事故後は一変し、全てを失い夢も希望もなくし、自死する人も多くでてしまいました。
私の幼い頃からの友人は避難中に体調を悪化させ、ふる里へ帰れることを夢見ながらこの世を去りました。
また避難中にふる里へ一歩も踏み入れないまま亡くなってしまった方々は数え切れません。
避難する前は元気に野菜作りをしていたが、避難生活が長引くにつれて痴呆になり施設に入る方も増え、農業一筋に生きてきた高齢者が東京に避難し、一時帰宅したとき変わり果てたふる里を見て絶望し東京の避難先で自死、若い夫婦が戻って農業に意欲もち再開したが、上手くいかないことに落胆し夫婦で自死するなど、悲しい出来事がつづきました。
これはNHKでも放映されました。

相馬市で精神科医クリニックをしている蟻塚亮二先生は「死にたい」「何のために生きているのか分からない」と訴える人が増え「震災後より今の方がつらい」と訴える人も目立ち、 多くの人が疲れきっているように感じる、と話しています。

帰りたいのに、帰れないこの状況なので、「復興している」などと考えたこともありません。
そもそも復興とは何なのか。
事故前に戻すことだとしたら、それはあり得ない。
しかし、いつかは戻り家族そろってくらしたい、元の町で死にたいのです。
考えているとおかしくなりそうです。
戻れないとは分かっているけど、もしかしたらと思うと諦められなく住民票はふる里小高のままです。
「安全か危険か」「帰るか帰らないか」というように、どちらに転んでもおかしくない気持ちがひとつの身体の中に並存し、被害者は日々揺れ動いているのです。
このように何の罪もない被害者を苦しめる原発事故と、謝罪も十分な補償もしようとしない東京電力は許せません。

被害を受けた街は家屋が解体され更地となり「売り地」の看板が立っています。
何百年も続いた私たちのふる里が原発事故により一瞬にして一変してしまったのです。
自然災害とは違い復興は難しく放射性物質は隔離する手立てはないことはご存じの通りです。
それに私たちは事故から 10 年の間、放射能について経験と勉強させていただきました。
自然界に放射性物質が存在し、医療被ばくもあります。
それはさけて通ることはできませんが、それでも被ばくするより被ばくしない方が良いのです。
しかし、原子力発電はウランを核分裂させ、自然界には存在しない核分裂生成物を生成する。
それが原発事故により放出され、自然界にはない最も危険な物質であり、低線量であっても晩発障害が若者や子どもたちに大きな影響があると言われています。
つまり放射能に安全基準がないことを学びました。
3月15日 最高裁前でアピール

 

二〇二〇年三月一二日の仙台高裁判決は、事故の被害者からすれば何十年何百年と続いた先人たちの苦労とそれを住民どうしのつながりの中で受け継ぎ発展させてきた苦労が十分に報いられたものではありません。
ふる里での暮らしとそこでの人間関係全てを失ってしまったことを思うと大変な不満があります。
私は東電の上告に伴い、付帯上告を行いました。
故郷喪失の痛みを、もっと真っ当に評価してもらいたい。
仙台高裁は私たちの痛みに寄り添う内容の判断をしてくれましたが、そうであるならもっと付帯上告した内容は認められてしかるべきです。
しかし、東電が上告し、その理由として「中間指針で十分」と述べ、仙台高裁判決で認められた内容すら否定してきたことに対しては憤りを覚えます。
多くの被害者を路頭に迷わせた責任は重大であり、被害者が求めている賠償額は無理な要求をしている訳ではありません。
東電は高裁判決に従うことは当然です。

「原発事故」はまさに企業犯罪です。
原発は事故を起こしたらとりかえしがつかないと私たちは訴えてきました。
住民の訴えを無視した結果、未曾有の大事故となり収拾のつかない状況になってしまったのです。
謝罪をして責任をとることは事故を起こした以上当然のことです。

私たちは被害者の仲間と悩み苦しみを乗り越えるために「原発被害者相双の会」を結成しこれまで多くの皆さんに投稿いただき 106 号まで発行してきましたので、数部提出させていただきます。

あってはならない原発事故を引き起こした東電の責任と、事故が人生と人の心まで破壊していることを直視し、後世を守るための正義の判決を期待申しています。

原発事故から 10 年ですが、未だに大きな地震のたびに福島第 1 原発は事故の危険に直面します。
特に今年になってから震度 5~6 の強震が連続して起きています。

今年2月 13 日の地震で、燃料デブリを冷やす注水が十分なされなくなり、一号機三号機の水位が低下し、水素爆発を防ぐため格納容器には窒素が注入され圧力が高くなっています。
原子力規制委員会は核燃料の冷却や窒素注入は継続され、現状で安全上の問題はないと言っていますが、素人から見ても一か月以上過ぎても水位低下は続いていること、漏れが大きくなってきていることは確実であり、さらに漏れる量が増えているのではないかと心配されます。
その点検も放射線量が高く確認できないものと思います。

水位低下を抑えることが出来ないとなれば非常に危険であることを意味します。震災の前の 2010 年までの10 年間に観測された地震の回数は 18 万 8766 回でした。
これと比較すると、事故後の回数はおよそ3倍の57 万207回と増えています。
マグニチュード5 以上の地震の回数で見ると、去年までの10 年間に1012 回発生し、震災前の年の10 年間と比べておよそ 5 賠となっているのです
(気象庁の発表)。

廃炉のめどがたたず、膨大な放射性物質が廃墟となった福島第1 原発のなかに、取り出すことすらできず放置されています。
強い振動で何が起こるかわかりません。
「復興」どころではないのです。

このようなデータがあるにも関わらず、各地で原発の再稼働が進められています。
福島第一原発事故の反省もない電力会社・日本。
今度はどこへ逃げればいいのか!自公政権は 教えてください。

ご意見のお願い 是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。
◇電話 090(2364)3613 ◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

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