2月28日に行われた、なのはな生協役職員研修会で、双葉郡楢葉町宝鏡寺の早川篤雄住職にお話をいただきました。
早川住職は「福島原発避難者損害賠償請求訴訟」原告団長をなさっています。
お話いただいた内容を全文掲載します。
「福島の復興はすべての原発の廃炉から」
震災前は、落語やお笑いが好きだったが現在は癪にさわるほど嫌いになった。
何故か「今は笑っている場合か」という思いが強い。
2004年胃の摘出手術をし、10㎏痩せたが5年後には回復し、所有の田畑で農作業もできるようになった。
しかし、避難生活で痩せて胃がん手術後と同じ状態になってしまった。
それに付随していろいろな障害がでてきたので楢葉町の自分の家に戻ってきた。
帰還して何をやるのかは今は考えられない状態です。
町民が避難解除されても戻らない、特に若い人が戻ってきていない。
若い人が戻ってこない地域に将来はなく、消滅していくのは目に見えている。
寺の檀家も5年で5人、お墓ごと移転してしまった。
このお寺を維持していくのも考えられない。
この問題は楢葉町だけではなく、避難区域になった町全部に言えることです。
復興庁が避難解除されたら戻るかという住民意向調査を12年から継続して行っている。
調査によると楢葉町の場合12年8.6%、16年9.8%が帰ると答えていたが、現実に解除したら半分の5%の人しか帰還しなかった。
戻らないと答えた人が25%くらいになっている。
若い人が戻らないから人口減少に歯止めがかからない。
原発に近くなればなるほど戻らないと答えた人の数が増えてくる。
原発周辺の町に将来の展望が開けない状況です。
まさに復興とか再生などとても望める状況ではない。
戻らない理由の代表的な物は2つ。1つは放射線が心配、もう一つは原子力発電所の安全性が心配。
3・11以降、5年経過し福島県以外の場所では収束されつつあると考えているが、地域住民は、まだ原発事故中という認識があります。
現に汚染水対策すら満足に出来ていないし、溶けた核燃料もどこにあるのか分かっていない。
除染で出来たゴミもフレコンパックに詰められ、いたるところに置いてあります。
これも戻らない一つの要因です。
それと第一原発の周辺の大熊町、双葉町に15haの中間貯蔵施設を建設し、ゴミはそこにもっていくと言っています。
仮置き場として30年保管すると言っているが、2000人の地権者の内100人くらいしか交渉がすんでいません。
仮置き場と言っているが、30年経ったら何処に持っていくかも決まっておらず、福島第一原発の中にあると核燃料も行先がない。
このままでは最終処分場になるのは明らかです。
地方新聞に全面広告「高レベル放射性廃棄物の地層処分について知っていただきたいことがあります」と掲載されました。
ゴミ置き場がないので造らなければいけないと言う、これは原発を建設する時からわかっていたことで、最初から原発は「トイレなきマンション」ということで私達は反対してまいりました。
使用済み核燃料の処分はどうするのか、場所はどこになるのか、何一つ決まっていない状態で政策を進めたのだが、未だに解決していません。
深刻な状態になっても解決の糸口すらない。
これも住民が帰ってこない要因の一つです。
現在、福島第一原発は1~6号基まで廃炉が決まりましたが、廃炉にするまで30~40年かかると言っていますが、東京電力の行程表にはある条件が書かれています。
「原子炉施設の解体は、必要な技術の開発、制度の整備、廃棄物処分場の見通し得られているのが前提に」と書かれています。
被災地ではこれは無理という事が分かっているので帰還できないというのが本音です。
帰還については、行政は「避難を指示したのは国です。
従って解除するのも国の仕事です。
解除する理由は帰りたいと思う人が帰れるようにするためにと…」言う。
実際に帰りたいと思う人が帰れるようになりましたが、生活が元に戻らない状況下18年3月で、すべての補償金を打ち切るという誤魔化しがありました。
戻らない人も補償を打ち切るということです。
避難解除指示はこれから補償を打ち切りますよと言っているのと同じです。
反対運動を始めたきっかけは、東京電力福島第一原発が営業運転を開始した40年前に隣の広野町に東京電力の火力発電所が建設されるということで、当時4大公害裁判が行われている時期で、その裁判で原告側が勝訴したり、住民運動が盛んでした。
四日市ぜんそく同様に広野に火力発電所ができたら公害が発生すると考え、今後どうすべきかを話し合いました。
その中で学者を呼んで火力発電所や原子力発電所の勉強も始めることになりました。
話を聞くと、とんでもないことになるということが分かりました。
双方の学者が同意見に「このまま両方の発電所が稼働すれば必ず公害問題を起きる」と経験を踏まえて言いました。
そして住民組織をつくり反対運動をしました。
原発についても詳しく勉強するうちに原発の方が大変なことになることに気づき、署名を集め公聴会の実施を求めました。
当時、中曽根通産大臣に署名を提出し、公聴会が開催されましたが公聴会と呼べるシロモノではなく100%ヤラセのものでした。
意見を述べるために勉強が始めましたが、アリバイ作り公聴会で終わったため裁判を起こすことになりました。
運動は継続しています。
震災当日は生まれてからはじめてのものすごい地震で直観的に「この地震で原発が大丈夫なわけがない、おそらくこれで終わりだ」と感じました。
町は津波警報を流すだけ、原発の放送は一つもなかった。
楢葉町には原発の情報は一切入ってきませんでした。
情報のないまま、次の日朝急に「原発が危ないから避難しろ」という指示がでました。
前の年11月に全電源喪失を想定した避難訓練を行ったにもかかわらず、訓練が活かされることはありませんでした。
スリーマイル、チェルノブイリ原発事故後、防災計画の見直しや原発増設反対を要求したが、意見が受け入れられることはありませんでした。
あらかじめ東京電力は全電源喪失を想定しながら、何も活かされなかった。
ほとんどの避難者は着の身着のままで逃げました。
平均して3~6回くらい避難場所が変わっています。
今も借り上げ住宅や仮設住宅で多くの人が生活しています。
仮設住宅を見た事がありますか?「こんな所に住んでいるのか」と皆さん驚くはずです。
国・東京電力の対応については、双方とも出来るだけ事故は小さく見せて、絞り込んで行って結局最後は見捨てるということをしています。
岩手、宮城を含めて東日本大震災復興基本法の中に福島復興再生特措法があります。
基本理念には原子力災害からの福島の復興及び再生は安心して暮らし、子どもを産み育てることが出来る環境を実現するとなっています。
基本理念の通りならば、若者が帰らない状況を具体的に対応し是正しなければいけない。
国も東電も不誠実で、嘘つきです。
避難した人達に誠実に「原発事故を完全に廃炉にするには半世紀以上掛かります」「この場所は、状況を考えると最終処分場にせざるをえません。その代り○○いたします」「立ち退いていただく場合が生じる住民も出てまいります、その時には○○します」「3・11のような事故が起きないよう最善のことをいたします」といった将来への約束や展望がなければ若い人は戻ってきません。
安心して生活できる環境をつくらなければ戻ってくるわけがない。
特措法には立派なことが書かれています。
そして特措法を作った理由には、この法律は原子力災害により深刻かつ多大な被害を受けた福島の復興及び再生。
その置かれた特殊な事情(原子力災害の甚大な被害にあてはまる表現を持つ言葉が見つからない)とこれまで原子力政策を推進してきたことに伴う国の社会的な責任を踏まえて行わなければいけないと書かれています。
現在76才ですから、次の跡取りの事を考えて、それを生きがいにして暮らしていけたらと思っていましたが、それもかなわないかもしれません。
特措法の理念にはもう一つ、住民一人一人が災害を乗り越えて豊かな人生を送ることが出来る様にすることを旨とすると書かれていますが、この状況で避難命令を解除して、それが出来ますか?
補償金もぶった切られてそれが出来ますか?
何の産業も成り立たない状況で補償金をぶった切られて豊かな人生が送れますか?
このような事を今、しているのが国であり、現在の楢葉町の状況です。
福島復興の大前提は「原発に頼らない福島の復興」を謳っています。
福島第二原発4基の廃炉を求めています。
オール福島の要求です。
再三再四、国と東電に対して「第二原発があると安心して生活できない」と訴えています。
現在、第二原発にも使用済み核燃料が約1万本プールにあると聞いています。
廃炉にする予定がないから置いたままになっている。
廃炉の要求にいけば、東京電力は「国のエネルギー政策次第だ」と答え、一方国にそのことを伝えると「それを廃炉にするかしないかは企業の問題だ」と答えが返ってくる。
何ですかこれは?結局、福島県民の置かれている立場は補償金も切られ、第二原発も廃炉しないなど県民の意見が届かない見捨てられた状態です。
これで私達、戻った者が復興に向けてやる気が起こるでしょうか?
この状態が昨年9月に帰還できるようになった楢葉町の現実です。
今後、富岡町、南相馬市小高地区、川内村の一部が解除され帰還が可能になります。
解除するということは補償金を切りますということです。
半減期や除染して線量が下がったが、除染は家の周り20m四方しか行っておらず、20mを越えると線量が2倍、3倍にもなります。
除染していないから当たり前のことです。
0.8μ㏜/hくらいの場所は、まだまだたくさん存在します。
これでは「20m以内で生活しろ」と言っているようなものです。
楢葉町に帰ってきて、毎日どのくらい被曝しているのかと言えば東京の倍以上の数値です。
この数値だと小さなお子さんを持っている親御さんは考えますよね。これが楢葉町の現実です。
昨年の5月に第一原発の中に入り、3号基、4号基の近くにいきましたが、たった5分間で29.99μ㏜の被曝をしました。
原発労働者8,000人は毎日この環境で収束作業をしています。
労働者の安全が守られていないのも事実です。
充分な危険手当ももらっていない。
収束作業員の安全が守られ、充分な収入がなければ安全に収束する事は出来ないと思います。
日本ではチェルノブイリの事故のようなことは起こらないと言われていました。
(安全委員会)日本で原発立地地域に住民組織があり、それを連帯して原発問題住民運動全国連絡センターを立ち上げました。
内閣府がチェルノブイリ事故後、調査アンケートを実施したところ国民の90%が不安を覚える結果がでました。
それでも原発事故は起こらないと関係者は言い続けました。
全国連絡センターでは「原発大事故つぎは日本」ということを3・11前まで政府や電力会社にその時起きた事例に沿って危険性を訴えてまいりました。
阪神大震災の時にはこの震災に耐えられる原発は54基中1基もないということが分かり、それも申し入れしました。
いつどこで事故が起きても不思議ではないということを働きかけてきました。
原発事故の要因は自然災害だけではなく、現にスリーマイルもチェルノブイリの原因は自然災害ではありませんでした。
一番警告したいのは世界一厳しい安全基準といわれる審査で川内、高浜原発が再稼働されました。
もし本当に世界一厳しい安全基準ならば運転することはできません。
避難計画についても24時間、全方位に目を向けなければ実現できません。
避難範囲が20km~30km圏内で済むとは考えにくい。
当時のシュミレーションでも170km圏内まで及ぶ危険性もあったと言います。
これくらいで済んだのはまさに奇跡中の奇跡です。
このままでは原発大事故次も日本ということになりかねない。
こんなことが2度とあってならない。
そのためにどうすれば良いのかと言うと原発を稼働させないことが需要です。
そのためには住民運動、国民運動しかないと考えています。
福島原発事故はこの地域に甚大な被害を及ぼしましたが、事故の規模はレベル7で最高ですが、被害の規模のレベルはなく、今回は福島の一部が消滅しましたが、今度万が一の事があれば日本全体が消滅する恐れがあります。
原発を稼働させない為には住民運動がますます必要となってきます。