8月6日、本日は70年目の原爆の日。
7月29日に訪問した広島市本川小学校平和資料館の画像です。
本川小学校(当時は本川国民学校)は爆心地に一番近い小学校として大きな被害に遭いました。
入口に設置してあるプレートの文章を紹介します。
本川小学校平和資料館
1945年(昭和20年)8月6日(月)、午前8時15分。原子爆弾は本川小学校の南東約350m・上空約580mで爆発しました。強烈な熱風と放射線をあびた校舎は外部を残して全焼、壊滅し、校長先生ほか10名の教職員と約400名の子どもたちの尊い生命が一瞬のうちに奪われました。
この平和資料館は1928年(昭和3年)に広島市で小学校として初めて建てられた鉄筋3階建ての校舎の一部ですが、原子爆弾の被害を受けた状態をそのまま残し、被爆の「証」として保存することにしました。
展示室には被爆のようすを写した写真と被爆した遺物などを展示しています。また、地下室はここで亡くなられた多くの方々のごめい福を祈る「祈り」の場として残しています。
多くの人々の悲しみと願いが秘められたこの「平和資料館」から、平和の大切さと人命の尊さを学んでいただきたいと思います。
1988年(昭和63年)5月
館内には、平和記念公園の中心に位置する「原爆慰霊碑」の碑文の原本が飾られています。
当時の広島大学文学部教授・雑賀忠義氏の書です。昭和27年8月6日に除幕されました。