い つ:7月14日(月)~15日(火)午前10時~午後6時
ヒロシマ被爆者の手によって描き残された絵
原発事故による被害写真(なのはな生協提供)
日本は世界で初めて原爆の攻撃を広島・長崎に受け、69年になる今でも被爆者を苦しめています。
また、2011年3月東北地方を中心に襲った東日本大地震、それに伴う大津波は青森から千葉の沿岸に大きな被害をもたらし、東京電力福島第一原発事故は、広範囲に放射能をまき散らし、3年以上たった今でも住みなれた故郷に帰れなく多数の避難生活を余儀なくされています。
核兵器が人類と共存できないのはもちろん、原発は絶対安全とは言えません。全ての原発の廃止と核兵器のない安心して暮らせる社会の実現を目指していきましょう。
朗読・語り部:14日(月)15日(火) 午後2時-4時
「朗 読」絵本の読み語り
「語り部」被爆者による体験談
「原爆の絵展」賛同人・ボランティアを求めています。連絡は下記まで
主催:市川平和のつどい原爆の絵展ネット
(賛同団体)市川被爆者の会・市川教職員組合・なのはな生協・憲法ネット市川・この本だいすきの会・東葛ふれあいユニオン
連絡先:市川眞太 047-370-9646
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この絵展は、なのはな生協がその趣旨に賛同し協力しています。
会場には6月15日に福島県浪江町を訪問した際の写真も展示されています。
その内容を紹介します。
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~福島を忘れない(浪江町を訪ねる)2014.6.15~
福島県浪江町は、町の多くが帰還困難区域、居住制限区域になり、2万1千人の全住民が避難している。
福島第1原発から中心市街地までは8㎞ほどの距離にある町だ。
6月15日、浪江町商工会会長の原田雄一さんに案内をお願いした。
浪江町に入るには、通行証と同町内に居住している方の同伴が条件になっている。
原田さんも二本松市に避難しているため駅前で待ち合わせ、国道114号を通り浪江町に向かった。
二本松市から川俣町に入り、暫くするとガイガーカウンターが鳴り続ける状態(2.5μ㏜/hで鳴り出す設定)となり、
浪江町に入るころには車の中は6μ㏜/hの値を示していた。
原発事故によって大量の放射性プルーム(放射性雲)は、北西方向に流れた。
この流れた方向に沿って町があるため、放射線量が非常に高くなっているのだ。
市街地に入った。
車はおろか人っ子一人いない。
風によってトタンがギイギイときしむ音、警戒中の消防車の鐘の音が異常な状態を一層際立たせていた。
原田さんは、「日曜日だというのに誰も片づけにも来ていないのだな」とつぶやく。
新聞店を覗くと、2011年3月12日付の朝刊がうず高く積まれていた。
避難区域が3㎞圏内から10㎞圏内に拡大されたのは同日5時44分。
慌ただしく非難した様子が伺える。
「誰もが3、4日すれば帰宅できると思っていた。ところが、そのまま帰ることができなくなってしまった」。
家屋の1階を押しつぶされた畳屋さん。
入口のドアさえなくなり、豚に荒らされたお米屋さん。
段々傷みが激しくなり、最近壁が崩れ落ちたというJA支所などなど。
あえて言わせて頂くならば廃墟の町だ。
時計屋さんをしていた原田さんの自宅も伺わせて頂いた。
家の中は足の踏み場もない状態。「自宅に帰っても切ないだけ。」とポツリ。
原田さんが、帰りに自宅を出てドアに鍵を閉めている後ろ姿は、痛々しく感じるほどだった。
車中で「仮設住宅は入居から3年が経ち、床はブカブカになっている。隣の声は筒抜けだ。
そんな中で、県は『大変だから復興住宅造ってやるから、それでいいべ』という態度だ。
『帰還、帰還』と言うが、(年間被ばく線量が)1㍉シーベルトでも安全だとは言い切れないのに、リスクについては一切語らない。
ふるさとだから誰だって帰りたいのは当たり前だ。
でも帰還を希望している人は、2割程度しかいない。
実際は、帰還する人はもっと少なくなるのではないか。
コミュニティーの回復など全く考えていないのだ」と、原田さんは怒りを抑えるかのように話された。
請戸、棚塩と呼ばれている海岸地区へ回った。
500世帯程の住宅があったそうだが、見渡す限り草茫々で原野の如くなっていた。
この地域では津波によって182名が犠牲になった。
昨年の7月までは立ち入りができなかったので、まだたくさんの船や自動車が流されたままになっている。
そこに、鈴木さんという親子がいた。
「ようやく船を片づけることになったので、写真を撮りに来た」と話された。
原発事故は、津波の上に更に酷なものを押し付けた。
福島第1原発から4㎞程の距離にある請戸小学校に回った。
時計は、3時38分を指したまま止まっていた。
津波の到来した時刻だ。
「請戸小学校讃歌」の一節に「西には、古の歴史を秘め 緑豊かに横たわる大平山
北、鮭の遡上の請戸川 四季の巡り美しい故郷、請戸、請戸麗し」とあった。
原発は、歴史さえも消し去ろうとしている。
ここに謳われている自然はいつになったら取り戻せるか。
未来ある子供たちを追い出してまで原発は必要なのかと、考えずにはいられない。
帰りに常磐線の踏切の真ん中に車を止めた。
鉄路は真っ赤に錆び、数メートル先からは草でびっしりと覆われていた。
ここを列車が通るのはいつの日か。
安心して列車に乗れる日まで福島を忘れてはならないと、改めて決意した。
なのはな生活協同組合
理事長 加瀬伸二