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福島視察(生協役職員研修会)

2015年2月21日22日の2日間、「決して福島を忘れない」と題してなのはな生協役職員研修会が行われました。
現地に赴き、福島の現実と原発事故の恐ろしさを再確認し、多くの組合員に広めるための研修です。

21日に行われた福島県郡山市の会場での学習会の模様です。

「福島第一原発事故の今、そしてこれから」河田昌東(かわだまさはる)氏
(「チェルノブイリ救援・中部」理事。 河田昌東さんは分子生物学者であり、生物の営みを分子レベルで解析する専門家です。名古屋大学理学部で研究生活をしていた1970年代、四日市ぜんそくの調査に当たったことを機に、各地の公害問題に科学者の立場から取り組んできました。チェルノブイリ原発事故の後は、ウクライナの被災地で、医療支援や農地の再生などさまざまな活動を続けてきました。そして「チェルノブイリで学んだことを日本に還元したい」という強い思いから、いまは福島の農業再生のお手伝いも始められています。)

講演では、河田氏の活動についての紹介や、福島原発事故の収束とは程遠い現在の状況、将来に渡り予想される放射能の人体や環境への影響についてのお話や、質疑応答のお時間もいただき、職員からの質問に丁寧にお答えいただきました。

 

 

「有機農業による地域の力と市民の力」菅野正寿(すげのせいじ)氏
(NPO法人福島県有機農業ネットワーク理事長。NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会理事。有機農業を基盤とした地域づくりに尽力してきた最中に東日本大震災ならびに福島第一原発事故が発生。現在は放射能対策にも取り組みながら、地域循環型社会の実現に励んでいる。共著に『脱原発を創る30人の提言』『放射能に克つ農の営み』。)

菅野氏からは、精魂込めて有機農業で丹念に土づくりをしてきた畑が汚染される、その想像を絶する苦しみが始まった日から今日までの軌跡や、その過程で紡がれていった生産者と生産者、生産者と消費者などのネットワークについてお話いただきました。

 

 

「原発事故以降の子育て」秋元理永氏
(福島県郡山市梅の木保育園栄養士。なのはな生協が福島子ども支援として毎週野菜をお届けしています。)

秋元氏からは、震災前と震災後の子どもたちを取り巻く環境の変貌ぶりを現場の視線で語っていただきました。


土に親しむことができなくなってしまった園児たちに、大根はこのように土に植わっていると知ってもらうための手作りのオブジェです。

外遊びが制限され、思いっきり体を動かす機会が減ってしまった上、「ほうしゃのう」という大きな不安を心にかかえる子供たちに現れる様々なストレス症状や、保護者の方々の苦悩などについて、静かな口調で私たちに伝えてくださいました。

 

「原発事故避難者の実態~放射能が見えればいい」國分富夫氏
(原発被害者相双の会会長、福島原発避難者訴訟第一陣副団長。自宅は南相馬市小高区岡田、現在は避難先の福島県会津若松市に暮らす)

國分氏からは、原発事故から4年になろうとしているのに避難生活の苦しみは震災当時と変わらないどころか酷くなっている状況などをお話いただきました。自殺を含め震災関連死は増えていく一方であり、福島と同じことが起きないように原発は絶対に止めなければいけないと語られました。

 

◇講演会を振り返って

皆さんのお話を聞いてまず最初に感じたことは、被災地の現状は当時とあまり変化がないという事です。多くの方の、普通の生活ができない苦しみ悲しみの気持ちが伝わってくると同時に反原発の思いがより強くなりました。地震大国の日本でそもそも原発を運用していくことは不可能であり、人間の技術でコントロールすることができない放射能を伴う原発を建設・稼働することは許されることではないと思いました。とにかく国民の命を最優先に考えることが重要であり、日本の未来を守っていく手段を国民一人ひとりが考えなければいけない時代を迎えていることを改めて思い知らされました。なのはな生協職員 工藤貴史

原発事故が起きてやく4年、故郷を追われ苦しんでいる方がたくさんいる状況を知り、自分はもちろん国民はもっと目を向けるべきだと思いました。生産者は、放射能汚染や風評被害にも負けず、より良い食材を届けようと顔の見える関係に勇気づけられ、がんばっている姿が目に浮かぶようでした。なのはな生協職員 藤光則

4年経った今も自分の家に帰れず、生活の基盤をすべて失った多くの原発事故避難者の実態を話してもらい、未だに原発事故が収束していないことを感じた。生活と言えば変わらないというより、むしろ悪くなっている。避難によるストレスからくる病死、自死が未だに後を絶たない。新聞報道もされず、原発事故があたかも終わったような、そんな状況を知らずに再稼働を許す自治体、この状況を実際に見て欲しいと思う。もとの当たり前の生活を求めて裁判闘争をしていると言う。人間が人間らしく生きるために東京電力と国にきっちりと責任を取らせる。完全勝利のために自分たちにも何ができるだろう。自分の事のように考え、応援します。なのはな生協理事 涌井修

 

 

翌日22日は福島県の生産者さんを訪問しました。

福島県須賀川市にある、つくる人と食べる人をつなぐ農業集団「Jラップ」の伊藤社長です。

「顔の見える」直接販売の独自流通システムを確立し、中間流通の簡素化と年間を通した安定供給のネットワーク化を構築し、農業技術や情報の収集、質の高い生産管理で高品質の米、野菜、果実、加工品を提供しています。原発事故が起こり苦境に立たされましたが、負けることなくあらゆる対策を施し、厳しい検査を経た商品を出荷しています。

お米の乾燥設備です。太陽光を上手く利用します。

関根専務からは、来月からなのはな生協でも供給予定のドライフルーツについてお話いただきました。下は乾燥室です。

たしかな機材、たしかな技術。Jラップの農産物は信頼とともにお届けしています。

 

 

西白河郡矢吹町にある大木代吉本店です。

震災からもうすぐ4年、未だ完全復興とはなっていませんが、伝統を守り抜いた酒造りは継続しています。

時間の都合で、見学だけとなってしまったのが残念でした。

 

◇研修会を振り返って

今回の研修会で、まず感じたことは、出会う方々皆さんが前向きだったことです。不満や文句ばかりと思っていましたが、そんなことはなく、今出来る事、そして、これから先出来る事を考え、行動していると感じました。今回の研修会がなければ今の福島の現状、原発がもたらしたリアルな被害を知る事がなかったかもしれません。自分の無知を恥じてこれからは組合員へ学んだ事を伝え続けたいと思います。
なのはな生協職員 脇舎 誠

4年という月日が重く感じました。「もう4年か」と先生方のお話を聞いていた時は感じたのですが、その時点ですでに風化されつつあるように思います。僕達が過ごしてきた4年と被災者の方が過ごされてきた4年は原発というキーワードのみで、180度と言っていいほど変わってしまった…そう言えると思います。寝ても覚めてもすぐそばに”それ”が存在するのは、ストレスとか悲しみとか一言では言い表せない感情だと思います。僕達にできることは何か…それを考えた時に「伝えること」が一番なのかなと感じました。戦争があったこと、過去にも天災があったこと、みんなが知っているのは誰かが伝え続けてきたからだと思うので、何が変われるかは分かりませんが、伝えることが僕達にも誰にでもできることなのかなと思いました。
なのはな生協職員 佐藤 峻

原発事故により様々な人の生活が大きく変わってしまい、その影響を一番大きく受けたのは子供達だと思う。大人はある程度の適応力はあるが、まだまだ小さい子供達は何が起こっているかもわからず、本来体験する予定だった様々なことも体験することができない。今送っている日常生活が普通の生活ではないことも理解できない。これが一番かわいそうだと感じる。これから年月が経ち社会に出た時、幼少期の体験不足が原因での適応能力、感受性の不足などの影響が出ないのかとても心配になった。
なのはな生協職員 石川寛之

 

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