原発事故被害者相双の会 会報128号が届きましたので転載いたします。
原発事故被害者の皆さん、全国の支援者の皆さん。
2023年頭にあたり、皆さんのご健勝を祈念いたします。
原発事故から間もなく 12 年になりますが、これほど長く苦しめられるとは誰が予想したでしょうか。
放射能汚染が続く限り、苦しみは続きます。
破壊された地域が元に戻ることは決してありません。
思い返せば、かつて原発が誘致されるとなったとき、立地町村の議会は諸手を上げて賛成しました。
原子力発電所とは、どんな物かもわからない状況であり、出稼ぎもしないで済むので、議会決議はやむを得なかったかも知れません。
私自身も、原発は素晴らしいものだと思っていましたから、何のわだかまりもありませんでした。
不安を感じた人はどれほどいたでしょうか。
原発がいったん稼働すれば放射能漏れなどの事故・トラブルは大なり小なり付きものです。
私がその危険性を理解したのはずいぶん後のことで、反対集会や抗議集会、学者先生の説明などを聴いてからのことでした。
誠に悔しいことですが、身近に「原発ほど危険なものはない」という方もおりました。
しかし、当時の私は、勉強会に来るよう呼び掛けられても気が進まず、参加しても理解ができずにいました。
そんな中で原発の放射能もれ等の事故があり、その度に開かれる反対集会、抗議集会に私も参加し、学者の説明などを聴く事が多くなり、だんだん「原発は危険なのだ」という認識になりました。
忘れもしない 1973 年(昭和48 年)9月8日、福島第2原子力発電所建設を推進するための公聴会が福島市で行われ、「誤魔化し公聴会」であることは明白でした。
そのため、当日は、会場を取り巻くほどの大集会となりました。
しかし、国は、原発の危険性を指摘する国民の声を一切聞き入れないばかりか、「安全神話」の下で、原発を「国策」として推進してきたのです。
その悲惨な結果が、福島第一原発事故です。
にもかかわらず、2022年6 月17 日、最高裁は「国に事故の法的責任はない」と不当判決を出してしまったのです。
この判決に、原発公害被害者はもとより、国民の誰が理解できるでしょうか。
事故から 12 年になろうとしている今日、私たちの故郷は、若い方が戻れる環境にありません。
多額の税金を使い移住者を募ったり、原発関連や「復興」工事の労働者を一時移住させ、あたかも被災地域ににぎわいが戻ってきたかのような演出をしたりしていることに、私は強い違和感を覚えます
地域は汚染され、住民のつながりは壊されました。
このところ、国は避難指示を解除することに躍起です。
特に帰還困難区域では、巨額の資金を投じて除染をしても相当高い汚染が残ります。
程度の差こそあれ、既に避難指示が解除された地域も同様です。
私たち原発避難者訴訟は、「あやまれ・つぐなえ・なくせ放射能汚染」のスローガンを掲げて東京電力㈱の加害責任を追及してきました。
最高裁決定で原告勝訴の仙台高裁判決が確定し、東京電力㈱の公式謝罪の表明を受けとりました。
しかし、「国に事故の責任はない」との最高裁判決は、絶対に納得がいきません。
私は、悔しくて、悔しくて、国の責任追及を諦めることは出来ません。
今後は、再び原発過酷事故を起こさないためにも、現在の法的責任を明らかにする原発公害国賠訴訟の闘いを我が事として支援しつつ、国の新たな原発推進政策に反対する広範な国民運動の一端を担って活動したいと決意を新たにしています。
以 上
無責任な汚染水海洋放出やめよ
福島第一原発に増加し続ける高濃度汚染水は、三重水素(トリチウム)が酸素と結合してできる重水は普通の水と分離することが至難であり、半減期は12.3年である。
体内に入るとDNAを傷つける。
汚染水を濾過している多核種除去装置(ALPS)でも全く除去できない。
タンクに貯蔵された量はすでに120万トンを超えたと言われているが、初めから海洋放出ありきで、なんの対策もしてこなかったのが一番の原因ではないだろうか。
政府はかねてから「有識者会議」に五つの処分方法
①水で希釈しての海洋放出、
②気化させ薄めて大気への水蒸気放出、
③電気分解で水素を分離し薄めての水素放出、
④地中のコンクリートの部屋にセメントと混ぜて流し込む地下埋設、
⑤深い地層内に圧力ポンプで送り込む地層注入
を提示させ、原子力規制委員会によって、東電や国の負担が最低となる①に誘導してきた。
そして人体や自然に及ぼす悪影響が指摘されても、強引に進めてきた。
2022 年 11 月に、福島第一原発から来春に海洋放出される ALPS 処理水(汚染水)の風評被害対策費として、政府が500 億円規模の新たな漁業者支援基金をつくることが報じられた。
真に安全であれば対策費は不必要なはずだ。
福島県富岡町、郡山市、都内で開いた「公聴会」では、「放出ありき」の方針に批判が続出した。
敷地外に捨てるいずれの方法にも反対する意見が圧倒的だった。
福島県漁協連合会の野崎哲会長は「試験操業で積み上げてきた水産物の安心感をないがしろにする。海洋放出されれば福島の漁業は壊滅的な打撃を受ける。築城10年、落城1日だ」と強く反対した。
関連する漁業は福島だけではない。
高濃度汚染水の中の放射性物質はトリチウム だけではない。
ALPS等の運転が不安定だった時には、ストロンチウム90(半減期28.8年)やセシウム137(同30.0年)がかなり出ているし、半減期1570万年のヨウ素Ⅰ29や、同21万1千年のテクネチウム99等は常時ALPSを潜り抜けている。
『トリチウム安全神話』はあくまで、トリチウムを捨てる側の立場で語られているということも忘れてはならない。
解除されても油断禁物 旧帰還困難区域で見た現実
東京新聞編集委員 山川剛史
東京電力福島第一原発の廃炉作業はノロノロ状態ですが、高濃度汚染水を処理した水を海に捨てるための工事は着々と進みます。
一方、原発周辺の被災地では、帰還困難区域のいくつかで避難指示が解除され、来年はさらに解除が進む予定です。
被災地を見続けてきた一人として、実感を書かせていただきたいと思います。
2022年6月には葛尾村野行地区と大熊町の大野駅周辺、8月末には双葉町の双葉駅周辺のいわゆる復興拠点区域で住めるようになりました。
さらには、1月から富岡町夜の森地区、9月からは浪江町の津島、室原、末森の3地区、飯舘村長泥地区の拠点内で、届ければ夜間も滞在できるようになりました。
各地区とも23年春以降、避難指示が解除される見込みです。
ふるさとに帰って住んでもいい、という選択肢ができたこと自体は良いと思います。
巨額の公金をつぎ込んで除染をし、それなりに放射線量が下がったことも事実です。
ただし、日々現地を歩いて実感するのは、15年に楢葉町が解除されたころと比べ、大幅に解除の条件が緩くなったことです。
当時は年間被ばく線量が1ミリシーベルト以下(線量計だと0.23マイクロシーベルト/時が目安)に収まるよう、入念に除染され、チェックも厳しかったです。
当時はまだ放射能の半減期が短い放射性セシウム134(半減期は2年)がかなり残っていたので、解除後も線量はそれなりに下がりました。
ところが、昨今では年間被ばく線量が20ミリシーベルト(目安は毎時3.8マイクロシーベルト)を確実に下回ればいい―が国の基本的な基準です。
この基準値はあまりにも高い(緩い)と思います。
毎時3.8なんて値は福島第一原発の中でさえ、原子炉建屋周辺や汚染がれきの集積場近くに行かないとなかなか出くわしません。
しかも、事故から約12年が経ち、半減期が約30年と長い放射性セシウム137がほとんど。
線量の“減りしろ“がほぼなくなりました。
この後は、追加除染や覆土など人が手を加えない限り、実感できるほど線量は下がりません。
国や自治体の事情も理解はできます。
年間1ミリシーベルトで縛ってしまうと、解除できる場所がほとんどなくなり、いつまでたっても居住再開への道が開けないからです。
時間が経つほど、帰還の意欲を萎えさせてしまうのも分かります。
それは分かりますが、とりわけ大熊、双葉両町の復興拠点の避難指示解除については、無理に無理を重ねたなというのが実感です。
例えばJR常磐線大野駅の周辺。
かつては商店がびっしり並んでいましたが、現在はほとんどが解体され、ただの平地に駅舎だけが立つ状態です。
ここまで街並みを徹底的に破壊しても線量はまだ毎時0.6マイクロシーベルトほどあります。
測定していて、「ここまでやってこの程度か…」とため息が出ます。
測定していると、植栽や路肩の吹き溜まりになりやすい場所、泥上げした所など線量が急上昇する地点がいくつもありました。
国の基準である毎時3.8マイクロシーベルトは下回っていましたが、土壌を調べてみると、軽く10万ベクレル/キロ超の危険な土壌ばかりでした。
双葉町は全般的には大熊町より線量が低めでしたが、北側の高台住宅地では山に近い所は面的に毎時3マイクロシーベルトを超えていました。
帰還された方もいますが、この状況を放置していいはずはありません。
(詳しくは本紙ホームページ「原発のない国へ」の被災地の項に収録してあります)
最近、大学生と話す機会が何回かあり、「避難指示が解除されたから安全になったと思っていました」と言う方が多かったです。
でも現実は「改善はされたけれど油断は禁物」が正しい認識です。
写真説明
いずれも JR 常磐線大野駅東口のほぼ同じ地点
上は解体が始まる前の 2016 年、下は 2022 年 10 月末に線量調査をした際の映像(はめ込み合成)