原発事故被害者「相双の会」会報64号が届きましたので、転載します。
尊厳の回復と電力会社の責任を問う
「被ばく労働を考えるネットワーク」
渡辺 美紀子
原発事故の収束作業労働者の問題を、同じ被害者として私たちも知らねばなりません。
「相双の会」会報の読者である渡辺美紀子さんが、「週刊通販生活」に寄せた報告を本会報に転載許可していただきました。
以下一部省略して転載します。
東北、福島の人たちの力になりたい!
2月2日におこなわれた第1期口頭弁論では、「人前に立つのは苦手」というあらかぶさんが証言台に立ち、裁判官(東亜由美裁判長) にしっかり対面して、提訴するに至った思いと裁判への決意を力強く訴えました。
2011年3月、東日本大震災が起きた当時、 あらかぶさんは 36歳。高校を退学し、17歳 から鍛冶見習いとして働きはじめ、途中他の仕事に就いたこともありましたが、北九州で鍛冶工として働いていました。
テレビで繰り返し流される津波の映像、福島第一原発の大変な状況に胸を痛め、すぐにでも現地に駆けつけたいと思いましたが、生活が精一杯だったのでボランティアはできませんでした。
4月になって、仕事仲間から「福島原発事故の収束作業を手伝わないか」と声をかけられ、 あらかぶさんは自分の溶接技術が 福島の人たちの役に立てるのなら力になりたいと思いました。
でも、健康を心配する妻と3人の子どもたち(当時7歳、5歳、2歳)からは「行かないでほしい」と言われて悩みました。
でも、あらかぶさんは「これは行かにゃならんだろう」と約 15人の仲間とともに福島に向かいました。
ずさんな安全管理、作業現場の実態
原発事故の作業現場に入って、あらかぶさんはその管理のずさんさに驚きました。
2011年11月~12年1月まで従事した福島第二原発4号機建屋の耐震化工事では、作業員にAPD(警報器付き個人線量計)が渡されませんでした。
唯一APDを持つ現場監督は警報が鳴っているのに「だいじょうぶ」と言って 警報を解除してしまうなど、でたらめな作業が行なわれていました。
放射線管理区域に36日間立ち入ったあらかぶさんの被ばく線量は0mSv と記録されています。
2012年10月13年3月、福島第一原発4号機の原子炉建屋のカバーリング工事では、 放射線防護のための鉛ベストが足りず、あらかぶさんたちは鉛ベストなしで作業をさせられました。
92日間で 10.7mSvの被ばく。
2013年5月~12月は福島第一原発の雑固体廃棄物焼却施設設備建屋などの設置工事で作業し、148日間で4.98mSvの被ばくをしました。
また、あらかぶさんは 2012年1月~3月、九州電力玄海原発 4号機の定検工事で余熱除去配管の取り換え工事に従事し、51日間で 4.1mSvの被ばくをしています。
記録されているあらかぶさんの累積被ばく線量は 19.78mSv(うち福島原発で15.68mSv) となっています。
しかし、放射性物質が飛散する現場の放射線計測は十分ではなく、内部被ばくの評価もされていません。
玄海原発4号炉では研削機を使って配管を解体しているので放射性物質を含んだ粉塵を吸い込み、内部被ばくも相当あったと考えられます。
つらい白血病治療が始まり うつ病も発症
2013年12月中頃から、あらかぶさんは発熱が続き、咳が出て風邪のような症状に悩まされるようになりました。
年末にいったん北九州に帰り、地元の医師の診察を受けましたが、風邪との診断でした。
しかし、年が明け て 14年1月10日、福島原発の作業に復帰するために受けた電離放射線健康診断(放射線業務に従事する者が定期的に受ける健診)で白血病と診断されました。
意見陳述書であらかぶさんはこう語っています。
「目の前が真っ暗になりました。白血病は血液のがんで、死ぬ確率がきわめて高い病気ですから、もうダメだと思いました。
子どもたちもまだ小さいのに、なんで自分が死ななきゃならないのかと思うと、涙があふれました。
それからとてもつらい治療が始まりました。
抗がん剤治療で髪の毛、まゆ毛など体中の毛が全て抜け落ち、毎日大変な吐き気、高熱に悩まされ、爪もボロボロになりました。
さらに 24時間モルヒネを打たれている状態なので、ずっと船酔いしたような体の感覚でした。
また週に1~2回、血液検査のための骨髄穿刺では、手回しのドリルで胸や腰の骨に穴を開けて骨髄を採取するのですが、それも大変に辛いものでした。
そして、死ぬかもしれないという恐怖や、 妻と子どもたちを置いていくことになるのかという悔しさから、夜も眠れない日が続き、 最後にはもう生きていてもしょうがないん じゃないかとまで思うようになりました。
この時期に、うつ病との診断もされました。
それでも、妻と子どもたちのためと思い、 辛い治療にもなんとか耐えて頑張ったところ、 2014年8月には退院することができました」
2016年5月にうつ病も労災認定され、今も働けない状態が続いています。
責任逃れの東電らの姿勢に憤り
東京電力と九州電力はあらかぶさんの訴えを否定し、全面的に争う姿勢です。
第2回口頭弁論(4月27日)で、東電は「原告が受けた放射線被ばくと白血病及びうつ病との間に 事実的因果関係が認められない」と、国が認定した労災すら否定する内容の陳述を行ないました。
あらかぶさんの被ばく線量が「相当量=100mSv」に満たないので因果関係はない、 「速やかに棄却されるべき」などと、愚弄しきった主張をしています。
あらかぶさんが1年半で被ばくした 19.78 mSvは、白血病の労災認定基準(5mSv×従事 年数と被ばく開始後1年以上で発症)を大きく上回っています。
しかも作業環境は劣悪で、実際の被ばく線量は記録されているもの以上であることは明らかです。
さらに従事期間中 の生活環境での被ばくもあります。
また、急性骨髄性白血病は 100mSv 以下でも放射線被ばくによる有意な増加を示すという疫学論文 (科学的データ)は数多く存在します。
自身の尊厳の回復と「働く仲間があとに続けるように」との思いで自ら声を上げたあらかぶさんの裁判は、絶対に負けるわけにいきません。…以下略。
(カタログハウスウェブサイト『通販生活』 から転載)
原発事故からまもなく6年半、原発周辺の住民は何時また放射能放出事故が起きるのか 不安のまま生活してきました。
若い方、特に子育て盛んな方たちは安心安全を求めて遠く離れていきました。
各自治体等には放射線測定器があり、住民の方々は食品の測定をして 食べられるか食べられないか判断をしています。
この度、株式会社サードウェーブ(放射線測定器)様から寄贈して頂き我が家へセットしました。
ウクライナ製のとても精度の高い機種だそうです。
測定器セットアップには京都大の今中哲二先生に遠いところお越し頂き有り難うございました。
今後は測定器を最大限活用してデーターを作成して、活用出来るようにしたいと思って います。
國分富夫
各地から「相双の会会報」へのおたより
こうしたことが何十万人にも起きているのに、誰も責任を取らないし、処罰もされないなどということはあってはならないと思います。
ましてや加害者は原発の再稼働をするなどというのですから、何としても責任を取らせたいと願います。
果てしのない苦しい闘いですが、ご活躍ください。(小出裕章)
お蔭様で、トリチウムの事についても知る事が出来ました。
蟻塚先生の記事にも感動しました。
仲間に拡散しました。
本当に苦労されているのですね、改めてというのは申し訳ない言葉ですが・・・。
日本は本当にどこへ行くのでしょうかね。(廣島 齋尾)
ご家族が受けたダメージの大きさ、悔しさ、国や東電の無責任への怒り、失われた故郷の思い出への郷愁、そのすべてが私の心にぐさりときました。
被害経験者の生の訴えほど説得力のある話はありません。
梅雨が明けたら私もある目的をもって県内を巡回する予定をたてています。
小高の上町、東町の復興住宅も訪問したいと思っています。(矢内)
蟻塚亮二さんの 遅発性 PTSDという見解は、さもありなむと思いました。
恐怖体験が後になっても出てくる、意識下に潜っても忘れられなかったものが突然出てくる、そうしたときの治療法は難しいのでしょうね。
福島原発事故の被害地でも将来的に出てくる可能性があるとしたら行政はそれを予防する手だてを行う必要があると思います。
原発に賛成でも反対でも事故が起こればひとしなみに放射能が襲いかかる、わが柏崎の人々にこれからも訴え続けて行こうと思っています。(新潟柏崎 A)
お孫さんが祭りのパンフレットを車の中で見て泣いていたこと、奥様が暗くなり、小高の自宅を壊すときに泣き続けていたこと、住み慣れた地で人間関係を大切に作ってきた歴史と財産を奪われたこと、原発さえなければと思うと私も涙がでてきました。
憲法では「住居移転の自由」を保障しています。
原発事故は「人の命と健康」「人間関係」「住居移転の自由を」奪っています。
私も「脱原発をめざす首長会議」のメンバーとしても連帯して頑張ります。(長生村元村長・石井俊雄)
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com