2月3日(金)原発事故被害者「相双の会」会報57号が届きましたので、転載します。

NHK スペシャルでも放映
―自殺の電話相談急増

1月9日に NHK スペシャルで「それでも生きようとした、原発事故から5年・福島からの報告」という放送がされました。
内容は現地の当事者が見ても考えさせるものでした。
東京にある自殺の電話相談(いのちの電話?) では、事故後4年経ったころから他県と較べて福島県の相談が急激し、その中でも南相馬が格段に多いと言うことです。
相談の内容は「生きがいがない」、「新しい環境に対応できない」、「人とのつながりなくなってきた」、「帰還を希望する人」「あきらめる人」「家族まで分断された」、 「精神的回復が出来ない」、「家族に心配かけたくない」等々です。
事故から6年になるが、なんの解決策もなく時間が過ぎていきます。
被災者の思いや環境と関係なく突き進んでいく行政、被災者は一方的な解除が強引に進められても、それに対応出来ないのが現状す。
故郷に帰る事をあきらめ新たな地で生活をはじめた方も多くいますが、環境 になじめず落ち込んでしまう人、足が地に着かないまま不安定な生活の人。
原発事故とは元に戻れない事であることが明確になってしまったのではないでしょうか、その責任を誰も取ろうとしない。
いや責任を取りきれないのが現実でしょう。

 

土壌汚染を無視して帰還を強いる
人間の住むところに4万Bq/m2以上の汚染土壌があってはならないというのが、日本の法律です。
それが事故後まもなく「20ミリSv/年までは我慢させる」という方針が打ち出されました。
4万Bq/m2は放射線業務従事者という特殊な仕事をする人だけに許した基準です。
それを一般の人、赤ん坊や子どもにも許すという政策なのです。
また、食品について野菜、穀類、肉、卵、魚 などを500Bqとしたが、批判苦情が多く出され、 2012年4月1日から一般食品をkg/100 Bqとした。
どうも国民を誤魔化す値であるような気がしてなりません。
未曾有の福島第一原発事故後、被害者は一目散で逃げ回り全国に散らばった。
避難まもなく6年になりますが、汚染水対策もまだ解決に至っていない。
各地の除染は行っているが、安心安全とはならず、解除しても若い人はじめ帰還にはほど遠い。
それでも強制的とも思われる ほど頭ごなしに解除してきています。

南相馬市の「帰還」の実態
南相馬市小高区において解除のための住民説明会が開催されてきましたが、住民側からは4万Bq/m2以上のところが非常に多いので時期尚早という声が圧倒的でした。
にも関わらず国の基準は20ミリSv/年となっていることから 以下の所を解除するというのです。
法律で定めている4万Bq/m2以上の土壌の存在については議論を避けてしまいます。
各自治体は帰還を多くしようと必死です。
福島第一原発から20km圏内にある楢葉町は 2015年9月5日に避難解除されましたが、1年過ぎた昨年10月4日の発表では7364人中 696人の帰還であり実に8%だけで、高齢者がほとんどです。
しかも週4日以上帰還した人が 「帰還」とされています。
完全に帰還したという人はほんの少数とみられます。

2011年3月11日

現在の人口

2017 年 1 月 19 日

現在の居住者数

備考
小高区 12,842 人 1,132 人 帰還困難区域、

居住制限区域避

難指示解除準備区域

鹿島区 11603 人 12,279 人
原町区 47,116 人 42,971 人 一部居住制限区域

一部避難指示解除準備区域

71,562 人 56,362 人 他市町村からの避難者

2,628人

(南相馬市の人口移動)

 

 


県内外を問わず、原発事故の責任を追及し、 事故によって被った物的、精神的保障を求めて闘っている皆さん、同じ避難者として、連帯の挨拶を山形から送ります。

2011.3.11 の原発事故を契機に、福島から県内および、全国に避難した人たちは、事故後6年に及ばんとしている長い年月の間、それぞれ置かれた状況、事情は異なりますが、苦難の生活を送ってきました。
家族を思い、子の将来を危惧し、泣く泣く古里を飛び出した人たちに何の落ち度があるというのでしょうか。
危険を避けるために、当然のことをしたまでなのです。

日本は民主主義国家だそうです。
個人が最大限に尊重される国だと学校で教わります。
にも 関わらず、我が国の首相と福島県知事は、国が唯一手を差し伸べてくれている住宅の無償提供を3月いっぱいで打ち切ると宣言しました。
日本全国からの住宅支援を継続してほしいという 直接、間接の要請、悲痛な叫びに全く耳を貸さない、いや、貸そうとしない福島県知事を初めとする公僕たる「避難者支援課」・「生活拠点課」 職員の非道とも思える対応は、言語道断と言えるものです。
「公僕」は国民への奉仕者でしょう。
国民である避難者が困り果て、住む家がなく、 路頭に迷う人が出ても、「それは自己責任で」というのでしょうか。
本来、「自己責任」というのは、原発事故のように、明らかに他に原因がある時に使われる言葉ではありません。
「自己責任」 という「言葉」自体に失礼です。

江戸時代、山形には上杉鷹山という殿様がおりました。
この殿様は、正月にお年寄りを城に呼び、酒食でもてなしました。
さらに、90歳以上の老人には生涯扶持という老齢年金を与えました。
もちろん、男女平等でした。
江戸時代の話しです。
人の上に立つ人はこうあらねばならないはずです。

米沢では、2016年6月の市議会への「住宅支援延長」を求める誓願が全議員一致で採択されたのを皮切りに、
山形県全12市のうち、天童市 (要請せず)を除く11市、米沢を中心とする置賜地区の全5町で採択され、
内閣総理大臣、衆参議員議長、復興大臣と福島県知事に「意見書」 が送付されました。
現在日本全国から70を超える意見書が福島県知事に送られております。

問題解決のために、法に則り、お願い、陳情、 市町村議員や国会議員への様々な要請など、許されるあらゆる行動を行っても、問題が解決しないとしたら、他にどのような道があるのでしょうか?教えてほしいものです。
共に頑張りましょう。

 

相双には続々と全国から視察の方が来ます。昨年 11 月には千葉県銚子と兵庫の女性たちが見えました。感想文を一部ですが紹介します。

「除染」?「仮置き」?「帰還」??だらけ
千葉県銚子 K.H
復興の現状はどうか、避難解除が近づいているのに、除染作業は進んでいるだろうか、
放射線量は下がってきているだろうか、3年前、山積みになっていたフレコンバックは今どうなっているだろうか、
仮設住宅の取り壊しや自主避難者への支援打ち切りが提案されている中で、被災者の今後はどうなっていくだろうか、
そんなことを考えながら福島へ向かいました。

1,復興については、小名浜港は被害(津波)が 軽く復興は早かった。
「賑わいも 80%位戻っています」と店の方。
しかし、浪江町の請戸港は被害がひどく、田んぼに打ち上げられた多数の漁船は撤去されましたが、整地作業が始まったばかりという状況。

2,除染作業については、平地(市街地)の除染作業、民家の取り壊し等は進んできています。
ピンク色の「除染作業中」という幟をにぎやかに何本も立てながら、マスクをした作業員が頑張っています。
(国や東電のアリバイづくりかとも思いま したが)
「平地ならある程度除染できても山林等は除染不可能」との説明を受けました。
なら放射線量を元通りにすることは不可能ということか。

3,放射線量は平地(市街地)で銚子の約10倍位 か。
これでも「避難者は戻れ」と言うのだろうか。

4,1袋が 1.2 トン入りの黒いフレコンバックが 5段に積まれて、しかも広範に拡がっています。
近くには「仮置き場」と書かれた幟が立てられていました。
約束だったフレコンバックの搬入先・ 中間貯蔵施設は、用地の取得が難しく、未だにその目途は立っていないと言います。
「仮置き場」っ て何?

5,南相馬市の小高地区の仮設住宅(300戸)を 見学しました。
「当初は毎日何台も救急車が来ていました。今は落ち着いています」と。
「復興住宅へ移って行ったりで、相当空いています」、「復興住宅は家賃が(収入により)15000 円~75000 円で移れる人ばかりではありません」との説明。
更に、 県外への自主避難者への支援は3月で打ち切りの提案があり、該当者、支援者が政府・東電へ要請行動を行っています。
先日来日したノーベル文学賞受賞者のスベトラーナ・アレクシェービッチさんは、その講演で 「国は被災者に対し、責任を持たない」と話されたそうですが、ロシアも日本も同じですね。
国民 が「責任を持たせなければ」なりませんね。

 

現地を見て声も出ません
兵庫県 I
現地の皆さんの声を聞きたい、自分の目で確かめたいという思いで参加しました。
國分さん宅にて交流、宿泊、現地案内と大変お世話になり有り難うございました。
現地案内を受け言葉も出ないぐらいショックを受けました。
国道6号線から人の気配が全くなく、行き交う車はトラック、バス、全て作業労働者で防護マスクしている人ばかり、
ありとあらゆる所にフレコンバックが山積み、あたり一面の田畑は掘り起こされ除染作業中、
商店街、病院、駅、家の全てが空き家、小学校、中学校、高校が廃校放射能の恐ろしさ、こんなひどい状況は現地に来て見ないと 分からないと思い言葉も出ない状態になりました。
今も仮設住宅で暮らし、故郷を奪われ、家を失い、家族を失い、人生の全てを奪われてしまい、 原発の中で暮らして行かなければならない苦しみ、 復興は全くされてなく、マスコミは一切取り上げ ない、事実をかくしています。
私は現地で聞いた皆さんの生の声、見た事を、 地元で多くの人に伝えて運動を広げていくと共に 支援をしていきたいと思います。

「相双の会」会報に ご意見を
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。
匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

 

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