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相双の会 会報94号

相双の会 会報94号

原発事故被害者「相双の会」会報94号が届きましたので、転載します。

私は1943年に農家の長男として生まれました。
我が家は6代続いたいわゆる旧家で、父が早死にしたため、私は小学校4年生の頃から一家の主柱として農業に従事してきました。
農作業の機械化が進んだので土建会社に就職し、24歳の時、同い年であった妻と結婚しました。
29歳で独立して有限会社を設立して代表者となり、妻と弟の協力を得てバブルの頃には従業員 30人位の会社になりました。

その後規模は縮小しましたが、現在も従業員6人ほどで営業を営み続けています。

長女と長男の2人の子供に恵まれました。
2人とも結婚後も我が家から1km内の距離に家を構え、5人の孫はほぼ毎日のように学校が終わると我が家に来て、両親の仕事が終わるのを待ちながら遊んでいました。
また、週末には、孫らはよく我が家に泊まっていました。

我が家は、バブル期に私が建てた物で、延べ建坪で 75 坪、全部で10室の部屋を持ち、特に1階には 15坪の土間を配置したそれなりに豪華な家でした。

豊かで楽しかった事故前の地域コミュニティ

我が家で食べる野菜は全て自宅敷地の一部で家庭菜園を作って栽培していました。
夫婦2人だけでは食べきれないので、 子供達、御近所などに「お裾分け」をしていました。
毎年年末 30日には、自宅土間に臼を据えて餅つきを開催し、子ども・ 孫および近所の人を合わせて20~30人を集めて宴会をしました。

自宅にはカラオケセットがあり、2月に一度ほどのペースで、自宅の部屋をつなげて20人ほど友人を集めてカラオケ大会を開催し、宴会を行っていました。

私は、地元の神社の総代を15年ほど勤めていました。
毎年旧暦の2月8日に大祭を、9月8日には盆踊りを開催し、その他2年に1度は浜下りと称して同神社の御神輿を海岸まで担ぎ上げての行事がありました。
私は総代として、これら諸行事およびその練習の総括を勤めていました。

また、地元の防災協会においては会計を勤め、草刈りやパトロールなどを行なっていました。
さらに前の行政区の自治会長を平成23年3月まで6年間務めており、毎年夏には「芋煮会」を開催し同行政区の約半分以上の世帯が集まり、宴会をし、朝まで参加者でお酒を飲むこともありました。

事故前の富岡の自然、悔いることのない日々

我が家は富岡川から150mくらいの位置にありました。
夏には一日中川遊びを近所の幼なじみとしていました。
夜には風呂代わりに川で体を洗う事も珍しくありませんでした。
成人してからは、川原で酒を飲む事がよくありました。

春の富岡は桜、ツツジが実に美事でした。
近所の法泉寺の枝垂れ桜も実に美事なものでした。
春には、山菜がいくらでも採れました。
私は道路工事も請け負っていましたので、山に入る事が多く、山菜の入手は簡単でした。
秋は茸でした。
私はシロと呼ばれる茸の採れる場所を沢山知っていたので、盛んに採ってきては食卓に載せて楽しみました。
スーパーなどでは決してお目にかかれない珍しいもの、おいしいものが沢山ありました。

水は我が家では、地下水を直接利用していました。
その甘み、コクは特別なものがあり、友達から羨ましがられる程でした。
野菜は全て自家栽培で、スーパーで売っているものに比べれば格段とおいしいものでした。
本来おいしい野菜を自慢の水で調理するのですから、食事が美味なのは当然でした。

富岡での生活は家族、仲間、地域コミュニティ、豊かな自然等々、私にとっては全ての条件に恵まれた生活でした。
夜、 布団に入る時には悔いる事のない日々だったと思える日々でした。

原発事故はすべてをうばった

原発事故は富岡での私の家族、仲間達、 自然、生活の全てを奪いました。
避難のため私達家族は、各所を転々としましたが 2013(平成 25)年 12月にいわき市中央台に中古家屋を購入し、そこに永住するつもりでした。

子供および孫が富岡に戻らない事は明らかでした。
私達は、子供と孫と疎遠になる生活は考えられなかったため、中央台に永住するつもりでした。

しかし、富岡の自然がどうしても忘れられず、昨年の5月から古い家を取り壊 し、夫婦2人だけの家を新築し、本年1月に旧住所に戻りました。
私の家の行政区には、事故前には48戸の家族が住んでいました。
しかし、現在人が住んでいるのは8軒だけです。
若者は誰も居ません。
60代が3人位、大半は 70代、80代、最高齢は 98歳です。
事故から9年、避難指示解除から3年でこの状況です。
今後は高齢者が亡くなって、 やがては消滅するのだろうと思います。

私が生まれ育ち、生活してきた場所、ひいては富岡はもう存在しないのです。
復活もしないのです。
消滅したのです。
誠に残念とし言いようがありません。
「どうしてくれる」と大声で叫びたい思いです。
「原発は絶対安全」と言い続けてきた 東電の責任は極めて大きなものがあると怒りを込めて主張いたします。

最新の汚染土壌を測定したら!

事故から9年、土壌汚染の安全基準も改悪

福島第一原子力発電所爆発で大量の放射性物質が放出された。
事故時にはセシウムは比較的揮発性が高い状態で環境に放出され、各地に巻き散らされた。
そこで雨、雪が降れば、その地は汚染される。
原発の近くより遠く離れた地区でも汚染濃度が高いところが多々ある。

事故から9年、多少は物理減衰したものの、汚染は残り、除染しても限界がある。
年IミリSv被ばくが安全性を担保する目安だが、政府は年 20ミリSv以内でも安全と避難解除した。
また中には年 100ミリSvでも安全と主張する向きもある。
そして 政府は、土壌の汚染度を示す 8000Bq/kg 以下なら、土壌改良材や土盛りの土として再利用できる」と言いはじめ、県内各地で「実証実験」をはじめた。
そして次 は国内各地にばら蒔こうとしているのだから考えられないことだ。

年被ばく線量の安全基準は年1ミリSv以下であると同様に土壌汚染でいえば約 615Bq/kg以下でなければならない。
ところが政府は、福島原発事故以来「非常事態宣言」をしながら、この基準を一切無視してきた。
そして、年被ばく線量を勝手に 20ミリSv基準にしたと同じように、土壌汚染の「安全基準」も引きあげてきたのだ。

これでも「再利用」!?

そこで、土壌汚染がどの程度になっているか、南相馬小高区の「除染」をおえたことになっている地点の土壌を、2月中旬に採取し、調査・測定してみた。
そうしたら別表のような結果である。
8000 Bq/kgという、政府が「再利用」できると強弁する規制値をほとんどの地点で上回った。
この地域は 2~3年前に「除染は完了」とされているのである。
その当時は、政府の基準でも安全を担保する値は 8000Bq/kgよりははるかに低かったと思われる。

しかし、奥深い山林地帯は除染作業自体が不可能で、まったく手が付けれられていない。
風雨で山から放射性物質が降りて来たと思われる。
特に、昨年秋の台風等で流れ出た放射性物質は、相当量だったと考えられる。
これでも国は日本中に危険な除染土壌再利用することで、福島県内の除染土壌を減らすことができるというのだろうか、 無責任も甚だしい。

 

自然エネルギーは限りなく大きい。特に発電資源として、風力は日本の洋上に無尽蔵に近い。
二酸化炭素を抜本的に削減するには、風力を始めとする自然エネルギーの本格的な利用こそ不可欠である。
風力は日本が世界で最も恵まれている天然資源だといってよい。
ところが世界諸国で風力発電が急速に普及しているのに対し、日本ではさっぱり伸びていない。
自給率向上どころではない。

日本の風力ポテンシャルと総発電設備

環境省は風力の導入ポテンシャル(潜在発電能力)を、国内の陸上で2億8千万kw、洋上で10億kwから16憶kwと見積っている。
経産省は陸上で2億9千万kw、洋上で15億kwと算定している。
ちなみに現在の日本全国の総発電設備容量は2億4千万kwである。
風力だけで全電力を賄うことも決して困難なことではない。

ところが電力会社と自民党政権は原発を従来から「重要なベースロード電源」とし、石炭火力なども「基幹電源」としていて、全国にきめ細かい送電網の拡充・整備を怠っているため、潜在的能力が極めて大きな風力発電は一向に伸びない。
せっかくある基幹送電網の多くは、原発再稼働を待って空けられている始末である。

今すぐに必要なこと

原発の即時全廃のためには、当面は石油や天然ガスによる火力に重きを置き、既設の石炭もしばし許されるとしても、 新設は高効率な天然ガスのコンバインド発電(ガスタービンと水蒸気タービンの複合発電)に限定すべきである。
建設途上にあるJパワーの大間や中国電の島根や東北電と東電の東通りの原発は火力に改造することも必要である。

それとともに、第一に、電源開発も10電力も、全国の洋上に大型風力発電基地を造り、第二に、陸地では低周波音波公害の防止に民家等から一定の距離(2キロメートル以上)をとりながら、特に高圧送電線に連系できる丘陵地や山岳地帯をはじめ全国の適地に風力発電を造ることが不可欠である。
風力発電の環境影響評価(アセスメント)に時間をかけすぎるのも改善するべきだ。
かねてから述べてきたように、夜の原発のために造った揚水式発電は、風力等の変動電力にこそ全面的に活用しなくてはならない。
(原 野人)

 


93号の訂正と修正のお願い

1).2頁右側上から 15 行の「白血病患者数は福島が多い」の項を削除し下記に入れかえます。 ⬇
原発事故と健康被害 原発事故後放射能被害を考えない人はいないだろう。
頭をよぎるのは白血病、甲状腺がんだと思います。
だから強制避難、自主的に避難するのである。
それでも、どう言う判断からか安全宣言するのである。
確かに被ばくすれば即現れるものではないが挽発障害を考えれば不安になるのは当然の事です。
県は甲状腺がんが多発しても原発事故と因果関係がないと言う。
国は的確な調査をし被害者を守る責任がある。
放射線量は微量であっても安全であるという値はないと考えるべきです。

2).3頁右側下から8行目半減期 2 億4千年を「2万4千年」と修正してください。

 

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