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相双の会 会報90号

相双の会 会報90号

原発事故被害者「相双の会」会報90号が届きましたので、転載します。

原発事故により福島の阿武隈山脈、里山、 農地、住宅が放射能に汚染されたが、住宅周辺と農地の一部は除染された。
安倍総理 が視察に来福したとき「里山を除染する」 と公言したが嘘だった。
当然阿武隈山脈は除染されない。
と、いうよりも不可能なのである。
相馬地方、双葉地方は(相双地方) は農業用貯水池が無数にあり、小規模のダムも多くある。
貯水池の底に沈んでいる泥を取り除くことが行われていたが、私たちが現場に行き「放射能濃度はどうですか」 と訊いても一切話してくれない。
近寄る事さえ拒否してくる。
放射能を気にして 8 年間過ごしてきた被害者である住民からすれば実態を知るのは当たり前の事だ。
被害者はそれなりに学習してきたから湖底に放射性物質が溜まっている事は認識している。

湖底から放射性物質を取り除いたとして も台風19号のように河川が溢れるほどの大雨と風であれば湖底に再度溜まる。
また農地や住宅地に流れてくるだろうと思われる。
大雨の影響で除染廃棄物「フレコンバック」が仮置き場から 54袋も河川に流出したと報道されたが、19号台風は大型で数日前から注意を呼びかけられていたにも関わらずなんの手立てもしない結果ではないか。

日本大学糸長特任教授によれば、フレコンバックに保管されているものは全体のごく一部で、山の表土の除染は手付かずであり、試算すると、飯舘村の山の表土を深さ 5センチ削り取ると約八百六十万袋にもなるという。
特に汚染された相馬地方、双葉地方全体ではその何十倍にもなる。
それでも安全と言い切るのかと思うと、怒りを感じる。

1000万Bqの汚染水が8回流出-東京電力が発表

東電は福島第1原発周辺の地下水位を監視するための水位計の設定に誤りがあり、 原子炉建屋などにたまった汚染水が今年4月中旬から外部に漏えいする恐れがある状況だったことを明らかにした。
東電は井戸からの地下水くみ上げを停止したとしている。

放射性物質濃度はおおむね1リットル当 たり 1000万ベクレル、井戸でくみ上げた地下水の1万倍に当たる。
東電は地下水の放射性物質濃度に大きな変動はないとした上で漏えいの可能性は否定できないなどと、 曖昧なことを言っている。
10月の異常な豪雨の影響が地下水などにどう出るか心配だ。

I.T 私は技術者でもあり、原子力発電についても未来になくてはならいものと信じていました。
そして、事故があったことすら忘れかけていました。
その後、人間の手に負えないものに決して手を出してはならないと考えるようになりました。

帰宅困難地域内の道路を通過しているとき、 なぜか油汗が出てしまいました、たぶん安全だろうという思いと、数値を信じていいのかという葛藤のなかで、やはり体が危険だと感じたためだろうと思います。

放射線のことを考えた場合、素直に帰ってはだめですよといいたい、しかし、人の生活には精神的な側面もありそれを否定することもできません。
ふるさとはその人にとっては かけがえのないものと思います。
しかし、今の政府は多くの補償をしてあげているから、 いいでしょ、何の不満があるのですかとい 態度です。
また、真にその補償が必要とされている人に届いていればいいのですが、一部の人間の利益に消えているようにしか見えません。
本当の意味での復興は元と同じように家族が寄り添い、同じ空気を胸いっぱいにすって、子供たちが「お母さん、行ってきます!」という声が隣近所で響きあうことではないかと思います。

 

K.U 大熊町役場に寄りました。ホテル のように綺麗なガラス張りの建物です。
しかし町役場から少し離れただけでも放射線量が高く、戻って来ている人は少なく、原発作業員が空き家を借りて住んでる話を聞きました。

放射線量 20mSv/年までオーケーと「解除」された地域は、商店街もなく、車で買い物に行ってる。
戻って来るのは車を運転できるくらいの元気なお年寄りか、原発関係の作業員だけ、原発被害者は「ふるさとの喪失感」を 持っています。
また原発関連死も福島は 2278 人もいる事を聞き、とても胸が痛みました。

 

A.S 南相馬市小高区内には4校の小学校 であったが児童が激減のため一つの校舎にまとめられた。
がむしゃらに復興を印象付けているようで哀しい。
実際には、まだまだ帰還困難エリアは厳然と存在していますし、JR も全線開通には程遠いのが現実の姿です。

岩屋寺のご住職は「原発事故に起因する高齢化が顕著です。
だって地域の中に子どもの姿が見えないのですから。
辛いです。地域の コミュニティも崩れた。
共に地域を守っていくという思いも中断させられたままになっている、責任は東電にある。」と語りました。

國分さんからも多くのメッセージを受け取りました。
「ふるさとって何なんだ?当たり前に住んでいるうちは、別に良いとも思っていなかった。今は懐かしくて懐かしくて、無くてはならないものに思える。
戻りたいけど、 戻っても誰もいない。
じゃあ、戻っても仕方ないなあ。これが、ふるさとを失うってことです。」
避難者は、平均で6,7回も避難場所を転々。
先ずは避難所そして親戚の家。
居づらくなって移転、そういうことの繰り返しで、 多い人は 30 回を超えている。
現在、2.278 人 が震災関連死している。
この中には、転居を 繰り返すことにより緊張と不安というストレスを抱え、なかなか進まない復興に絶望し自死者も数多く含まれていると思う。

O.T 震災後8年半経った現在、マスコミ 報道もなくなり、福島の復興は進んでいると 思われた。
しかし現状は、常磐道には線量計が所々に設置され、町中にも設置されていた。
帰還困難区域に至っては、バリケードが張られ、草が伸び、家のガラスは割れ、時間が止まったままとなっていた。
除染した土については、皮肉なことに農業を廃業に追い込まれ た農家の土地に置かれ、その数は計り知れない。

S.S 勇気のいる参加をいただいた女性の話で普通の家族が故郷を追われる中で希望を導き幼い二人の子供を育てながら、新しい命を誕生させたことに感動を覚えました。
そして故郷に帰る決心をしていく一方で、教育に不安を抱えていることに国は責任を持たねばならないとあらためて思いました。
避難者が人生を奪われて行くさまが悲しかったです。
国の為政者はこの事実をどれくらい理解 しているのでしょうか。
飯館村で測定を続けている伊藤氏の話は特に多くの事を勉強することが出来ました。
福島のみならず近隣の県産物を復興の一環として消費したいところですが、私たちはどうすれば良いのでしょうか。

 

S.K 被災者の人達の引越しの平均6, 7回にも驚かされた!
それだけ引越しを繰り 返せば精神的な苦痛に襲われるのもわかる。
回数だけではなく、広い敷地の中の家で生活をして、隣近所に回覧板を届ける時には軽トラックで運んでいた様な人達が急に避難生活では隣の家族の声が丸聞こえの生活ではストレスは相当なものだと思う。

 

T.M 親は地元に残るも収入はなく、わずかな賠償金では今までと同じ家や生活は到底 取り戻せない。
子供たち家族は都会に出るが、低賃金のため親を呼びたくてもできない。
豊かな自然と生活が突然一変し、6畳部屋で隣とは壁一枚の生活を余儀なくされる。
故郷に戻りたくても戻れない、避難先での人間関係 や絶望感といったことが、「最悪の物語」として心に刻まれていくそうです。

一方で、震災後に下落した土地を購入し、 そこへ公共施設を建設させて莫大な補償金を手にする者や、生徒数15人の校舎を何十億円 かけて建て替えるも、1年足らずで休校にするという実態、また飯館村では、4000億円かけて除染作業が行われたが、面積は村の5% ほどに過ぎず、山林については全くの手付かず状態にあることなどが明らかになり、復興に名を借りた「からくり」によって富を入手している者が存在していることにショックを 受けました。

 

O.H 2回目の参加となりました。
フレコンパックの山が昨年より減っているのが印象的でした。
結局は、中間貯蔵施設に移動しただけということがわかり、根本的に解決していないのが悲しいです。
損害賠償額は、東電が決めていることが納得できません。
民事裁判を行う理由がわかりました。

 

K.M 始めたばかりの川柳の習作です。
開通はしたがバイク走れぬ車外に出れぬ/
事故後八年、廃屋は消されて太古の原に/
暮らせない家だが万感 新築す/
福島が復興したことにして再稼働。

 

K.U 交流で聞いた「避難している人々は、ふる里に戻りたいが、戻っても何もない、 住んでいる人も居ない…」と被災者・避難者 の心中を吐露する言葉は印象に残った、私には想像できない。
國分さんの知人が孤独死されたと聞いたのもショックだった。
原発被害に苦しむ多くの方々の声なき声に思いを巡らせ続けたいと思う。
復興住宅の避難者の方に話に来てくださいと働きかけても、一人も参加しないという実情を聞き、軽薄に被災者の思いを想像していた自分に気づく。

小学校を視察。
正門前に設置された放射線モニタリングポストが 0.113 マイクロシーベ ルトを表示。
芝生の上に置かれた何方かの線量計は「0.36」を表示。
因みに政府公表の「被ばく限度、年間1ミリシーベルト」での上限値は「0.19 マイクロシーベルト/時」、この 小学校には50人程度の生徒が遠隔地からも含め通学しているとか、放射線の影響が心配だ。

 

I.A 心打たれたのは、初日の交流会に見えた、3人の子連れのお母さん。
我々のメンバーのKさんが「ホームステイ」に招いたのが縁となって参加されました。
当時は、うちの孫とちょうど同じくらいの幼な子と、一番下の方はまだお腹の中。
町職員のご主人を残して、あの激動の避難行脚を身をもって体験されたのです。
玉突きのように転々と引っ越さざるを得なかった窮状を、今は立派な小学・高学年に成長したご長男以下、3人の元気なお子さんに囲まれながら、さりげなく語られました。
岩屋寺で報告をされた伊藤さん、 3.11 以来放射能測定を貫かれ、綿密な測定の実績を積み上げてこられた意志の強さ。
その業績は、科学雑誌にでも発表されてよいほどの水準で、さすが「高木仁三郎基金」の奨励金を受けられただけのことはあります。

 

ご意見のお願い
是非ご投稿をいただき「声」として会報 に載せたいと考えています。
匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

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