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相双の会 会報67号

相双の会 会報67号

相双の会66号原発事故被害者「相双の会」会報67号が届きましたので、転載します。


福島市から浪江町の114号国道が9月20日6年半ぶりに全線開通しました。
114号線沿いは浪江町津島地区、赤宇木地区があります。
この地区全体が最も放射能 汚染されたところですから当然帰還困難区域であり、二度と住めないかも知れません。
そんなところのど真ん中を国道114号が通っています。
双葉郡地方、福島中通りの生活基盤道路でもありましたから最も重要な道路でした。

しかし、開通してから2カ月ほどたった11月29日に線量計を持ち調査をしてみましたが、人の立ち入る所ではないことが分かりました。
地表1メートルの空間で5μSv/時が当たり前のようでした、中には10μSvの所もありました。
道路から離れ たところはもっともっと高いことが推定されます。

この辺りの川は渓谷になっていますから、原発事故前の春は新緑、秋は紅葉、ヤマメ、イワナ、山菜、キノコの宝庫であり、地域住民の生活をうるおってきました。
今は放射線量が高くとても立ち入りできません。

「国道 114号開通は復興のために必要だ、放射線量も下がった、住民も望んでいた」という事で開通したと言うのです。
それは違います。どんなことがあろうとも住民の命と健康を第一に考えるとするならば、少なくても妊婦、20歳以下或いは15歳以下は通行禁止すべきと考えますが如何なものでしょうか?
これまで何度も言っていますが、放射能に安全な値などないと考えるべきではないでしょうか?

 

住宅明け渡し裁判がはじまる
「でて行けは違法」

福島第一原発事故で米沢市の雇用促進住宅に避難の8世帯に対し、独立行政法人「高齢・障害・求職者雇用支援機構」 が住居の明け渡しを求めた訴訟の第一回 口頭弁論が11月21日に山形地裁(松下貴彦裁判長)で開かれた。

事故当時に福島市・二本松市・伊達市に住み、米沢に「区域外避難」した8世帯24人は、今年3月末で住宅支援の打ち切りは違法であり、家賃は国と東電に請求するよう求め支払を拒否してきた。

機構は3市とも今年3月末で無償提供が打ち切られており、「家賃を払っている契約者との公平公正の観点から入居継続は容認できない」と、立ち退きと未払いの家賃支払を求めた訴訟をおこした。

8世帯は答弁書で支援の打ち切りは、「帰還・避難を自らの意思で行えるよう支援する」とした「子ども・被災者支援法」に違反している。
また、避難者の人格や生存権を根本から侵害しており無償提供の打ち切り自体が違法であり、機構が求める明け渡しに法的根拠がないと反論している。

裁判長は冒頭に原告(機構)に請求の根拠を12月21日まで書面で提出ように求めた。

記者会見で被告側の海渡雄一弁護士が この裁判は住宅問題に留まらない「人権問題」であり、国連の人権委員会も注視していると話した。
8世帯を代表し武田徹さんは、立ち退きは「象がアリを踏みつぶすようなものだ」「子供のいるお母さんたちを見ると放っておけない、子どもの将来を考えると、一律に切り捨てることは間違いだ」「家賃支払に応じている避難者も納得しているわけでない」「8世帯のだけでなく全国に散らばっている 避難者の声を代弁したい」と語った。

報告集会は、山形と福島や首都圏からの人達と団体(ひだん連など)から報告と連帯の挨拶がされた。
さらに、山形の 「支援する会」のような組織を各地につくること、署名活動など大衆運動を強めることが確認された。
次回の裁判は1月12日に行われる。
(山形「早々の会を支える会」より)

 

 

「避難解除」に悩む方に聞く
避難解除と補償打ち切りで多くの方が悩んでいます。
南相馬市小高区のお二人にお話をうかがいました。

息子夫婦と孫と別れて帰還
S.Sさん
避難して間もなく7年、避難解除されて一年5ヶ月その間、両親が帰還できないまま亡くなってしまった。
「きっとふる里にかえりたかったと思う」と、心が痛む、長男夫婦は離ればなれの生活が続いている。
次男は会社が移転してしまい その後、離職してしまったため、定職できないままだ。
希望としては息子夫婦孫たちと戻ることができればと思うが、できないと理解している。
もう限界にきています。
そこで今年中にふる里へ帰ろうと、リフォームをしましたが、私の地域に帰還したの は私を含めて二世帯です。
他は他市町、 県外へ移転してしまいました。

除染の仮置き場 3年の約束がもう7年
帰還しても目の前が除染した仮置き場になっています。
当初は3年とか5年と言われていましたが、もう7年です。
いずれ中間貯蔵施設へ運びこまれることになっていますが、何年先なのか見当つきません。
それでも農業ができるわけではないが先祖からの田畑を守りたい、少しでも地域に貢献できればと考え帰還することにしました。
息子夫婦は他の地域に移り住もうと計画しています。
いずれ自分の身体に限界がきたら同居するか、施設に入れるものならと考えています。

帰還者のサポートをしたい
南相馬市は強制避難ではなかったところが多いため友人知人が多く移り住んでいますから南相馬からは離れがたい。
以前に私は行政区の区長をしていた事もあり、仮置き場の問題、農業再生などについて議論してきたこともありますから無責任な事もできないと思っています。
戻ったら帰還している人たちとの交流しサポートしていきたいと思っています。
避難先に移り住んでいる方たちもいろいろ悩みながら住んでいると思うと心が痛みます。

 

なんの望みもないがとにかく帰って来た
U.Nさん
息子一家は鹿児島に
私は仮設に4年、住みにくかった暑く寒くの生活だった。
遠くへ避難した人もいたが、比較的線量が原町区は低いだろうと思ったことと、いずれ帰還したいと 考えていたので遠くへは避難しなかった。
以前は三代6人家族でしたが、息子の嫁さんは鹿児島が実家のため息子夫婦と孫は鹿児島へ避難した孫は学校のこともあり、高校卒業するまではと思っていますが、その後は分かりません。
嫁は郵便局に勤めていた関係から鹿児島の郵便局へ入局して現在に至っています。
若い夫婦が離ればなれの生活している事に悩んでいます。
息子の考えとしては子どもが高校卒業したら鹿児島から引き上げる話はしているが、現実にはどうなるか分からない。

なにもできず農機具は全部処分
解除後この地域は比較的帰還していますからそんなに寂しいことはありません。
ただ若い人は帰って来ません。70 歳過ぎた高齢者のみですから子どもの声などはまったくありません。

戻ってきたけれど今はまだ車に乗れますから何となく生活は出来るが、車に乗れなくなったら日常生活がどうなるのか心配です。
帰還して楽しい事があるかと聴かれたら「なにもない」と言わざるを得ません。
百姓もできない、わずかな畑を耕しても安心して食べられるのか不安なものです。

昔のような状況に戻ることは一生死ぬまでないと覚悟して戻ってきた。
身体の体調は歳を取った事もありますが、元のような事にはない。
何をやってもできない。
これから農業をやる気があるかと聞かれても、まったくやる気なし、だから農機具は全部処分した。
足腰が悪く一週間二回は医者に通っている。

 


放射能測定器のご利用を

京都大の今中先生に大変お世話になり測定器が設置されました。


食品の安心安全のためにも是非ご利用下さい。 連絡は國分まで。

 


公正な裁判を求める署名のご協力のお願い

署名を皆様方にご協力をお願いしていますが、まだ目標に達しておりません。
判決は3月22日ですが、2月末までに10万筆にむけて奮闘しております。
倍旧のご支援とご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。
署名は國分宅までお願いします。

 


前々号記事の訂正
10月号で福島バスツアー参加者の感想で使用したフレコンバックの写真は、原発関係のものではなく、工事用の土嚢の写真でした。
当該工事に携わる方からご注意いただきましたので、お詫びし訂正いたします。

 

ご意見のお願い
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。
匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

 

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