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相双の会 会報53号

相双の会 会報53号

10月19日(水)原発事故被害者「相双の会」会報53号が届きましたので、転載します。

福島の小児甲状腺がんをどうみるか(1)

松崎道幸
(道北勤医協旭川北医院)

 

はじめに
福島原発事故から 5年が経過したが、放射線被ばくの健康影響に関して、様々な論議がなされている。
特に事故後の検診で発見された 160名を超える小児甲状腺がん(およびその疑い)例と放射線被ばくとの関連については、原発事故直後の放射性ヨウ素被ばくが迅速、正確かつ体系的に測定されなかったことなどのために、多くの論争(下表)が巻き起こっている
本稿では、まず男女比、潜伏期間、被ばく量について、私の見解を述べたい。理解を助けるため、問答形式とした。。

男女比

Q:福島の「健康管理調査」で子どもの甲状 腺がんとその疑いが 160名以上見つかっているけれど、原発事故と関係があるのか?
A:それはなかなか答を出すのが難しい問題だ。
というのは、超音波検査による甲状腺検診データがとても少ないからだ。

Q:甲状腺がんの検診はやられていなかったのか?
A:甲状腺がんは他の臓器のがんと違って、 進行が遅く、死亡率もとても少なかったため、検診で早期発見すべきがんとは考えら れてこなかった。
だから、乳幼児や学齢期の子どもがどれくらい甲状腺がんを持っているかというデータが皆無に等しかったんだ。

Q:なるほど了解。
甲状腺がんはどんな時に 増えるのか?
A:ヨード不足や診断や治療のための放射線被ばく(医療被ばく)で増える。
また男性 より女性に何倍も多く起きる。
放射線被ばくなどはっきりした原因がないのに発生した甲状腺がんを「自然発生甲状腺がん」と呼ぶことがある。

Q:放射線被ばくによる甲状腺がんと「自然発生」甲状腺がんはどこが違うのか?
A:放射線被ばくによる甲状腺がんは、「自然発生」甲状腺がんより、転移が多かったり、手術後の再発が多いと言われている。
だが、死亡率にはほとんど違いがないようだ。
今のところ、細胞の形や遺伝子異常の放射線被ばく型  違いで見分けることはできないようだ。

Q:それじゃあ、今福島で見つかっている子どもの甲状腺がんが「自然発生」なのか、 放射線被ばくのせいなのか見分ける方法がないわけか?
A:そうでもない。実は、性比(男女比)の 違いがあるんだ。

Q:性比?男女比の違いって何?
A:男性と女性で、発生率が違う病気がたくさんある。甲状腺がんも、その原因によって、男女の発生率に違いがある。

Q:へぇー、そんなことがあるんだ。具体的に教えてほしいな。
A:自然発生の甲状腺がんは女性に多いんだ。 自然発生甲状腺がんは、男性を1とすると、 女性に5前後の割合で発病する。いっぽう 医療被ばく後、あるいは原発事故後の甲状腺がんの男女比は1に近づく。

Q:日本の子どもの「自然発生」甲状腺がん の男女比はどうなのか?
A:福島原発事故の 13年前、山下俊一氏ら は日本の自然発生小児甲状腺がんの男女比 が1:4.3 発表している。

Q:女子は男子の何倍も多いんだね。

Q:それでは、放射線被ばくによる甲状腺がんの男女比はどうなのか?
A:ベラルーシ国立アカデミーの Yuri Demidchik が 2012年に、ベラルーシの小児甲状腺がんを、原因の違いによって、1自然発生型、2チェルノブイリ被ばく型、3 医療放射線被ばく型の三つに分けて臨床的特徴を分析した論文を発表している。
それによると、放射線被ばくがあると、小児甲状腺がんの男女比が 1に近づいてくると言う。
つまり、女性優位という自然発生型の特徴が弱まってくるんだ。
ベラルーシの若年甲状腺がんの性比を原因別、年齢層別にみると、10代後半では、自然発生型が女性に 6.2 倍多いのに対して、放射線被ばく型 (チェルノブイリ型・医療被ばく型)では、 それぞれ 2.0 倍、0.6 倍となっており、
放射線被ばくによる甲状腺がん発病率の男女比は減るか逆転している状況になっている。

Q:ふーん。そうなんだ。それでは、福島調査で見つかった子どもの甲状腺がんの男女比はどうだったのか?
A:男児 1 に対して女児 1.4~1.9 だった。 これは自然発生型の男女比ではない。

Q:この数字を見ると、福島の小児甲状腺がんの男女比は、自然発生型ではなく放射線被ばく型であるとしか言えない。
A:そのとおりだと思う。

以下次号

長い避難生活―5年たっても悔しくて涙が

浪江町 H.S 会津若松市に在住

あのとんでもない地震、そして原発事故から5年半が過ぎた。
人それぞれ感じ方は違うでしょうが私は疲れきっているせいか長く感じています。
3・11 の翌日、仕事を始めようとしたとき防災無線で「原発が爆発したので避難せよ」 と発令がでたため着のままで娘婿の車で孫二人(二歳半と一歳)を連れて家を後にして逃げた。
その後転々と避難場所を移りようやく会津若松市に落ち着きました。
散々避難場所を変え苦労してきた時からまだ5年半しか過ぎていないのかと思うと、本当に時間の経つのは長いような気がします。
3・11 以前の状態になるには後何年かかるのかと考えただけで気持ちが滅入ってしまう。
先日、娘が長年住んでいた家を解体のために家屋調査で帰宅しました。
しばらくの間玄関の鍵も開けなかったものですからなかなか空きませんでした。
中に入ると異様な異臭で 調査士の方も中の惨状を見て啞然とした様子でした。
ふる里へ帰還するのか、避難先に落ち着くのか、新天地を探し求めるのか、それぞれの想いは違っていても町民の絆は大切にしたいと思います。
私は5年過ぎた今でもどうしようかと迷っています。
いろいろ考えるとなかなか決心がつきません。
原発事故がなかったら町の復興が進み先祖に感謝し孫たちと楽しく暮らしていただろうと思うと涙が止まりません。
この口惜しさは忘れる事が出来ませんが、その時その時を大切にして生きていこうと思っています。
原発事故は一旦起きてしまうと街は廃虚化していくことが思い知らされました。
残念な事に原発の事故処理も儘ならないにも関わらず再稼働した原発もあるようですが一体なにを考えているのでしょうか、もし福島原発のような事故が起きたらどうなるのか分かっているのか、訓練と本番では訳が違います。
こんな苦しみと苦労、私たちだけで沢山です。

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◇電話 090(2364)3613 ◇メール(國分)kokubunpi-su@hotmail.co.jp

 

 

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