原発被害者相双の会 会報112号が届きましたので、転載いたします。

8.27 最高裁前で、國分富夫副団長

8月 27 日、原発事故避難者訴訟第一陣原告団の國分富夫が最高裁への要請をした。
コロナ禍のもとだが、最高裁前に、東京南部バスツアーに毎年参加してきた方はじめ30 人近い支援者が、朝8時 30 分から激励スタンディングに結集した。

全国で原発事故に関する被害者の裁判が多く闘われているが、最高裁に上告されたのは、原発事故避難者訴訟第一陣が初。
すでに昨年 3 月に仙台高裁で事実上の勝利判決をかちとっていた。
原告団は被告東京電力に高裁判決に従い、謝罪し補償を直ちに行うよう求めた。
掲載した第4回の「要請書」にあるように、仙台高裁が認定した被害は、訴訟を起こした時点までの被害であって、それもごく一部に過ぎない。
原発事故被害の特徴は、被害は年を経るに従い大きくなるばかりであることが、10 年過ぎた今日で明らかになりました。
しかし東京電力は不当にも上告し、最高裁で争われることになった。

原告団・弁護団は最高裁に、仙台高裁判決をふまえ早期に判決を出すよう要請行動を重ねてきたが、1年5ヶ月過ぎた今日でもなしのつぶてである。

最高裁前のスタンディングでは、原告団弁護団はじめ、「いわき市民訴訟団」の伊藤団長、「神奈川訴訟団」の村田団長などがマイクを握った。

「やっと水揚げが一定になった漁業は汚染水放出しようとする国・東電はとんでもない計画していること、廃炉は30~40年と東電は言っているが高線量で世紀を超える大惨事であることがわかってきた」。
「東電は裁判で『避難先で家を建てたからもう賠償金は払わない』『賠償金は払いすぎだ』などと一斉に主張している。
今でも命を断つ人がいるのに、開き直る東電は許さない」。
「豊かな自然が汚染されとり返しつかない。
1000 人いた生徒が 50 数人に減り運動会も部活動もできない。それでも『安全』だから戻れというのか」。

弁護団の米倉幹事長は「9年間裁判をたたかってきた。
東電は今悪質な対応をはじめた。
『払い過ぎなくらい補償はした』という虚構、『原告の要求を認めたら訴訟件数が増え裁判はパンクするぞ』と言う恫喝だ。
全国の原告が怒っている」と述べた。

最高裁前の東京南部地域の支援者

最高裁判所への要請書


2021 年8月27 日於・最高裁判所
附帯上告人國分富夫

福島原発事故からすでに 10 年が過ぎましたが被害は収まるどころか、これからもっと大きな被害が発生する恐れすらいまだ広範に存在します。
東電の責任は限りなく大きい。その理由は上げれば次の事が言えると思います。

事故から満 10 年たったというのに福島第一原発は「状況はコントロールされている」ところではない。

原子力規制委員会の調査チームは今年になってから、2、3号機の原子炉格納容器の上蓋(ブタ)が極めて高濃度の放射能で汚染されているとする報告書をまとめた。

2041~51 年に廃炉を終えるなどとする東電と政府の計画は、無残にも吹き飛んでしまった。

2、3号機の原子炉格納容器の上蓋は、規制委が「デブリ(溶け落ちた核燃料)が上にもあるようなもの」というほどに極めて高濃度放射能で汚染されていることが新たに分かった。
上蓋は直径約 12mで分厚いコンクリート製の三枚重ねで、総重量約 465 トンもあり、動かすのも容易ではない。

2号機の上蓋の放射性セシウムの濃度は、少なくとも2京~4京ベクレル(京は兆の一万倍)で、10 年前の事故時に大気に放出された量の2倍程度と推計される。

放射線量は毎時10 シーベルトを超え、人が1時間ほどとどまれば確実に死亡する。

デブリのある格納容器底部の毎時7~42シーベルトにも匹敵する。

この状況が、3号機も同様に存在する。
そのため格納容器上部から底部のデブリを取り出すことも極めて難しくなった。東電や国が構想する廃炉作業は、いかに多くの人々を犠牲にしようとも事実上不可能となった。
1~3号炉底部のデブリは、遠隔操作のカメラから短時間ごく局部的に診られただけで、全体像は全く不明なままである。

デブリから発せられる放射線で水がどの程度分解されて水素が発生しているのかも分からないまま、水素爆発を防ぐために窒素を注入し続けている。
デブリが再臨界する恐れもあるので、ガスに混ざる放射性物質を常時監視しているが、この監視システムや、窒素注入・排出システムが故障することもまれではない。

各建屋上部にあるプールからの核燃料の搬出すら、クレーンなど機器の故障や、核燃料体の変形や、水素爆発時に生じた瓦礫(が れき)などに妨げられて、思うようにいかない。

原子炉格納容器の上蓋は、デブリと同等の死の灰を抱えて、大地震や台風などが契機となり、いつ飛散して 10 年前のような放射能を県民にばらまくかもわからない事態なのである。
そしてその量は、10 年前の比ではない可能性も十分にある。

このように、10 年間の原発の状況経過を見れば私たち素人でも分かるような危険を背にしながら、私たちは生活をしなければならないのである。

また仮にそうした大事故が再び起きるようなことがなくとも、被害地域はこれで安全、と言えるのかも疑問です。
お分かりのように放射性物質は科学の力では消す事もできず無毒化はできません。
自然消滅を待つほか手立てはない。
除染は大変な費用をかけ長期間行ってきましたが 100%除染できるものではありません。
また山などを除染できるわけではありません。
日本は災害国と言われているように台風、地震などが頻繁に起きています。
福島は 2019 年の 19号台風の災害工事がまだ終了できておりません。

事故による放射性物質が放出された量は広島原爆の 168 個分と言われていますから自然豊かな福島を汚染してしまったことは明らかな事実であります。
その放射性物質 は取り除いたと言うが汚染された全体像からすれば少ない事もご存じの事と思います。
到底福島の山(阿武隈山脈)を除染など出来るわけがありません。

雨風で放射性物質は流され生活圏の地へと流され続け、被害の発生は繰り返されるのです。
自然の恵みは福島で生活する限り必要なものであり、そこに放射性物質がある限りいくら線量が下がったとしても被ばくするのは避けることができないのです。

つまり粘土鉱物に吸収されて表面土壌に長く保持され、セシウム137 は半減期30年と長くその影響は続くので、私たちはこれから 50 年、100 年,福島県の汚染の強いところでは数百年にわたって汚染と付き合うことになることになり、これからも被害は続くことになる。

松崎道幸先生(医学博士道北勤医協旭 川北医院) による参考資料

参考資料1頁(1)京都大学予防医学科チームは、福島原発事故による放射能汚染地域に50 年間住み続けた場合の累積外部被ばく線量は、川内村では 15.1 ミリシーベルト、南相馬市原町区で25.7 ミリシーベルト、相馬市玉野で42.8 ミリシーベルトに達すると推定しています。

参考資料1頁(2)汚染地図から読み取ると、浜通りから中通りの広い地域で20 ミリシーベルト前後の累積被ばく線量となると予想されます。

参考資料1頁(3)(注) 2010 年以降、多くの研究で、10~20 ミリシーベルトの被ばくにより成人の発がんあるいはがん死リスクが数%~10%増加する可能性があことが報告されています。

さらに放射線感受性の高い子どもでは、白血病などの小児がんリスクが1 ミリシーベルトあたり数%増加することも明らかになっています。

したがって、原発事故による放射能汚染地域に終生住む人々は、無視できないがんの危険にさらされるおそれが高いと言わざるを得ません。

注)誌面の都合で資料(3)は割愛しました。(1)(2)は別掲の汚染地図です。
なお、地図にある「南相馬市原の町」は「南相馬市原町区」です。『会報』編集担当

川内村、南相馬市原町区、相馬市玉野地区だけのデータですので汚染地域はまだまだ線量の高いところが多くあります。

こうした現地の状況からすれば、東電のいう既に賠償は済んでいるなどという事は、被害者の気持ちを逆なですることであり、原発を稼働させ事故を起こした責任は重く、最後の最後まで被害者に対し寄り添い対応するのが社会的常識であり加害者として当然の責務である。
「臭いものにはふた」をして逃げよう、責任逃れをしようなどといういまの東電の態度は断じて許されるものではない。

仙台高裁判決で認定された時点の被害はごく一部であって、「放射能公害は長期に渡って被害が続くこと」をせめて最高裁にこれだけは認めてほしいと念願しております。
ご配慮をお願い申し上げます。以上

【参考資料】 汚染地図と 50 年間住み続けた場合の累積外部被爆線量

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