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相双の会 会報104号

相双の会 会報104号

原発事故被害者「相双の会」会報104号が届きましたので、転載します。


2020 年大変お世話様になりました。 今年もご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

昨年は、新型コロナウイルス禍で、日本は如何に基盤の弱い国であることを露呈しました。
国民の大半が働けど路頭に迷い、安い賃金から所得税、消費税など、とことん持っていかれていま す。

福島原発事故への責任も取らず被害者を追い詰めています。
除染土壌の公共事業再利用、帰還 困難区域の除染抜きの解除、トリチウム海洋放出が安全な根拠が何処にあるでしょう。
危険だか ら除染した危険物土壌をどうして公共事業に使うのですか。
原発事故関連裁判が、高裁判決で、国・東電に責任があると断罪された。
当然今後の高裁判決も 国・東電の責任が明確になるだろうと期待します。

私たちはこれからも「原発のない安心して生活できる平和な社会」のために訴え続けますので より一層のご協力をお願い致します。

連帯メッセージ 3.11 から 10 年 東海第2原発再稼働止めます
茨城県ひたちなか市 荻 三枝子

3.11 からもうすぐ 10 年。
良かったこと、原発事故当時民主党政権だったこと。
もし、あの時安倍や菅の自民党内閣だったら、 東日本は壊滅していたことだろう。

安倍晋三の原発に関する発言を拾ってみる。
2006 年 12 月 13 日、吉井英勝衆院議員の「巨大地震発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民を守ることに関する質問主意書」 に対して、安倍は海外と日本の原発は違、非常用発電機など、二重のバックアップ電源が喪失するとは考えられないとして、対策を講じなかった。
2011 年 5 月 20 日のメルマガでは、福一原発事故における海水注入について、菅総理が止めたと嘘を発信し、退陣を要求した。

安倍の政策を継承するという菅。
何の反省も考えもなく原発再稼働に邁進している。
このような中で、女川原発の再稼働は、議会、県知事によって容認された。
東海第二原発も このことは対岸の火事ではない。
11 月に行われた日本原電の説明会では、再稼働ありきだった。
質問は、広域避難計画が多く、30 キロ圏に 94 万人 が住むこのような地に、原発を建設すること、まして福1の過酷事故後に再稼働など考えられないと主張。

県内の様々な市民団体は各自治体首長への申し入れや地域でのニュースの配布など広範囲に活動しているが、そもそも防災対策を講じなければ公衆のリスク軽減ができないような施設は作るべきではないし、まして再稼働など許されない。
原発ゼロ社会を目指して、ともに頑張りましょう。

 

原発事故から 10 年―動物除けの花火持参で散歩の日々
南相馬市小高区 佐藤周一

小高区の避難指示解除から約 1 年後、自宅を リフォームし、意を決して帰還しました。
事故前に 22 世帯あった我が行政区は帰還した世帯は 3世帯のみで、増加するみこみは全くありません。

事故前の行政区排水路の掃除、農道の草刈り等共同作業、新年会、花見、神社例大祭などの交流事業は全く行われなくなってしまいました。
先祖代々引き継がれてきた行政区内での輪番制一忌頭制度(葬儀時の世話人)も今年から廃止になりました。行政区長の選出も大変です。

自宅の目の前は水田風景が広がっていましたが、今は除染廃棄物の仮置き場と化し、フレコンバックが積み上げられ、部落内には重機と大型トラックの騒音がむなしく聞こえます。

帰還後も老犬の散歩を続けていますが、時々 猿やイノシシの群れに遭遇します。
特に猿の群れには恐怖を感じ、狩猟免許者から頂いた5連発花火を持ち歩いて散歩します。
このように 人々が住まなくなって動物が繁殖しています。

共同墓地では遠距離へ移転した世帯では墓仕舞いをし、墓を移転した世帯もあります。
このようにこれまで築き上げてきたコミュニ ティ、扶助精神、共同作業(人足)等が失われ、 老人世帯だけが残る限界集落から、集落の消滅 に陥るのではないでしょうか。

私の行政区の津波被災世帯は、すべて他区へ移転しました。
東電は「小高区域津波被災世帯 が原発事故避難指示解除により小高区域内に帰還しない大きな原因は津波被災の影響が大きいからである。」と主張しています。

しかし小高の沿岸集落の人々は以前からいくつかの大きな水害にあいながらも先祖代々の農地を守り、生活を築いてきたのです。
沿岸周辺の移転者に聴取すると、「津波による災害だったならば、南相馬市で計画した小高 区域への集団高台移転区域事業計画に賛同し地元への移転を考えた。小高地域から移転した理由は放射能が怖いから。
原発が近く再度爆発しないか不安だから。」なのです。
結果的に集団高台移転事業計画は成功しませんでした。
今後もこのような状況の中で原発事故によるコミュニティ喪失、人生を破壊してしまった大罪が、司法の判断で正当に裁かれることを強く訴えつづけます。

 

小高区の猪の群れ

 

10 年を振り返って―不条理は許せないと裁判に
浪江町出身 大塚 智

一言で無我夢中の 10 年です。
3月 11 日の大地震、原発事故、家族6人で車中泊を皮切りに西へ避難行、福島の学校へ二泊、14日の3号機の惨状を見て柏崎市の妹宅へ逃げ込みました。
孫たちの高校入学など難題続出でしたが、本人たちの頑張りを見て応援を覚悟しました。

大熊から原発のある柏崎への移転。
その大雪を見て再事故を想像し心配の連続でした。

その後一連の学業も終え各々巣立ちが出来 安堵しています。

そして6年半、息子達とやっと郡山市に居を構えました。
早 10 年です。気付けば老々です。
最も充実した時間であったにもかかわらず、強制避難とは軋首そのものです。
仕事の継続はおろか事務所にすら二度と戻る事も出来ず、昨日までの「業」は断切られたのです。
正に絶望の一言です。その後弁護士と相談、これが私の裁判闘争のはじまりです。

いわき地裁判決から控訴し仙台高裁と二度の意見陳述、毎回の裁判傍聴で被告(東電)弁護人から「お金は上げたでしょう、賠償金も払って上げたでしょう」的な言動と態度には心底憤を感じました。
東電は不服として最高裁へ 上告。
その理由説明には許し難くますます闘志が湧き上がりました。
未曽有の大事故を起こし誰一人責任も取らず、不条理は承諾できません。

一方政治責任もあります。
原発を国策として、 この世で最も危険な原発を進めてきた責任である。
安倍総理は再三来町して「東北の復興なくしてあり得ない」と言いながら「除染」「除染」と言い帰還を訴え叫んでいましたが、避難 解除後三年経ても住民帰還は8%程度であり、 帰還拒絶は 55%に及ぶ。
まさに「笛吹けど踊らず」、町民は恐れおののいています。
この事実をどう思い説明するのか是非聞きたいものです。

安倍総理は五輪 IOC 総会で全世界に向けて、 最終プレゼンテーションで放射能汚染水は完全にブロックされていると嘘を言ったのである。
現実はそれどころでない。
原発事故を覆い隠すようにコロナ禍で自殺者が多発、特に女性の多さが危惧されています。
雇用不安をはじめとして貧困で苦しんでいます。


大塚智さん宅の跡

 

声を出し続けましょう
南相馬市原町区 大森照夫

私が、青年時代に双葉地方に行き、原発の危険性を地権者の皆さんに広げようと廻り、 賛成者の方から「斧」で追いかけられたりしたが、その「福島原発」が世界でも最大級の事故を起こしてしまいました。
原発は、「交付金」と言う「毒饅頭」で地元の声を抑え、「安価で安全で安定な発電」とうそぶき、東京で使う電気を発電して来たのです。
「安全神話」が崩れた「原子力発電」ですが、 政府は懲りずに、手を変え品を変えて「原発の再稼働」を進めているのは何故なのでしょうか。
そしてまた「30 年以内に放射能のごみは県外へ」の約束を反故にし、「除染土壌の再利用」 で地元に埋め戻し、有効性が疑問視されていた「凍土壁」でさらに増え続けた汚染水は、他の放射性物質も多く残っているにも関わらず、 「トリチウムは自然界にも存在するから海洋放出が現実的」と公海さえも汚染しようとしています。
「薄めて流せば大丈夫」と言われてい たが、自然界の生物たちが濃縮することによっ て有害性が飛躍的に高くなることが明らかになったのだ。

そうなると水俣病を経験した私たち日本人にとってみれば、「トリチウムは自然界で有機化するのだから、流してはいけない」となるはずだった。
ところが多くの人々が知らないことをいいことに、海洋放出しようとしているのだ。

それに対して漁業者団体は理解を示しつつあると報道されたが、公聴会での参考人の人々はみな反対だった。

「福島原発事故」処理は、全て国民の血の滲むような税金を投入し、被害者をそっちのけに住民を分断し、避難者は心の拠り所とふる里を失い、10 年経った今、何が残ったのでしょうか。
年間1m㏜や 20m㏜と数字を並べ、子どもの 「甲状腺がんは事故の影響でない」と言い切り、 原発事故の責任を未だに誰一人負わずにいます。
低線量被ばくの影響、私たちの生活は「放射能への不安」があと何十年も続き、孫子の代まで負の遺産を残すことになりました。
原発事故を一般の災害と同じように 10 年で区切りを付け、オリンピックで完全に日本は克服したと言いたい政府の姿は見え見えです。
この汚された大地そして奪われた健康で安心して暮らせる生活を取り戻すには、それぞれがそれぞれの場所で《声》を出し続けなければならないと思います。

 

原発事故でふる里を奪われ―1頁でも戻す事が出来れば
双葉町 小川貴永

東北大震災が発生し福島原子力発電所から出た放射線により双葉町から避難してもう 10 年も経とうとしている。
震災発生当時、養蜂業を営んでいたが現在も養蜂場はゲートが張られた帰還困難区域になっており今後どうなるか分からない。

自宅は国道6号線の寺内前信号の近くだったが泥棒による盗難、イノシシやハクビシンなどの野生動物に侵入され荒廃し2年前に撤去する事になり私の自宅だけではなく近所の家も解体撤去し周辺は空き地になってしまった。

双葉駅は令和2年3月 14 日常磐線が再開された、双葉駅近くの初發神社は震災で傾いていたが専門業者に依頼し放射線の測定や除染改修工事を行い 10 年掛かって神様にお帰り頂きました。
双葉駅と初發神社以外はほとんど空き地です。
これが復興やイノベーションと言われるものの現実です。

伝承館というものが出来ましたので入場しましたが、何がテーマかわからず原子力発電所の被害で自治体が壊滅し人々の人生をダメにしてしまった重さがありませんでした。

私の祖母、父親、は避難から双葉町に帰る前に亡くなり、私の長男は 1 歳で次男は生後半年で避難しもう小学校の高学年ですが双葉町など分からないでしょう。
故郷をなくすことは伝統文化、地域の人間関係、私が通った双葉北小学校、双葉中学校 双葉高等学校を無くしました。
これらは本当に重い罪です。

原発事故は私の人生のほとんどを奪ってしまいましたが 1 頁でももとに戻したいと今は 思っています。
その思いこそが今の私を生かす活力となっているのです。


神様だけが帰還した初発神社

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◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

 

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