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相双の会 会報102号

相双の会 会報102号

原発事故被害者「相双の会」会報102号が届きましたので、転載します。

10 月 14 日福島地方裁判いわき支部、原告2名、原告代理人弁護士2名の意見陳述をおこなわれ結審となりました。
来年 2021 年2月9日判決となります。

本訴訟は 2013 年 12 月から間もなく7年になります。
この間、原発被害者原告団の方々は家族がバラバラにされながらも必死になって故郷再興に取り組んできました。
しかし福島県内で原発事故に伴う関連死認定だけで2,312 人(8 月5日現在)。
昨年同期からすると孤独死、自死者が 35 人も増えています。
事故から間もなく 10 年、それでも先が見えず、夢と希望が断ち切られた結果ではないかと思います。

あの時 10歳だった子供たちは20歳になり、 もう故郷を思い出せない子供たちもいます。
転校から転校が続き不登校になったり、言葉の違いからか、いじめが社会問題にもなりました。

避難地域が強行避難解除され、学校も再開されました。
避難解除された地域はどこも同じですが、川俣町山木屋は学校再開のために13 憶5千万円かけ改築しましたが、再校当時小中児童生徒 15 人、2018 年に小学生5人が卒業し他の中学校へ入学したため1年で休校になりました。
現在は中学生3人中2人は避難先の福島市から通学です。

原発事故とは放射性物質がバラまかれてしまい将来に渡って健康不安が懸念されます。
特に若い方、子どもたちが心配です。

結審まで 7 年という長きにわたる裁判でしたが、意見陳述をはじめ原発事故の実態を訴え続けてきました。
来春2月9日の判決は勝利の旗を高々と上げられる結果であることを期待したいものです。

 

多くの期待が寄せられる第1 陣最高裁の闘い

原発事故による裁判は各地裁での一審から次々と高裁での二審の闘いへ移行していますが、すでに「原発避難者訴訟一陣」と「生業裁判」は、仙台高裁判決から最高裁での闘いに移っています。

仙台高裁判決では、東電・国の責任論は明らかに断罪されました。
しかし、賠償については納得できない判決です。
福島原発避難者訴訟一陣と三陣には「相双の会」からの原告に関わっています。
一陣は最高裁となっていますが、三陣はまだ福島地裁いわき支部であり、遅れていることに不満が続出しています。

それにしても一陣の最高裁の闘いで、「勝利」の旗を高々と上げられるような取り組みが必要です。
全国へ避難している原発被害者は、訴訟に参加してない方々をふくめて勝利に期待していることは明らかです。
また全国民だって 60%以上が原発のない社会を望んでいるのであり、福島のようになりたくないのです。

私たちは平和で安心して子育てできる。原発のない社会にするために、各裁判は最も重要であると思っています。

団体署名・各個人署名の用紙が遅れていますが、間もなく出来上がると思いますので知人友人への呼びかけとご協力をお願いします。

「事故」を語らせない、「災害」の伝承館⁈

東日本大災害・原子力災害の「記録を未来へ継承していくための施設」として2020 年9月 20 日に双葉町に開館されました。

建物は3階建て延べ床面積約 5300 平方メートル。素晴らしく立派です。
福島県が建設したとなっているが、国が実質全て負担しました。
国の職員も出向する公益財団法人「福島イノベーション・コースト構想推進機構」が管理、運営しています。
入場料、大人 600 円、小中高 300 円です。
館内写真撮影禁止が目に付きます。
津波による写真などはなかなか充実しているが、災害時のそもそも展示数が少ない。
原発事故時の模型らしきものはあるが、あの恐怖の実態が伝わりません。

「世界初の甚大災害」とパンフレットには書いてありますが、「原子力発電所事故」の実態がどこにもありません。
市町村が崩壊、家族までバラバラされてしまい元に戻れなく苦しみのあまり世を去ってしまった人、その生の声など、どこにもありません。
「原発事故」という言葉もない。
語り部の方からも「原発事故」の言葉が一言も出てきません。
だから教訓を十分に伝えられる内容になっていません。

パンフレットをはじめ展示はすべて「原発事故」ではなく「原子力災害」なのです。
まるで自然災害であって、管理に責任がある「事故」ではないのです。
「放射能公害」で元に戻るには 200 年~300 年と自然消滅を待つ他ないという事も何処にも載っていません。

「伝承館」とは、ありのままを知ってもらい、広めて頂く事ではないでしょうか、伝承とは、後世にありのままを伝える事でしょう。
とすれば入場券とか写真撮影禁止などあるべきでないと思います。

原発事故を覆い隠し、何ごともないとする宣伝のための伝承館なのか不審でなりません。

事故からもうすぐ10年をふりかえる

9年たっても謝罪なし

原発事故から間もなく 10 年になろうとしています。
日本全土が恐怖というか騒然としました。
外国からも「日本で何事が起きたのか、何をやっているのか」と危惧され、日本の食料品は全て嫌われた時期がありました。

福島県の太平洋に面した浜通りの住民は県外へぞくぞくと避難していきました。
勿論、双葉郡、相馬地方は避難命令が出されましたから、全てを捨ておいて逃げました。
国と東京電力は何をしてくれたでしょうか。
法廷でも国会でも、「大変ご迷惑をおかけしています」だけで、今以って謝罪はありません。
「ご迷惑をおかけします」と、列車にイノシシがぶつかって遅延した時にもいわれます。
自分には責任がない時の言葉です。

当面、生活が大変だろうと、二人以上の世帯は 100 万円、一人世帯は 70 万円を貸し付けました。
見舞金ではありません。だから、後で賠償金から差し引かれました。

除染はなんのためだったのか?

政府は、水素爆発するたびに放射線量について「直ちに人体や健康に影響を与える数値ではない」と色んな解釈ができる表現を繰り返しました。
まさに国民を愚弄するものです。
危険だから「避難しろ」と指示しながら、「直ちに人体や健康に影響を与える数値ではない」と繰り返したのです。
その後、御用学者の先生方は放射線管理区域に匹敵する数値であっても安全だと言い出しました。

次は聞きなれない言葉は「除染」しろと言いだしました。
屋根瓦を洗う、道路を洗う、それも除染した水は垂れ流しです。
後に垂れ流しでは何の効果もない事を指摘され、やっと改善されました。

しかし、除染しても放射性物質は拭いきれません。
9年過ぎた現在でもできないのです。

居住地域だけ除染し、広大な山林は始めから手付かずです。
雨が降れば流れ出ます。風が吹けば舞い上がり放射性物質は拡散されます。
事態を冷静に見つめた学者には、莫大な金をかけて除染するよりも、線量の低い地域に住民を集団移住させるべきだと提言するかたもいます。

除染効果が上がらないと見るや、今度は何を言い出すのか、除染土壌を公共事業に使うと言い出しはじめています。
そして「除染は手段であって目的ではない」と言い出し、「安全だと思えるようになるには心の問題という面もあります」などと訳の分からない事を述べる始末です。

除染せず避難指示解除

次はなんと「除染せず避難指示解除」を言い出しました。
政府の原子力被災者生活支援チームは原子力規制委員会に対して、避難指示区域についての新方針を示しました。
それは「除染しなくても避難解除できる要件」を検討し、除染しなくても解除できるようにしようというのです。

除染しても放射性物質は拭いきれないにも関わらず、除染もしないで解除とは国民の命と健康など一欠けらも考えていないことです。

そしてトリチウムなどの海洋放出を提案

菅政権はいよいよ漁民や国際的な反対を押し切って、事故によって発生した大量の汚染水の海洋放出に踏み切ろうとしています。

原発を稼働していれば、一定の放射性物質を含む水は常時海洋へ放出してきたと言われています。
しかし、福島原発事故による地下水の汚染水には、放射性物質はトリチウムばか りではなく他の物質も含まれていると言われています。
例えトリチウムだけでも安全と言える根拠があるのでしょうか、重荷になっている東電や国からすれば放出したいのでしょうが、そんなことを許すことはできません。
単に「風評被害」では済まされません。
実害がある事を明確にしなければなりません。
放射能に風評被害などあり得ないのです。
全てが実害なのです。
「風評」とはありもしない事を言われることですから、胡麻化されてはなりません。

汚染水処理の解決策

1、最善策として、事故を起こした第一原発から近隣でもある第二原発が廃炉にすることが決まっているので、その広大な敷地を活用すべきであります。

2、第二原発にタンクを造り、配管輸送すればまだ何十年分を貯蔵することもできる。また建屋を造り、セメント固化して保管することもできる。

3、その間に研究を重ね、安全を最重要とし、今に生きる私たちが後世に責任を持つことである。

海洋放出方針にたいしては、パブリックコメントで山のような反対、危惧の声がよせられました。
全漁連も強く反対しています。政
府も決定を延期しました。
しかし菅首相自身が実施の意志をもっています。
さらに反対の声をあげましょう。

「相双の会 101 号」会報に誤りがございましたので訂正をお願いします。
購読されている皆様方には大変ご迷惑をおかけし申し訳ありません。

一頁
左下から8行、「田舎暮らししよう」、を「田舎暮らしをしたい」と修正
右上から6行、「1989 年(平成元年)5月飯舘村に中古住宅を買い移住しました」を「3町歩の土地と空き家を買い求め、自然卵養鶏を始めました。」と修正
右上から 10 行、「農地を借り受け養鶏をはじめました。養鶏と言っても単に狭い檻の中に閉じ込めての養鶏ではなく」、を「養鶏と言ってもいわゆるケージ飼いとは違って、質の高い卵をとるために、まずは健康な親鳥を育てることにこだわりました。」と修正
「350 羽飼った」は削除

二頁
左上から 11 行、「葉子はホームの理事、婦人会の役員」を削除、左上から 12 行、「絵画」を「墨絵」に修正、16 行、「味わい」を「え」に修正、

三頁
左上から5行、「介護老人」を「養護老人」と修正
左下から6行、「何時でも妻に会いに行けます。」 を「毎週日曜日には妻に会いに行きます。」と修正
左下から4行、「バトミントンで全国大会へ出場し、バレーボールも活発だった」 を「テニスで全国大会へ出場し、スクーターを乗り廻したり活発だった」と修正
右下から9行、「バラバラになってしまい」を「されて」と修正

ご意見のお願い
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。
匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

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