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相双の会 会報100号記念号②

相双の会 会報100号記念号②

原発事故被害者「相双の会」会報100号記念号が届きましたので、2回に分けて転載しています。


現実に向きあい、真実を追究するしか人間らしく生きる道はない
シカゴ大学名誉教授 ノーマ・フィールド

相双の会「会報」も 100 号に達し、真っ先に「おめでとうございます」と 申し上げたいところです。
しかし、なぜこの会が立ち上げられたかを思い浮 かべると、単純にお祝いするわけにはいかない。
敬意と感謝を表したいのは、被害者の尊厳を追求するなか、原発事故がもたらした被ばくと汚染の厳しい現実から目を逸らさない姿勢に対してです。

甚大な被害を被った人たちが自らを被害者として認識することが難しいのが福島原発事故。
「絆」、「風評被害」、「復興」、とアメにも ムチにもなりうるかけ声に操られてしまうのは 悲しいことです。
自ら沈黙し、周囲にも沈黙を 強いるようになってしまう。

広島・長崎の被ばく者に向けられた差別は福島の被ばく体験の認識を妨げてきました。
原爆投下 75 周年を前にして、広島地裁は「黒い雨」 による内部被ばくに言及した、原発事故の被害を訴えるためにも画期的な判決を下しました。
核兵器も原発も人類を脅かすものでありながら、 私たちはだましだましそれらと共存してきました。
コロナ禍は、政府の不作為と社会の歪みが 感染の広がりを加速化させ、実存が脅かされるとはどういうことか、予備体験を提供しているかのようです。

やはり、手をつなぎ、現実に向きあい、真実を追究するしか人間らしく生きる道はありません。

相双の会「会報」はそうした軌跡を伝えてきました。
その大切さは今後、ますます示されることに違いありません。

 

加害者・国を処罰したい
元京都大学原子炉実験所助手 小出 裕章

相双の会会報が 100 号になるという。
被害者の皆さんにとっては、長く苦しい、先の見えない時の流れであったと思う。

放射線に被曝することは危険を伴う。
そのため日本でも、国が法令で被曝を制限し、一般の 人たちには1年間に1ミリシーベルト以上の被曝を加えてはいけないと定めた。
私自身はかつて京都大学原子炉実験所という特殊な職場で、 様々な放射性物質を取り扱う仕事をしていた。
その私は京都大学から給料をもらっていた。
その給料の代償として、私は「放射線業務従事者」 というレッテルを貼られ、一般の人たちの 20 倍、 1年間に 20 ミリシーベルトまでの被曝を我慢せよと言われた。

フクシマ事故は広大な汚染地を生じさせた。
それを見た国は、一般の人でも1年間に 20 ミリ シーベルトまでは我慢せよと言い出した。
被曝の感受性は年が若いほど高い。
赤ん坊や子どもたちは放射線感受性が高いし、東京電力からも 国からも給料を貰わない。
それなのに放射線業 務従事者が受ける危険と同じ大きさまで危険を我慢しろと日本の国が言う。

その国こそ、国策民営として原子力を進め、 フクシマ事故を引き起こした加害者の頭目なのである。
彼らを犯罪者として処罰したいと私は思う。

 

原発事故被害者・相双の会のみな様
京都大学複合原子力科学研究所・研究員 今中哲二

原発事故からもうすぐ 10 年になりますが、大阪暮らしが長い私にとって、原発事故が起きるまで福島や東北は縁遠い場所でした。
それがこの間、飯舘村を中心に 50 回以上も福島を訪ねて、 みなさんに協力してもらいながら放射能汚染の調査を行ったり、さまざまなことを学ばせてもらっています。

原子力工学を専攻していた私が原子力開発のあり方に疑問を持ち始めたのは、1970 年代はじめ大学院生の頃でした。
当時、日本中で原発建設が進められていましたが、どこでも必ず反対運動が起きていました。
いまある日本各地の原発は、国や電力会社が金と力で地元住民の反対運動を押しつぶして出来上がったものです。
私 は 1976 年に京都大学原子炉実験所に助手とし て採用されましたが、研究者としては、原子力が抱えている負の側面、つまり原発事故や放射能汚染に着目した研究をやってきました。
なかでも 1986 年に発生したチェルノブイリ原発事故は、「原発で最悪の事故が起きたらどんなことになるか」の実例として調査をしてきました。

2011 年3月までは、「日本でもチェルノブイリのような事故が起きる可能性がある」と警告していればよかったのですが、福島でホントに起きてしまいました。
それ以来、福島原発事故による放射能汚染の調査や被曝量の見積もりが 私の主な仕事となっています。
原発事故により、 東京をはじめ関東・東北の広範な地域が無視できない放射能汚染を蒙りました。
飯舘村のように汚染の大きいところでは 200 年、300 年にわたって汚染が続きます。
そうした中で、避難指示を受けて避難されている人、自主的に避難されている人、放射線量が減ったので戻られた人など、被災者のみなさんにはいろいろな選択があることと思っています。
私たちがやってきた汚染測定や被曝見積もりがみなさんの判断のお役に立てばと思っています。
そして、原発事故に責任のある東電や国は、どのような選択であろうと、みなさんの選択を面倒見る責任があると思っています。

東京オリンピックはいち頓挫したものの、政府や原子力ムラは、事故の後始末は終わったかのように見せかけ原発の再稼働に向けてうごめいています。
相双の会のみな様には、事故被災者としてまっとうな要求を国や東電に求め続けて戴き、原子力発電に頼らない世の中へむけて一緒に声を上げて行きたいと思っています。

 

100 号発行に際して
大阪市立大学教授 除本理史

このたびは 100 号の発行、まことにおめでとうございます。
会の代表である國分様には、2013 年 11 月に会津若松でお会いして以来、たびたび会合でお目にかかったり、あるいはお話をうかがったりしてきました。
会報もいつもお送りいただいており、感謝申し上げます。

2012 年 12 月に、福島地裁いわき支部に提起された避難者訴訟では、意見書を出したり専門家証人尋問を受けたりして、微力ながら被害実態の解明に努めてまいりました。
2020 年 3 月の 仙台高裁判決では、損害認定で大きく前進した判決が出され、原告の皆様のご活動が多少なりとも報われたのではないかと感じております。

訴訟で、原告側は「ふるさとの喪失」が単なる精神的苦痛をもたらすだけでなく、自然の恵みや住民同士の結びつきなど、日々の暮らしにとって不可欠な条件を奪われたのであり、いわば実体的な被害があるのだ、と訴えてきました。
仙台高裁判決は、こうした原告の主張を正面から受け止めたと感じています。
今後は最高裁に 審理の場が移りますが、原発事故による深刻な被害の実情を踏まえた判断がなされることを期待しています。

 

決して負けないという意志
道北勤医協 旭川北医院院長 松崎道幸

国と東電の犯罪的過失による東電福島第一原発事故から 3500 日、政府お抱え一民間会社の 「過失」によって、故郷での穏やかな暮らしと生業をすべてはぎとられ、損害賠償と現状回復 を求めて戦う皆様の決して負けないという意志に深く敬意を表します。

首相官邸のそばで同じ「事故」が起きても、 被ばく量は年間 20 ミリシーベルト以内だから、 首相はどうぞ官邸におとどまり下さいと言えるのでしょうか?

原発は短期的には化石エネルギーよりも安く発電できるというセールストークで始まりましたが、長期的には核兵器を作る能力を確保するためという目論見がありました。
核兵器のためなら、たとえ国土の数%が立ち入り禁止となっても構わないわけです。
自然エネルギーの方が原発よりもずっと安く電気を作れる時代になっても原発を止めないという資本主義的でない方針を貫くのもそれが根底にあると思います。

新型コロナ問題に直面している現政権は、ほとんど対策をせずに、大多数の国民がコロナに感染して免疫ができてしまえば、それでオーケーだと言わんばかりの無策です。
感染弱者の高齢者が亡くなるのも、年金や医療費支出の節約になるから大歓迎だと現政権は考えているとしか思えません。
「決して負けない」という皆様の意志をしっかりサポートしたいと思います。
みんな、がんばんべ!

 

アメリカから日本の思い出
―山菜と原発事故

環境ジャーナリスト 米国在 ウィニフレッド・バード

最近、私が夫と息子二 人を連れて山菜やベリーをよく採りに行くようになった。
少し前は好物のゴボウの花軸の時期、そして今はジューンベリー、桑のみ、キイチゴが順に熟す季節だ。
家族でこのように時間を過ごすのはとても喜ばしいことだが、実はそのきっかけはコロナウイルスという災害だった。
私たちは世界一感染者の多いアメリカに住んで いて、日に日にその恐ろしい数が増えてしまう。
安全に暮らすなら、お店やカフェ、友達の家などには行ってはいけない。
唯一心配なく自由に遊べる場所は人がいない自然なのだ。
幸い、私 たちは田舎暮らしで周りの自然が豊か。

でもこの状況になって、福島原発事故をよく思い出す。
2011 年9月 11 日、私は長野県に住んで環境ジャーナリストとして勤めていた。
取材で何回か福島に通って、森林汚染の特集を書くために田舎の人々に話を聞かせていただいた。
山菜やキノコを採らないようにしている人、山菜を採って捨てる人、自分が歳だから山菜を食べているが、孫に食べさせない人。
事故が皆さんの自然との関わりを一変させた。
今回のウイルスと同様、人々の生活を根本からひっくり返した。
でも今回と正反対に、自然が癒しになったのではなく、原発事故によって自然が汚されて、怖いものや敵みたいなものになってしまった。
山菜は人と場所を密接に繋ぐものだ。
山菜 を採って自分が住んでいる風土を深く知る。
山菜を食べて、その住んでいる場所や風土が文字通り自分の一部になる。
身土不二。原発事故は その体験を奪う。

それは取り返しのつかない損失で、これから誰もその運命にならないように願っている。

 

コロナも原発も―行政を信頼できるか
フリーのチェリスト 土肥 敬

コロナの影響で音楽界も、とても、厳しい状況にあることは、皆様も、ご存知のことと存じます。

色々な事を考えます。
まず、自分なりに正確な情報を得たいと思います。
しかし、毎日発表 されるコロナ感染者の数に一喜一憂する気持ちに私はあまりなれません。
どの様な条件で、出された数字なのかが、私には、わからないからです。
自分が知る限りの現状と照らし合せて、 その数字が一貫した基準をもってないと感じているということです。
そして、そこに不透明さを感じます。
私は、行政に信じられてないのだと感じます。

音楽において、アンサブルをする時、私にとって一番大切なことは、信頼関係です。
技術のレベルや音楽的解釈が一致していても、感動できる音楽を創ることは、私には、不可能です。
国民として、行政に信頼感を感じたいと切におもいます。
原発被害者の方々が感じでらっしゃることも、 同じなのではないかと、察します。

 

1971 年以来の闘いと直面する課題
元社会党政策審議会 原 野人

労組員の資格を奪われた 1971 年に私は会社を辞して、公害の分かる人を求めていた社会党の政策審議会に入った。
当時福島第一原発の1号機が始動したばかりだったが、地震列島の各地の原発建設計画は心配になった。
まだどの政 党も平和利用なら良いのではと、原発に反対する方針はとっていなかった。
社会党の基本方針を決めなくては、という強い思いに駆られた。

72 年の党大会で、福島や新潟など関係 19 県 の共同提案という形をとり、原発に対する明確な反対方針を決めることができた。
「原発対策 全国連絡協議会」(原対協)が組織された。

各地には原発を懸念する勉強会や反対運動が始まっていた。
福島県浜通りのいくつかの勉強会にも呼ばれることになった。
ここで國分富夫さんや、古市三久さんや、石丸小四郎さんらと 知り合うことができた。
あれこれの事故が起きるたびに、東電の現地調査や申し入れにも参加した。
東電幹部の態度はどこまでも慇懃無礼であった。

懸念された大事故が起きてはや 10 年になるが、メルトダウンした原発の事態は依然として深刻なままである。
燃料デブリなどの実態把握もほとんどできていない。

巨大津波を予知できていながら改造もせずに稼働させた東電幹部や国の責任は限りなく大きい。
歴代の経営者や首相や経産(通産)大臣等には改めて重い刑罰がかけられるべきだ。

汚染貯水はどんどん増え、22 年にはタンクの増設も限界に達して、国や東電は海か大気中に放出するしかないとする。
トリチウム(三重水 素)は水素と同じ性質で水になっていて、人体のあらゆるところに出入りし、細胞やDNAに ベータ線を内部照射するので、がんや異常児の発生が増えることが懸念される。
放出時にいかに希釈しようとも絶対量は不変である。
放射性 ストロンチウム等も残る。濾過されているとはいっても、汚染水の絶対量が多いだけにセシウムも無視できない。

福島や近県の漁民だけでなく、アジア諸国民が心配するには当然である。

放出しない最善の解決策がある。
近くの第二原発には広大な敷地がある。
「週刊新社会」「社会通信」等でていねいに提案してきたように第二原発にタンクを造り、配管輸送すれば、まだ 何十年分をも貯蔵することができる。

そもそも凍土壁なぞという糊塗策ではなく、 当初からわれわれが提案してきたように、四方から遮水壁を造って格納容器の下に地下水が流入するのを止めていたら、汚染水の増加はとうになくなっていた。
完全循環水冷却方式を確立することもできていたはずである。

 

福島の若い皆さんへの大きな期待
元・原発被災者義援の会代表 富岡出身 矢内世夫

相双地区の男女 12 万余りの老壮青童幼年者が、あの忌わしくも嘆きと怒りに満ちた原発事故に遭遇し、かつ翻弄されて、間もなく 10 年です。
原発事故は明らかに人災であり、東京電力首脳部の結果責任対応には、筆者の一族 30 人は、 現在もなお釈然としない気持ちを抱いています。
賠償がなされたとはいえ、事故以前の生活に比 べはるかに貧しい状態を余儀なくされており、 加えて新型コロナウイルス禍の追い打ちです。

10 年前には小中学生(児童)だった人たちは、 現在立派な青年に成長され、福島県内の一部では、その人たちが現状打破を目指して行動を始めていると小耳にしました。
どんなグループなのか、リーダーはどなたなのか知りませんが、 それを老壮年の方々はどう思っておられるのでしょうか。
富岡町で生まれ育った者として、その若者たちの新鮮な行動に期待し、微力ながら 応援したい気持ちが沸いてきました。
皆さんの 心で輪になり和してこそ現状打破の運動が実り、 精神的にも経済的にも脱皮できると思います。
新しい環境、新しい世の中を創るのは、いつの時代も若者です。
上(政治や行政)に頼っても 何も得ることはない。
下(市民、ボトムアップ) こそ現状を変える大きな力になることは歴史が証明しています。
福島の若い皆さんにエールを送ります。
頑張ってください。

駅舎だけは立派になったが人は住めない双葉町

 

風穴を開けた情熱に感動
「宮城護憲の会」共同代表 横内 勲

執念で東京電力と政府に挑み続けた闘いの記録と呼びかけ 100 号ですか、ご苦労様です。敬服しております。

人間は、あってなきがごとしの「東電と政府」、 裁判所も被害者の旗色と政府などの顔色を見な がらの判決のようですね。
「感、無きにしも非 ず」でした。

幾度も悔し涙を流したでしょう。
しかし、被害者には、加害者に損失補填を要求し、全ての 面で回復を要求する権利があります。
「故郷喪失」という基本視点が争点になったのは、専ら みなさんの闘いの成果です。

生きつづけるためには、拒まれても拒まれても立ち上がってゆくのは、権利以前の問題です。
みなさんの不屈の精神は私たちに、あなたたち の問題でもあると突き付けられました。

宮城にあっては、女川原発の再稼働の問題です。
この地では避難のための路線すら確保できておりません。
人間の造った物に絶対はありません。
自然も優しく接してくれません。
これま でも小さいとは言え事故や不具合を隠し、報告すら繰り延べてきた実態があります。
利益のた めという体質は東京電力と同じです。

現在の社会は、人間として当たり前のことを主張するのがますます困難になっています。

みなさんの闘いに学びながら、小さな力ですが頑張ってゆきます。

 

「相双の会」会報 100 号に寄せて
京都市在住 木原 健一

会報第3号は、「一同に会して生活再建の道筋を確かめよう」、「東電と政府には『元の生活に戻す』義務があり、我々にはそれを主張する権利がある」と、会結成の第一声を伝えた。
それ以来、会は避難者訴訟の実現に立ちあがり、 会報はその長いたたかいの軌跡を記録してきた。

今年3月仙台高裁が東電の悪質性を認める判決を下し、第 95 号は勝利を高らかに報じた。
そして、謝罪拒否のうえに上告をして抵抗する東電に対する次なるたたかいを表明している。

皆様は、「会報」を訴訟団と全国で支える人とを結びつける頼もしい輪に育て上げられた。
この困難な道のりを乗り越えての第 100 号に、 心から賛辞を捧げたい。

事故当時、京都のわたしには津波被害の映像しか届かなかった。
2日後に目にした京都駅の 情景がいまも忘れられない。
男性がボストンバ ッグを抱え、茫然自失の様子で目の前を通り過ぎる人の流れをまえに通路にたたずんでいた。
気を引いたのは、彼が醸し出す空気である。彼 の前には、何事も起きなかった異次元の世界が広がっていたのだ。
その時、わたしは男性が這々の体で放射能難から逃れてきた人だと気づかな かった。
原発事故のニュースは伏せられていた。
そのことは、現下のコロナ禍の情報独占と同様、 一丸となって真実に覆いをかける支配機構の性癖を忘れていたからかもしれない。

これからも続けられる最高裁での闘いに勝利されんことを祈念しつつ、京都の地でもできることをなしていきたいとあらためて心する次第です。

 

交流を深め原発のない社会へ
千葉県長生村元村長 石井としお

相双の会 100 号・おめでとうございます。
國分さんと初めてお会いしてから毎年、福島に出向き、原発事故後の実態を知るため交流を続けています。
また、以前、私達が開催する長生村原爆の絵展にて講演されたとき「近所の人達とは苦楽を共にしてきたが、避難先では孤独となり友達がつくれる状況ではありませんでした」とのお話が印象的でした。

2017 年の3月に訪問したときは、避難解除された浪江町の一部を線量計で計測するとチェリノブイリで3人に一人が甲状腺ガンになっている数値と同じくらいの「毎時 4.2μSv」の値でした。
日本の国内では「0.04~0.05μSv」から すれば、100 倍の数値でした。避難解除してはいけない数値でした。
私は相双の会の皆様との 交流をこれからも続けていけたらと思っています。

安心・安全を考えたとき福島のような大惨事を二度と起こしてはならない。
原発のない平和な社会を皆さんと力を合わせてつくりましょう。

 

100 号記念メッセージ
高レベル放射性廃棄物誘致反対稚内市民の会事務局長 東 道

「相双の会」会報 100 号の発行に心から敬意を表します。

福島原発事故以降、皆さんの苦労は、計り知れないものがあったと思います。
稚内でも3.11 に併せ毎年講演会を行っていますが(2016 年には國分さんにも来て頂きました)今年は、コロナで中止せざるを得ませんでした。
稚内市の近 くの幌延町では、日本で唯一の高レベル放射性 廃棄物(核のゴミ)の地層処分研究が行われ、 私たちはこの研究拒否の闘いを 30 年以上も続 けています。

原発、「核のゴミ」の問題は日本の未来をどうするかの問題です。
復興事業を請け負った大 手ゼネコンが、下請け企業に裏金作りをさせて、 その金を巻き上げていたという許されない行為が明らかになりました。
日本の大企業は電力会 社同様、根元から腐っていると言わざるを得ません。
さらに政府の、除染土再利用や、除染をしない地域の避難解除の動きも報じられています。
地元住民にのみ犠牲を強い、失われた日常 の重さを考えようともしないのが、今の為政者です。

國分さんから毎回送って頂いている(No46 か ら)「相双の会会報」を、これからも仲間に配布し、皆さんの思いを少しでも広げることが出来ればと思っています。
皆さんの「ふるさとを返せ」の闘いに連帯し、原発ゼロ、「核のゴミ」 の地層処分に反対して私たちも闘い続けます。

 

バスツアーから広がったご縁
東京 勝守真知子

私は毎年おこなわれている東京南部のバスツアーに5回参加させて頂きました。

2013年、避難者とツアー参加者との交流会で、 國分美枝子さんのお話を聞きました。
住み慣れた小高の地を追われ転々と避難され、行き着いた会津の地も深い雪に閉ざされて、慣れない寒さと未知の土地柄、ご家族へのご心配などを声低くうつむき加減で話されました。

その姿から打ちのめされたご様子が伝わって きて、何としても力づけて差し上げたいという思いに駆られ、別れ際には思わず「ぜひ東京へ遊びに来てください」というコトバが私の口から出ていました。

それから半年後の翌年4月、國分美枝子さんが同郷の飯埼定子さん、高野洋子さんと共に吉祥寺へやってきました。
夜は近隣の人も集まって歓迎会。
ほとんどが初めて同士なのに、すぐ打ち解けて楽しく盛り上がりました。
翌日は観光バスで東京観光。3日目は「福島から避難の女性の話を聞く会」を開催。
急な声掛けにもか かわらず約 20 人の方々が集まってくださいました。

「年寄りと子どもたちを抱えて、とにかく寝るところをと、仮設みなし住宅も選ぶ余地はありませんでした。」東京の人間が避難者の声を直接聞ける機会はあまりありません。
とりわけ家庭をもつ女性たちの直面した苦難は他人事とは思えませんでした。
帰途の長距離バスに乗り込 んだ高野さんの「さあ、また戦場だ。がんばら んば。」という言葉が印象に残っています。

それ以降のバスツアーでは元気を取り戻してこられた美枝子さんにお会いするのが楽しみとなりました。
私は 2012 年より自宅で福島県からのお子さんとご家族をお招きするホームステイを行っています。
昨年まで 37 組、約 140 人のお客様をお迎えしました。

昨年のバスツアーでは、ホームステイでご滞在頂いたNさん親子に、ツアー参加者に体験談を話して頂きました。
原発事故当時は2人の幼児の母で3人目は避難先で生まれたとのこと。
避難者がいまの住まいに落ち着くまで平均6回の転居をしていること。
ひどい場合は 30 回も引 っ越したこと。
いまの住まいでも近所には原発避難者であることを言えないことなど、若いママさんの口から衝撃の事実が語られて、ツアー 参加者に強い印象を与えたようでした。

まったく無縁だった人々が心を寄せ合い、原発のない人間的な暮らしを求めて行動する中でつながったご縁が途切れることはありません。

 

賛!100 号
東京南部バスツアー参加者一同

2019年9月の東京南部ツアー参加者。大熊町役場前で

東京南部地域中心の相双地方への原発バスツ アーは毎年実施し昨年8回目となりました。
延べにして 300 人近い方が東京にいてはわからないことを体感して、身の回りに被害者の事を伝えて来ました。
リピーターが多いのは毎年行っても新たにわかることがあるからでしょう。
ひとえに受け入れてくれる「相双の会」があるからです。
今年はコロナ禍でできませんが、来年はバス2台でと夢見てます。(石河康国)

 

相双の会の活動に連帯して!
柏崎・巻原発に反対する在京者の会
国学院大学名誉教授 菅井益郎

東京電力福島第一原発事故によって故郷を追われて 9 年半、暮しを奪われた被害者の皆様のご苦労はいかほどであったことか。
避難生活の困難や避難者相互の連帯活動および東電や国に対する闘いを伝え続けてきた「原発事故被害者 相双の会 会報」が、逆境の中で毎月欠かさずに 発行され 100 号を迎えたことは、発行関係者の粘り強さと原発憎しの執念の現れだと思います。
しかし未だその終刊に至らないのは、原発事故被害がいかに長期にわたり人道に背き、人権を害するものであるかを示しているといえます。

相双の会の前身ともいうべき「原発事故避難者会津小高会」が結成されたのは 2011 年 11 月、 翌月同会は会報第1号を発行(手許には 12 年 7 月発行の第8号まで)。
12 年4月には「原発事 故被災者相双の会」は会報第1号を発行し、6月 「相双の会」が正式に発足すると、広く被害者に訴えて原告団を組織し損害賠償請求訴訟を提起、今日まで裁判闘争を行なって来ました。

原発が私たちの暮しと相いれないことが明らかになった今もなお政府は再稼働に邁進しています。
故郷の柏崎刈羽原発に反対してきた私は、 相双の会の皆さんの闘いに学びながら連帯して原発を無くすまで頑張るつもりです。

 

國分富夫さんの担当弁護士として8年
福島原発被害弁護団 弁護士 市野綾子

國分富夫さんと初めてお会いしたのは 2012 年です。
福島第一原子力発電所の事故で被害に遭われた方々が、先の見えない避難生活を必死に送られている時期でした。
そのころ國分さんよりいただいた、「相双の会」の透明な名刺は、 今もファイルにしっかりと貼ってあります。
國分さんいわく、「間違えて透明なものができてしまった」ということでしたが、かえって珍しくて丈夫であるために、一番目立って長持ちしています。

当時の私は弁護士になって2年目でした。
そのころから8年、弁護士登録 10 年となるわけですが、今振り返るとあの時期に國分さんとお会いできたことはその後の私の弁護士活動を方向づけるきっかけにもなったと思います。

2013 年7月、國分さんたち相双の会の方々を 始めとした被害者の方々は、東電を被告とした 避難者訴訟第2次訴訟を提訴しました。
2012 年 12月に提訴した避難者訴訟第1次訴訟に続くものです。
私は國分さんの担当弁護士となり、裁 判の過程で小高の國分さんやご友人のお宅に伺ったり、小高の町中を案内いただいたりしました。
東洋経済新報社の記者の方もご同行いただ いたこともあります。
國分さん自ら山から運んだ木で建てたご自宅も、國分家の時間も、國分さん手作りの灯篭やハチの巣箱、ニホンミツバチも、小高の町も皆、主人を失って、息を止めてたたずんでいるように感じられました。

裁判では、原告たちがみごとに力を合わせて、 自分たちの故郷が放射能でどんなふうに壊され てしまったのか、訴えてきました。
この裁判は、 今、上告審(最高裁判所での審理)にかかっています。
東電の敗訴が確定するのはもうすぐそこだと信じています。

 

2020年3月12日 仙台高裁勝利判決

報われることのない庶民と被害者
山形在住 辻 春男

「強制連行のアポジの子なり棄民なり、差別・ 蔑視・無視・放置の 70 余年(さよなら福沢諭吉 第9号より)」。ドイツは歴史に刻まれたナチスの非道を永遠に語り継ぐ。
日本は、「上」に 都合の悪い事は塗りつぶされる。
朝鮮・中国・ 沖縄・水俣そして福島の惨禍も隠され、開発・ 未来のためにと辺野古基地やリニアが国民の望むがごとく進められる。

家業と子育て中心の生活から、55 歳時に暉峻 淑子著「豊かさとは何か」に始まり、71 歳まで の 16 年間の多くの本や人々との出会いが何よりの財産です。
在日韓国人・中国残留孤児・酒 田港強制連行の被害者・韓国ナノムの家・胎児性水俣病の方々との触れ合いがあり、沖縄の現実を見る機会も得ました。
戦後 75 年、被爆者や遺族の苦しみは今なお続き、狭山事件等の冤罪事件も増すばかり。
もんじゅ事故後の西村氏の謎の死、また森友改竄問題で自死を遂げた赤木氏を「私は真実が知りたい」と裁判を起こした奥様方の行動を忘れない。
核燃料サイクル維持を喜ぶ青森県知事や経済界の言動に震えが来る。
2011 年のあの巨大津波と原発事件を体感しても経済成長が尊ばれ、庶民には目を瞑る社会が続く。
未来の為にこそ、戦前戦後の見つめ直しの大切さを感じます。

 

相双の会機関誌発行 100 号に寄せて
元衆議院議員・兵庫 岡崎宏美

安全と言われ続けた原発が、大地震、大津波 被災から電源を喪失したことから大事故を起こしたあの日から9年を経た。
住民への「正確・ 適切」な情報提供もないままに、命を守るため 「自主的」避難を余儀なくされたあの時。
一刻 を争う命の危機の中での避難から今日まで、皆さんがどんな思いで過ごされてきたか想像に余 りある。

事故発生から今日までの裁判や各種の検証か ら見えたことがある。
それは、国は常に「リスクを軽く見る」傾向があるということ。
予見されるリスクに対してばかりではなく、起きてしまった事故に対しても同様で、被害の事実から目を背けるということだ。
世界が福島事故に学 び脱原発エネルギーへと舵を切っても、「事故を乗り越えより安全性は高い」と突き進み、被災者の苦しみには責任を持つことを拒否する姿勢である。
東電、原発マネー還流の関西電力等 企業も国に倣う。
相双の会はじめ、被災者のたたかいがなければ暴かれることはなかった。

相双の会の 100 号に及ぶ会報の発行は、裁判の取り組みなどの情報、被災者自身の今、その思いを伝え続けた。
お世話をされる方々自身が 自らの生活基盤を取り戻すご苦労の中で一貫して情報を発信し続けてこられた役割は大きい。
心から解決の日を迎えるまで頑張ろう。

 

「継続は力なり」
講談師 神田香織

「継続は力なり」と言いますが、「相双の会」 会報 100 号、編集作業はさぞや大変だったと思 います。
お疲れさまでした。これからも期待しております。

毎回拝読するたびに原発事故被災者の境遇、 怒り、無念さなど心からの訴えに共感し、怒っ たり安堵したりの繰り返しでした。
そして迎え た9年目の夏。

よもや、連日のコロナ感染者増加報道により お盆帰省もためらわれ夏になるとは..。 それでも首都圏の皆さんに福島の情報をお伝えしたいと、マスクとソーシャルディスタンスに 気を配りながらいろんな場所で発言させてもらってます。
昨日8月5日は月一で開催されている日本原電前抗議行動に参加。私の代表作「はだしのゲン」のさわりを3分ほど入れて東海第 二原発再稼働反対のスピーチをさせてもらいました。
今日6日は広島原爆の日、原発事故同様、 未だに原爆による被災者の苦しみは続いています。
人類はウイルスとは共存しているが、放射能とは共存できないのですから、我が国は福島の事故を教訓に原発から撤退すべきですし、被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つべきです。

皆さん、福島の声は平和を願う世界中の人々 の声に繋がっています。
私もマスク越しに訴えていきます。呆れ果ててもあきらめないで参りましょう。

 

原発事故から 10 年目となっても責任を取ろうとしない東電
反核・憲法フォーラム徳島代表委員 高開千代子

「相双の会」会報が 100 号を迎えられるとのこと、普通なら「100 号おめでとうございます」 と言うべきところですが、号を重ねてこられた この間のご苦労とご心情を思えばその言葉が出てきません。
福島原発事故に対して政府と東京 電力が責任を認めてきちんと補償しておりさえすれば、そもそも裁判も相双の会も会報も要らなかったのにと思います。

事故から9年半が経ち、「フクシマ」の報道も減ってきました。
徳島でも「福島から徳島へ・ 子どもふれあい事業」で子どもさんたちの夏休み保養受入れを広く県民にカンパを募り取り組んできましたが、各地で大災害の発生が続いた ことも影響しだんだんと寄せられるカンパも少なくなり、一昨年で終えざるをえませんでした。

そんな中、毎月初めに届く「相双の会」会報は、避難されている方々の苦悩や亡くなられた方の無念が紙面から立ち上がってきて訴え続けてきます。
読む度に、ちゃんと反原発運動をしているのかと喝を入れられています。
遠く隔たってはいますが、皆様とつながり続け、徳島の地で原発再稼働・新規建設反対、ALPS処理水放出反対などの声を大きくし、何より四国の伊方原発廃炉に向けて活動を強化してまいります。

 

全ての原発公害被害者たちの原状回復 要求を実現するために
福島原発被害弁護団共同代表 弁護士 小野寺 利孝

この間、定期的に送信される貴会の会報を手にするたび、原発公害問題に関する新鮮な情報と、新しい知見の提供を受け、多くのことを学び、原発公害闘争を担う弁護団の一員として励まされてきました。

國分さんが、副団長として闘いの先頭に立って闘っている「福島原発避難者訴訟(第 1 陣)」 は、貴会報 98 号で、当弁護団笹山尚人事務局長が詳しく報告している通り、現在、全ての避難者訴訟の先陣を切って、最高裁闘争という最終 局面を迎えています。

先日最高裁に提出された上告理由書において、東電(株)は、原告のみならず、全ての被災者との関係で、「賠償問題は決着済み」であることを 最高裁判決で正当化しようという悪だくみをむき出しにしてきました。
「自主賠償の対象者である約 166 万人のうち、99%以上に当る。約 165 万人は、訴訟提起による追加請求を行っていない」「帰還困難区域、 旧居住制限区域・旧避難指示解除準備区域及び 旧緊急時避難準備区域に限っても、対象者約 14 万 9000 人のうち、約 14 万 4000 人余り(約 97%) は訴えを提起していない」このような指摘をし、 「中間指針に基づき東電(株)が行った自主賠償」 が、圧倒的多数のものが「過少であるとはみて いない」ことの証左であるとし、「3・12 仙台 高裁判決」が、「過酷な被害事実」を認定し、 「避難慰藉料」と「故郷喪失・変容慰藉料」の 支払いを命じたのを糾弾し、最高裁に3・12 仙 台高裁判決の取消しを迫っているのです。
そのためには、前代未聞の驚くベきことですが、この上告申立書には、「元最高裁判事・弁護士」の肩書を用いて千葉勝美の同趣旨の「意見書」を添えて暴挙に出たのです。

私たちは、この東電(株)のなりふりかまわぬ暴挙の中に、大きな社会的支持を得た「3・12 判決」に対する東電(株)の切迫した危機感とともに、 この最高裁判決で全ての原発公害損害賠償訴訟に決着つけようとする並々ならぬ悪だくみの意図を見抜かなければなりません。

かくして、私たちは、この局面は、最高裁判所が、「司法の独立」と「国民の人権擁護の砦」 として機能するか否かが鋭く問われるに至っていると受けとめ、最高裁で東電(株)の上告を棄却させ、原告側の附帯上告での勝利を目指し、全力を尽くして闘う決意です。

「法廷は、天候に左右されないが、社会の風には影響される」と言われます。
全ての原発公害被害者たちの原状回復要求を実現するために も、最高裁で、原告団が求める最高裁宛「公正判決要請署名」(団体・個人)活動に、会報読者の皆さんのご協力を得られれば幸いです。

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