福島の現状を知ろう~福島視察~
4月6日、総勢55名にて「福島の現状を知ろう~福島視察~」に行って参りました。
バスのなかでの自己紹介では、参加された皆さん其々が報道からは伝わってこない福島の現状を自分の目でしっかりと見てきたいという意思と福島で暮らす方々への思い、そして原発の存在そのものと事故への怒りが伝わってきました。
道の駅よつくら港にて、南相馬出身で奥会津に避難されている、原発事故被災者相双の会会長代行の國分富夫さんと合流し、広野~福島原発~富岡町へと向かう車中でお話をお聞きしました。東日本大震災での津波の恐ろしさ、東京電力福島第一発電所の事故が起こり、まだ1カ月半のお孫さんがいたので直ぐにも奥会津へとガソリンが尽きるまで避難されたことを伺いました。そして、2年が経過した現在も自宅に帰ることは出来ません。警戒区域が解除されたとしても、住んでいた家には穴が開き、そこから家の中も放射能汚染されています。東京電力が家々にブルーシートを掛けたのは原発事故から半年以上経過してからだそうです。依然として放射線の空間線量は高く、補償問題も解決せず、小さいお孫さんのいる國分さんのご家族は勿論のこと、避難された方々は帰りたくとも帰ることも出来ません。
「日本ほど命を大事にしない国はない、人を大事にしない国はない。原発事故が起こっても、なお再稼働したり増設を計画したり。日本のどこかで他にも原発事故が起こったら日本の作物は作れなくなり食べられなくなります。【絆】や【頑張ろう】という言葉は嫌いです。皆、避難していても生活が成り立たなくなっているのが現状で、仮設住宅で亡くなったり一時帰宅で絶望のあまり自死される方もいるがマスコミにも出ない。早く生活の再建をしたい」と話されました。
車中から見える景色は、荒れ果てた田んぼが広がり、除染で刈られた枯草や枝が詰められた黒い大袋が大量に集められ置かれた場所が幾つもあります。最終的には中間貯蔵庫へ運び込まれる予定ですが、その場所さえ未だ確定してはいません。
富岡町に入り、警察官に止められる所まで行きましたが、空間線量は最高で9.20μsv。
足立ナンバーのパトカーと東京から来ていると話す民間の警備員数人がいましたが、マスクはしていても防護服も着ずに町中で見かける警備服のままで車誘導にあたっていました。
津波で流された富岡駅に立ち寄りました。ここでの空間線量は0.30μsv。草が茫々に生え、線路の上には車が立った状態のままで置き去り。周りの家は津波や地震の被害により1階部分はめちゃくちゃに壊れている状態に放射能汚染です。町は無人で静まりかえっていました。いわき市久ノ浜では、津波の被害で基礎石だけが残り上物がない状況でした。
これが2年が経過した福島の現状です。参加された組合員さんは、其々に原発事故の恐ろしさや悲惨さを口にされ、自分が見たままを周りの方々に伝えていかなければとの思いを強くされていました。
なのはな生協では、これからも原発事故に対する責任追及をし、「原発はいらない」と強く訴えていきます。福島の原発事故を風化させない、福島で暮らす人々を孤立させない為にも支援を続けていきます。 ご理解ご協力を宜しくお願いします。 副理事長 勝俣
相双の会会長代行 國分富夫氏
廃船が山積みの四倉港
除染廃棄物
富岡町 居住制限区域と帰還困難区域の境界線
富岡町駅周辺
富岡駅舎
富岡商店街
久ノ浜