なのはな生協

~3.11福島で何が起こったのか~
原発事故から現在までのくらし 

9月19日(金)船橋市勤労市民センターにて原発事故避難者の國分夫妻、関根夫妻を福島からお招きして話を聞く会を開催しました。

國分さんは南相馬出身で南相馬育ち、被災から3年半経過しましたが、自宅に帰る目途すら立っていません。

何か所も避難し、現在は会津若松に仮住まいしています。

「福島では直接震災で亡くなった方よりも原発事故を含めた関連死の方が多くなりました。

原発事故はまだまだ終わった訳ではなく、終わらそうとしているだけ」と話し「相双地域は国に見捨てられた。

こんなに命と国民を大事にしない国は日本以外にありませんよ。この国と原発の体制を変えなければいけない」と訴える。

関根さんは富岡町出身で富岡町育ち、帰宅困難地域で未だに自宅に帰れず、郡山に暮らしている。

「原発が爆発した日、避難命令は出たが、具体的な指示はなし。家族と相談し西へ避難するが大渋滞で動きがとれなかった。」と語る。

関根さんは親、子、孫と4世代で一緒の家に住んでいて、郵便局を定年退職して孫たちとゆっくりとした生活をしようと思った時に原発事故が起こり、生活設計が全部壊れました。

家族もバラバラになり、現在は夫婦でアパート暮らしをしています。

原発事故から現在までのくらしを話す関根さんは所々、言葉に詰まり、寂しい思いとくやしさが交錯し、深く悩んでいる様子が窺えました。

奥様方は悔しさと悲しさで言葉にならず、唇をかみしめ、何かに耐えている様子でした。

原発事故が安全で安心して生活できる環境だけではなく、人の心をも壊していると感じました。

財産もふる里も人と人の繋がり、伝統や生きがいなどすべて壊した原発事故。

再び事故が起きると日本には住むところがなくなると言います。

福島第一原発の収束ができないまま再稼働しようとしている国と電力会社。

福島と同じ事が二度とあってはならない。

原発事故はいまだ進行形で国民に多大な影響を与え続けている。

だから原発は再稼働してはいけない、建設してはいけない、輸出してはいけないという強い思いを持たなければいけないと確信した会になりました。

 

img_p103

**参加者からの感想文を紹介します**

 

◆お二人の奥様がつらい日々の中、お話をしてくださったことに、まずお礼を言いたいです。

冷静に行動していたと一時は思われた被災者の皆さんが、現実にはどんな思いで今日まで過ごされてきたのか想像するのみですが、実際に被害を受けた者のみしかわからない、いろいろな思いがあるのだろうと。

奥さんの「もう、いやです」の言葉が胸に響いて、とてもつらかった。理屈ではなく、気持ちがそのまま伝わってきました。国や東電が、なぜ被災した方々の話を聞いて、今後の参考にしないのか理解できません。生活者の考えや思いを無視するばかりで、一体これが政治と言えるか疑問です。

また、なぜ原発のある他の土地の人々が福島の方々の思いを知ろうとしないのか。國分さんの「これからは不安な思いを抱えたまま生きるしかなくなった」とおっしゃったことが、関東に住む私たちも同様で日本中が、日本中がこんな不安を抱えてどうなるのだろうと思うことしきりです。

そんなことで、せめても9月23日のさようなら原発集会に参加しようと思っています。福島からいらして下さった皆様、ありがとうございました。

Mさん

 

◆メディアでは知る事が出来ない情報、生の声を聴きたかったので参加しました。話を聞くと、事故の影響で普通に生活する事ができなくなる原発は不要な物だという事が改めてわかりました。そして明日は自分達かも…

奥様方の生の声が良かった。もっと時間があると良かったです。

Iさん

 

◆日頃から原発はいらないと思っているので事故が起こった場合、どんな事になってしまうのかが伺えました。御用学者のいう事を信じて、線量の高い場所も安全と考えて暮らし続けている人がいると考えると切ないです。「原発は危険」ともっと多くの人に思って欲しい。私たちに何か出来る事はないか…

Yさん

 

◆生々しい話に悲しくなったり、怒ったりといろいろと感じました。

病院から避難させるヘリコプターに患者が乗り切れないとか、自殺者が多いなど、とても書ききれないです。

各地でお話されているとのことですが、今原発のある地域の人々の反応はどんな風なのだろう?と知りたくなりました。特に原発推進派の人達はどのような思いを抱くのだろう?と。

Oさん