なのはな生協
ピースアクション2018
長崎代表派遣
ピースアクション2018長崎訪問
ピースアクション2018長崎に参加させていただき、ありがとうございました。
初めての長崎でしたが、充実した2日間を過ごさせていただきながら、訪問中もいろいろと思うことが多く、帰宅後はさらに考えさせられる旅となりました。
そこで、訪問記に加え、今日この現在に感じることを付け加えながら書かせていただこうと思います。
社会福祉法人 純心聖母会「恵の丘長崎原爆ホーム」。
少し遅れてしまいお待たせしたにも関わらず、ホールに集まられた入所者の方々の温かいコーラスで優しく包まれました。
みなさんのお姿が胸にこたえましたが、説明してくださったシスターのお話に少しひっかかるものを覚えました。
第2次世界大戦末期、カソリックである純心女子学園の13,4歳の生徒までも、学徒動員で工場へ行っていたということ。
そして、夏休み返上で奉仕していた彼女らも原爆の犠牲となり、214名が亡くなったといいます。
他の宗教関係の学校も同様に動員されていたようです。
国家総動員体制の恐ろしさを想起しながらも、祈りを捧げる身が、どうして戦争に加担させられてしまったのか。
「宗教」そして「教育」ということについて考えてしまいます。
その当時、「御国」とは何を指していたのでしょう。
純心学園はまた、永井隆博士とも創立当時から縁が深く、博士の2女は中高と通っておられたということです。
かねてから尊敬していた永井博士。博士が病身を横たえておられたという、わずか2畳の如己堂を見学させていただきました。
隣にある長崎市永井隆記念館の入り口には「如己愛人」(わがいとし子よ 汝の近きものを己の如く愛すべし)とありました。
病身を押して患者の治療に専心され、平和を希求して止まなかった、やはりカソリックの博士の言葉です。
長崎に落とされたプルトニウム型原爆は、ウラン235の広島型原爆の1.5倍の威力だったそうです。
坂の街、長崎の人々は、猛烈な高熱と石の鳥居をもぎ取るほどの強風にさらされたんですね。
故郷に帰れば同じように普通に暮らす人の手によって。
武器商人でもあったグラバー。
グラバー園の下の三菱重工長崎造船所に、佐世保基地から灰色のイージス艦が修理のために停泊していました。
軍拡で、平和を手にすることは決して、決してできない。互いに信じ合い、分かち合わなければとあらためて思っています。
千葉市稲毛区 H