なのはな生協

食の安全・安心にトコトンこだわった生協です

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報告:公正な判決を求める署名

11月16日(木) 10月に行った公正な判決を求める署名活動で集まった署名を集約し、本日、福島原発被害弁護団宛に発送いたしました。

集まった署名は1104筆。

ご協力いただきました皆様、誠にありがとうございました。

 

 

 

報告:第一回フードドライブ

なのはな生協

10月9日から10月27日の期間で組合員の皆様にご協力をお願いしました「第一回フードドライブ」にて集まった食材を、本日フードバンクちばへお届けいたしました。

計量の結果400kgの食材が集まりました。

トラックに積み込みフードバンクちばへ向かいました。

フードバンクちば 菊地代表(右側)に無事にお渡しすることが出来ました。

ご協力いただきました組合員の皆様、ありがとうございました。

 

「こども・若者未来基金」への寄付のお願い


社会的養護の下に暮らす子ども達の大学等への進学率は、全国平均進学率(一般の子ども達)に比べかなり低い状況であることが指摘され、このため、近年、公的な自立支援施策が強化されるとともに、さまざまな民間団体による支援活動も行われるようになりました。
高校を卒業して就職先が決まった人、進学が決まった人には、充分とは言えないながらも、それなりの支援があるといえます。

しかし、高校等を中退して18歳以前に施設や里親のもとを離れざるをえなくなった人や、18歳で進学、就職をしたものの中退、離職をしてしまった人の行き場はほとんどありません。
また、ようやく自立援助ホーム等の機関にたどり着き一定期間過ごしたうえで、就職、進学の意思をかためた人などへの支援はきわめて不充分です。
ちばこどもおうえんだん「こども・若者未来基金」は、こうした人たちの多様な自立を支え、自立への移行期間を支援していきます。

なのはな生協では「地域団体と協力して子どもの貧困問題等の支援に取り組む」ということを課題として掲げています。
2015年以来、千葉県内4生協(生活協同組合コープみらい・生活協同組合パルシステム千葉・なのはな生活協同組合・生活クラブ生活協同組合千葉)と協同で、社会的養護下にある子ども(児童養護施設や里親家庭に暮らす子どもたち)の支援について「ちばこどもおうえんだん」への参加を通じて取り組みを進めています。
子どもたちが自立するための援助に、寄り添った支援が必要になります。
皆様のご協力をお願いいたします。

 

■申し込み方法■

注文用紙の企画欄(6ケタ番号と口数をご記入ください。)

010088  一口 100円 何口でも結構です。

010089  一口 500円 何口でも結構です。

010090  一口 1,000円 何口でも結構です。

 

◆10月3回、10月4回の注文書でお願いいたします。

◆締め切り:10月20日(金)

【なのはな生協へのお問い合わせ】
TEL:0120-910-871または043-216-7087
FAX:043-215-0510
E-MAIL: event@nanohana-coop.or.jp
担当わくい

 

2017年度第一回フードドライブ

なのはな生協

2017年度 第1回フードドライブ

ご家庭に眠っている食品大募集!

「フードバンク」とは、品質に問題がないのに廃棄せざるをえない食品を、企業・団体・個人から寄付してもらい、必要としている人に無償で届けるボランティア活動です。
「フードバンクちば」は、千葉県内で食品を企業や個人から無償で引き取り、フードバンク活動を行っている団体です。
「フードドライブ」は、家庭で余っている食べ物を学校や職場などに持ち寄り、それらをまとめて地域の福祉団体や施設、フードバンクなどに寄付する活動です。


皆様の家庭から集まった食品によって、食べる喜びや社会とのつながり、安心をも届けられます。

 

フードドライブ≪食品の回収≫にご協力ください!
回収期間: 10月9日(月)から10月27日(金)まで
回収方法:配達時に提出
※不在の方は配達置き場に出して下さい

 

【手 順】
①寄付いただく食品は下記のリストを参照下さい。提出できる食品は、回収票のチェック項目全てに該当するものです。
②回収票は、必要事項をご記入の上、寄付する食品に貼りつけてください(2個以上の際は1つの袋にまとめる)

 

寄付いただきたい食品リスト
■穀類(お米、麺類、パスタ等)   ■乾物(のり、豆など)
■保存食品(缶詰、ビン詰め等)   ■調味料各種、食用油
■インスタント食品、レトルト食品  ■菓子類
■飲料(ジュース、コーヒー、お茶等)■ギフトパック(お歳暮・お中元等)
※注意:アルコール類は不可
▼チェック項目※必ず確認してください。
◆賞味期限が明記され、かつ2ヶ月以上ありますか?
◆常温で保存可能ですか?
◆未開封ですか?
◆破損で中身が出ていませんか?
◆(お米を寄付頂く方)平成28年度産・29年度産に限ります(玄米可)

回収表(PDF)はこちらから>>

朝倉市からお礼状が届きました。

8月に実施した「九州豪雨被害 緊急支援募金」で組合員の皆様からお預かりした募金をお渡しした福岡県朝倉市からお礼状が届きましたので報告いたします。

 

東峰村からお礼状が届きました。

なのはな生協

8月に実施した「九州豪雨被害 緊急支援募金」で組合員の皆様からお預かりした募金をお渡しした福岡県東峰村からお礼状が届きましたので報告いたします。

 

 

 

機関紙「なのはな」9月号WEB版-2

平和代表派遣 広島

組合員さんの思いとともに

7月25日~26日、組合員さん5人と事務局2人の総勢7人で折鶴を届けに行ってまいりました。
1日目は、広島原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」、広島赤十字・原爆病院を訪問しました。
倉掛のぞみ園では被曝された方の話、原爆病院では当時の病院の様子や広島の様子を伺いました。
そして原爆の子の像に折鶴をたむけました。
2日目は原爆資料館、原爆ドームなど平和記念公園を各自で視察、「戦争」「核兵器」「平和」を考える代表派遣になりました。

戦争を次世代に伝える

最初に倉掛のぞみ園を訪問。こちらでは被爆された方で、介護が必要になった方が暮らしていらっしゃいます。
ホールには皆さんが待って居てくださり、折り鶴とお見舞金を渡しました。
その後、2人の方から2班に分かれて当時のお話を伺いました。

私達には中本さんという方がお話をして下さいました。
原爆が落ちた当時は小学5年生だったそうです。
8月6日、お父さんが他の方の代わりにたまたま工場へ行った時に2キロ以内で被爆されました。
全身大やけどを負って帰ってこられたお父さんを見て、ひどいショックを受けたそうです。

まもなくお父さんは亡くなり、今までは何不自由なく育ってきたのに生活が一変しました。
いじめられたりもしましたし、嫌な思いもたくさんしたそうです。
お父さんに褒められたくて勉強も頑張っていましたが、やる気が出なくてしばらくは何もせず、成績が落ちる一方でした。
しかし、お母さんが仕事も何もされなかったので、そのうち中本さんが生活を支えるようになったそうです。

一人の少女の人生が戦争が起こったこと、原爆が落とされたことにより大きく変わりました。

次に広島赤十字原爆病院を訪れ、事務の浜野さんから当時の様子や現在病気で100人の被爆された方が入院していらっしゃることなどを伺いました。
爆心地から1.9キロメートルほどにあるこの病院も大変な被害を受けました。
爆風で窓は全て割れ、鉄製の窓枠も大きく湾曲したそうです。
その建物は平成5年までは使われていました。今は病院も再建され、病院の道を挟んで向こう側にメモリアルパークとして建物の一部が残っており、当時の悲惨な様子がまざまざと感じられます。

その敷地内に「動員学徒の碑」というものがありました。
原爆投下の朝、近くの工場で中学生が働いていたそうです。
(働くべき大人は全て戦争に行っていた為)原爆が落ち、熱風でみんな亡くなってしまったのですが、顔は無傷できれいで、親御さんが引き取りに来た時に見つけやすいようにどなたかが顔を真ん中にして放射状に中学生を並べたそうです。
その子供たちの為に建てられた碑でした。
私には高校1年生の息子がいるので、その子供たちを見た親御さんの気持ちが伝わってきて涙が溢れました。

2日目は原爆資料館に向かいました。
8年前に家族旅行で行っていたので1回目ほどの衝撃はありませんでしたが、やはり目を覆いたくなるような写真ばかりでした。
色々な展示の中で、膝の中に原爆投下時の被害でガラスが入り、後になって手術で取った方の話が載っていました。
「今ある平和が大勢の方の犠牲の上にあることを忘れないでほしい。」と。

即時に多くの命を奪うだけでなく、生き残った方も遺伝子まで傷つけ、じわじわと長年にわたり苦しめ続けるのが原子爆弾の恐ろしさです。
戦争に勝つと信じていた人々の命を一瞬で奪った原子爆弾。
この後、原爆ドームの前に立ったのですが、いろんな方の魂がそこにまだあるのを感じました。
戦争をしたり、非人道的な核兵器が使われたりすることがないように、戦争を知らない私たちも子供たちにしっかりと伝えていかなくてはと思いました。
理事 山元

私の故里 ヒロシマ訪問

なのはな生協さんと私の故里 広島に行く機会に出会いました。
なのはな生協さんを知ったのは、つい2,3カ月前でした。核兵器反対廃絶運動、平和活動を多方面にわたり力を入れて下さっている事を知りました。
1981年に始まり、今日まで続けて下さっている事に深く感謝申し上げます。

1945年8月6日、当時私は3才10カ月でした。
広島で爆心地から2km荒神町の淨光寺にて朝食の最中でした。
又、その1カ月呉市で大空襲に遭いました。
被爆した状況は言葉では語れません。
今日迄、生かされている…最近になって強く感じている事ですが、神、仏、祖先、夫が守護してくださり、必要あって時間をあたえられていると。

さて、広島市内に入り、最初に倉掛のぞみ園という被爆者養護ホームに行きました。
入所者300人ですが、他の方が入りたくても5年待ちだそうです。
担当者の説明があり、皆で組合員からの寄付と折り鶴をお渡ししました。
私は入所者の方から色々お話が聞けたらと思っていましたが、平均年齢84才という事で、余り被爆体験については聞くことが出来ませんでした。


ここに入所されている方達の被爆後72年を生きてこられた人生に特別な雰囲気を私は感じました。
心が締め付けられ、私自身の人生と重なり…良く生きてこられました。
想像するだけで苦しくなります。

次に、広島赤十字・原爆病院に向かいました。
途中の広島市内は、すっかり美しい都市へと変わっていました。
私には72年前の焼野原や出来事が思い出され複雑でしたが、広島はやさしく懐かしく私を迎えてくれました。
赤十字原爆病院と聞くだけで、72年前の惨状が目に浮かびます。
担当者の説明があり、ここでも寄付と折鶴をお渡ししました。
その後、病院の資料室に献体された被爆者の標本に案内されましたが、一歩入っただけで、ただならぬ空気、被爆の犠牲になられた方の怨念と申しましょうか、私は苦しくて中に居られませんでした。
被爆当時の病院の様子、残骸の一部を見て宿泊先へ。

翌日は、原爆資料館、慰霊碑にも折り鶴を手向け、何度か来ている私は目的がありました。
啓発課で係りの方に語り部の助言、資料をいただき、その後にシアターで行われていた被爆伝承者のお話を聞きました。
寺前妙子さんの体験談をされていました。
何という事でしょう。私のすぐ近くにご本人寺前さん85才が座っていらっしゃいました。

この方の体験談を私は読んだことがあります。
座っているのも辛そうで、そばで支えてあげました。
自分も被爆者だと申し上げ、自然に二人で肩を寄せ合いました。
来年もお会いしたいと別れました。
お元気で…。
なのはな生協の皆様、折り鶴に御協力くださった方々、有り難うございました。

核は人類に扱えません。
地球を滅ぼすのみです。
二度と広島、長崎の過ちは繰り返してはならない。
被爆者の今日迄の苦しみを無駄にしないでください。
核兵器を使用しない平和な世界の実現が訪れますように。
並木町 木村(被爆者)

見て、聞いて、知って…思うこと

倉掛のぞみ園では、12才の時に学校に向かう電車の中で被爆した方の体験談を聞きました。

平和記念資料館や原爆ドームなどでは戦争の狂気を目の当たりにしました。

感想は「筆舌に尽くし難い」としか言えませんが、12才で被爆した少年が、母親に遺した言葉が忘れられません。
「お母ちゃん。泣いてはいけん。これだけの大きな戦争で学徒の僕たちが、生きておられることのないことは覚悟しとったよ。お母ちゃんは、人のためになることを…」と言って息を引き取ったそうです。

12才の少年に戦争での死を覚悟させるような教育を再び繰り返さないためにも、学齢期の子ども達は、全員必ず被爆地を訪れ戦争という人間の犯した愚行について学ばせることが、私達大人の責任ではないかと痛感しました。
宗吾 村上

平和活動募金
今年度4月~7月まで、皆様から384,300円の募金がありました。
折鶴活動、代表派遣をはじめとした平和活動に使わせていただきました。
今後も平和のための活動を行うにあたり、募金の協力をお願いします。
001890 → 1口 100円
001891 → 1口 500円
001892 → 1口 1,000円
*OCR用紙に6ケタ番号を記入して 何口でも募金できます。

再び訪れ、さらに知りたい

60代の母と一緒に参加させて頂きました。

原爆養護ホーム・倉掛のぞみ園で女性の方に被爆体験を聞かせて頂きました。
お話を聞けたのは本当に少しでしたが、子供の頃に路面電車で被爆した時の事を話してくださいました。

広島赤十字・原爆病院メモリアルパークでは、被爆遺跡として残してある当時の病院の歪んでしまった窓枠などを見学。

そして、広島平和記念資料館へ。
残念ながら本館は現在改修工事中で、見る事が出来たのは東館のみでした。
被爆されて亡くなった方の衣服の展示を見たのが衝撃的でした。
その後に、地下1階にある特別展示室の新着資料展で見た花嫁衣裳の着物も印象的でした。
持ち主の方は被爆して亡くなられているそうなのですが、その着物は原爆投下前日に引越し予定先に荷物の一部として運ばれていたため綺麗なまま。
原爆の被害にあった服と、被害にあっていない服。
もちろん服の持ち主は違うのですが、あまりにも違う現実にとても辛くなりました。

帰りの飛行機との時間の関係で、被爆体験伝承講話を聞けなかったのが残念でした。
時間が合えば聞いてみたかったです。

今回、団体で行ったことによって経験する事が出来た事がありました。
でも個人で時間にゆとりを持たせ行ってみないと分からない部分もまだまだあるなと感じました。

資料館も全てを見られた訳ではないので、来年の夏に本館リニューアルオープン後、また改めて行ってみたいと思いました。
宗吾 村上

 

核の恐怖を後世に残すのは私たちの役目

私は、千羽鶴を広島へ届けるという平和活動に子供と参加させていただきました。
広島に行くのも初めてのことで、一度は広島に行った方が良いと体験された方に言われたのと、被爆者の高齢化が進む今、体験された方のお話を伺う貴重な機会なのではと思い参加しました。
被爆者の方々が療養されている施設での、体験された方のお話は、とても悲惨なものでした。
突然いなくなる家族、助けてあげられなかった辛い気持ち、原子爆弾は体だけではなく心も傷つけるのだと思いました。

広島記念公園、原爆の子の像には、全国各地から平和への願いを込めたたくさんの千羽鶴が寄贈されていました。
平和記念公園資料館でも外国人観光客が多いのに驚きました。
熱線で重度のやけどを負う人、ほとんどの建物が爆風で壊れている様子、放射線による被害は想像よりもさらに悲惨なものでした。
原子爆弾の恐怖を知っているのは日本だけです。
その恐怖を語り継ぎ後世に残すのは、私達の役目なのだと思います。
子供がもう少し成長したら、もう一度家族で広島を訪れてみようと思います。
泉町 西井

二度とやってはいけない戦争と原ばく

ぼくは、広島に千羽鶴をとどけに行きました。
最初に倉掛のぞみ園に行きました。
そこでは広島の原ばくで、ひばくした人達が、入所していました。
広いデイルームにまっていてくださって、千羽鶴を一人一人わたしました。その時は緊張しました。

中本さんのお話を聞きました。
ぼくは4年生だけど、その人は、5年生のときにひばくしたそうです。
毎日、食べる物がなくて、おとうさんはなくなり、お母さんだけではどうしようもできなくて、とてもつらかっただろうと思いました。
つらい思いをしながら、生きようとする気持ちがすごいと思いました。

次に、平和記念公園の原爆の子の像に千羽鶴をかけてきました。
そこでは、ものすごいたくさんの千羽鶴がかけられていました。
平和をねがっている人がこんなにたくさんいるんだなと思いました。
最後に、平和記念資料館に行きました。
そこでは、アメリカの落とした原ばくのせいで、ぎせいになったたくさんの人たちの写真や映像を見ました。
もう二度とやってはいけない戦争、原ばくをやめようとする気持ちが痛いほど伝わりました。
西井(小4)

今だからこそ伝える

昨年の長崎に続き、今年は広島へ鶴を届けました。
長崎でも広島でも被爆体験者の方のお話の中で、必ずといっていいほど「戦争は2度としちゃいかん」という言葉。
同行した子どもに向かっては、「平和な世の中がいつまでも続くようにお願いします」と戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えていただいています。

原爆投下から72年経ちましたが、原爆の被害は癒えることはありません。
「原爆で亡くなっていった知人、友人のことを思うと、今でも耐えられない気持ちになります」と言います。
差別をおそれ口を閉ざしている人、過酷な状況から当時を思い出したくはないと言う人がいる中、生き残った者の役割として原爆の悲惨さを伝える活動をしている人が多くいます。

代表派遣では、広島、長崎に訪問し、被爆者の方の声を聞いています。
平均年齢は81歳を超えました。
高齢化に伴って、被爆体験をお話しされる方が少なくなってきています。
広島市では、被爆体験証言者の被爆体験や平和への思いを 受け継ぎ、それを伝える「被爆体験伝承者」を平成24年度から養成し、実際に資料館で話されています。原爆病院でも当時の建物の一部を残し原爆の恐さを伝え、資料館では被爆の実相を見ることや被爆者の証言を聴くことができます。
その他様々な施設もあり、後世に伝えることの大切さを街全体で共有しているようです。

私たち日本人は、広島と長崎で核兵器による惨禍を体験しました。
今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。
原爆は、多くの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたことを学びました。
核兵器の廃絶と恒久の平和を訴え続けなければいけない国民なのだと強く感じます。

現在、特定秘密保護法、防衛装備移転三原則、安保法制の成立、共謀罪の施行など戦前に回帰しているようです。
戦争への危険性を感じずにはいられません。
平和記念公園の中にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と書かれています。
これは日本だけではなく全世界に向けたメッセージと考えます。
先の大戦で世界中に多くの犠牲者がでました。軍人だけではなく、一般市民も犠牲者となりました。
すべての犠牲者に対して『もう戦争はしない』という決意と約束のようにも感じます。

訪れた時、平和公園には、多くの外国の方々が来ていました。
日本人よりも多いと感じました。
7月には国連で核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。
核兵器のない世界の実現の輪は確実に広がっています。
なのはな生協においても折鶴活動が平和を考え、その輪を広げる活動になることと確信しています。
今後もご協力をお願いします。
副理事長 涌井修

 

今後の予定
9月16日(土) 稲刈り体験  こうざき自然塾
9月27日(水) 安全たしかめ隊 丸和食品
9月28日(木) 被爆体験を聞く会と代表派遣報告会  船橋市中央公民館
10月7日(土) 搾乳体験  藤崎牧場
10月14日(土)わくわく収穫体験 大栄みみずの会

 

機関紙「なのはな」9月号WEB版-1

こども食堂 『からべえ』

熱気につつまれスタート!

夏休みに入った最初の土曜日(7/22)。成田市加良部でこども食堂 『からべえ』が始まりました。
当日は小泉市長と「うなりくん」の訪問にはじまり、近隣の学校の先生方、ご近所の八百屋さん・薬屋さんなど、多くの地域の方々からも心強いご支援をいただきました。
参加者は子ども35人、大人15人で、「おかわり」と元気な声、笑い声が食堂中に響きました。

多くの方々の支援を受け

社会問題である「子どもの貧困」に対し、なのはな生協も加良部地区の方々と「こども食堂」を始めようと考え、加良部地区社会福祉協議会・民生委員の方々とともに運営委員会を結成し、準備を進めてきました。

私たちにとっては初めてのこども食堂。
すべてが手探りで最初の場所探しから苦労しましたが、そのたびに手助けして下さる方の想いに勇気づけられ、オープンの日を迎えることができました。

オープン前、何人くらい来てくれるだろうか?
ドキドキしながらチラシを配りました。
組合員のみなさんから募集したカレー皿は50枚も必要かしら?
不安と期待の中で始まりましたが、ふたを開けると全部のカレー皿を使う程の人数が集まり、冷房も効かなくなるほどの熱気に包まれていました。

この日のメニューはカレー・ゆで卵・きゅうりの浅漬け・スイカ・お菓子・麦茶です。
お肉や野菜などカレーの材料から、スイカ・麦茶まですべてなのはな生協と取引のある業者さんから提供していただいたものです。
私たちの想いに賛同して下さった業者さんたちにも感謝です。

美味しいと言って食べてくれる子どもとふれあいながら、だんだんと笑顔が増え本当に良いスタートがきれたのではないかと思います。

ボランティアスタッフに応募いただいた組合員のみなさんは、子どもが大きくなり時間ができたので社会貢献したい、以前からこども食堂に興味があったなど理由は様々です。

お皿や机・椅子・本などの物品・募金でご協力いただいた組合員のみなさんの想いを胸に、ボランティアスタッフさんと一緒にこども食堂 『からべえ』を継続していけるよう頑張っていきたいと思います。
そして、こども食堂を必要としている子どもたちのために、引き続きの応援をよろしくお願いいたします。
理事 柴田

 


ホッとできる場所になれば…

当日はどのくらい来てくれるのか心配ではありましたが、こども食堂についてのチラシを事前にポスティングや小学校で配布したこともあり、オープン前の早い時間から子供たちが待っていてくれる状態でした。

私は調理のお手伝いを担当しました。
この日のメニューはカレーです。
初めて目にする三升炊きの炊飯器、大きなお鍋、材料の山…どこから手をつけていいやら…と、戸惑ってしまったのですが、集まった皆さんは主婦だけあって、テキパキと手際よく調理に取り掛かることが出来ました。
手を動かしながらも、カレーのこだわりや豆知識など笑い声が絶えませんでした。
エアコンもなく、鍋の熱気で暑い中、「まずは自分達が楽しまないとね!」と、皆さんパワフルに動き回っていらっしゃり、改めて女性の底力を見た思いです。

オープンと同時にどんどんと席が埋まり、中にはおかわりを希望するお子さんもおり、また小学校の先生方が顔を出してくださったこともあり、楽しい雰囲気でした。

果物やお菓子の提供もあり、子供たちも嬉しそうに頬張っていました。
また、小さなお子さんを連れたお母さん同士がお喋りをしたり、ボランティアの申し出をしてくださるなど、初日ではありましたが活動の輪が少しずつ広がっていくのを感じました。

当日は50名程の利用があり、食材などもたくさんの支援をいただきました。
この場を借りて、御礼を申し上げます。

まだまだスタート地点に立ったばかりです。
この活動がこれからも継続していけることが大切です。
今回、反省点も改善点もたくさんありました。
すぐに解決できないこともありますが、一つひとつ改善を重ね、こども食堂が地域に根差し、子供たちや地域の方々のホッとできる場所になればと思い、今後も活動を続けていきたいと思います。
こども食堂『からべえ』スタッフ
福本

当日のメニュー
カレーライス、ゆでたまご、デザート
(食材提供のご協力ありがとうございます)
 :こうざき自然塾
豚 肉中津ミート
玉ねぎ、人参、じゃがいも大栄みみずの会
カレールーせいふてぃ
 :あじたま販売
西瓜、胡瓜内田農園
お菓子協和
 :岩泉産業開発
「こども食堂」募金
皆様のご協力をお願いします。
010900→1口 100円
010910→1口 500円
010920→1口1000円
* OCR用紙に 6ケタ番号を記入して 何口でも募金できます。
* ネット注文の方も「こども食堂 募金」から 何口でも募金できます。

 

なのはな生協まつり
11月4日(土)10:00-14:00
千葉ポートパーク
(円形芝生広場)
多くの参加をお待ちしています。

 

太陽油脂見学
親子で学ぶ石けん
7月25日、太陽油脂工場見学を開催しました。
当日は工場見学と石けんの学習会、手作り石けんの作成と内容は盛り沢山。
合成洗剤との違い、環境や自分の体を守るためには石けんを使用しなければいけないと理解が深まりました。

●子どもに広い視野と正しい知識を
石けん工場見学は、以前から参加したいと思っていたイベントです。今年娘が小学3年生になったので、ようやく親子で参加することができました。

工場に到着すると、油の匂いが漂い、すぐに目につく大きなオイルタンクが印象的でした。

最初に社員さんから、石けんの歴史や種類について分かりやすく教えていただきました。
実際の丁寧な作業工程を見学させていただき、太陽油脂さんの企業理念や社会活動についてのお話にも大変感銘を受けました。

原料は植物性のオイルと海水からとれる成分だけを使用し、石けんを使った乳化剤は特許を取られているそうで、原料についても妥協しない姿勢を感じました。

クイズや実験を交えた楽しい説明のおかげで、どうして石けんが人や環境に優しいと言われているのか、9才の娘にもよく理解できたことと思います。
石けん作り体験もできて、大変有意義な親子教室でした。

私も出産前は、何となくもったいないからという理由で、頂き物の合成洗剤を使ってしまうことがありました。
ですが、そのうち洗濯物を干したり畳んだりするだけでも手荒れをするようになり、合成洗剤の使用を完全に止めることにいたしました。
特に大人よりもデリケートな子供の肌には、できるだけ優しい製品を選ぶことが大切だと実感しております。

世の中には、安価で市場に出回る便利な物がたくさんあります。子供たちには、広い視野と正しい知識を持ち、自分で良いものを選択できる人に育って欲しいと心から願います。
下貝塚 A.K

●楽しく学んだ
私は、はじめてさんかする石けん工場見学で、一番きょう味があって楽しそうだと思ったのは、オリジナル石けん作りでした。

でも、じっさいに体けんしてみると、石けん作りだけではなく、じっけんやお話などとても分かりやすくて面白かったです。

石けんと合成せんざいのちがいや、なぜ石けんがかんきょうにやさしいかなどもしっかりと分かりました。
また、石けんが5000年も昔に、自ぜんにぐうぜん発見されたことも面白い話でおどろきました。

それから、しおよごれは水だけで落とせて、油よごれは石けんを使わないと落とせないという話にも、なるほどと思いました。
なぜなら、私も手に油がついて、水だけではとれず、面どうくさいと思ったけいけんがあるからです。

本当にとても楽しく石けんのことが学べました。

オリジナル石けん作りも、思ったより力仕事だったけれど、一生けんめいがんばって作って、よい思い出となりました。
とても楽しかったので、また石けん工場見学に行きたいです。
(小3)

石けん通信
健康な体と、地球の未来のために石けんを
なのはな生協では、体にも環境にも優しい「石けん」の利用を勧めています。
肌や自然界に様々な影響を及ぼすと指摘されている「合成洗剤」は、一切取り扱っていません。
7月には、石けん普及活動の一環として、太陽油脂での石けん親子教室を開催しました。
今回の石けん通信では、石けん親子教室で教わった内容を交え、「石けん」と「合成洗剤」の違いについて、改めて考えてみます。

◆何が違うの?◆
石けんも合成洗剤も洗浄剤(界面活性剤)です。
用途や形状で分けているわけではありません。
原料・製法・成分が全く違います。

 

◆主原料は?◆
【石けん】:天然油脂(牛脂・パーム油・米ぬか油など)
【合成洗剤】:石油や天然油脂

 

◆始まりは?どんなふうに作るの?◆
【石けん】の起源は、今から約5000年前、肉を焼いたときに滴り落ちた脂が、灰(アルカリ)と混ざってできた「汚れを落とす土」と言われ、安全性は長い歴史が証明しています。
作られる原理は今も変わらず、50℃くらいの低い温度でもできるので、製造に過剰なエネルギーを使わず、特別な設備や環境でなくても製造が可能です。

【合成洗剤】は、第一次大戦の際、原料の油脂が食用に回されて不足したので、石油を原料に開発されたのが始まりです。
日本での普及は戦後で、日本での本格的な歴史は60年程度です。
大規模な製造施設で、500度、50気圧のような特殊な環境での複雑な化学合成を経て作られるので、大量のエネルギーを消費します。

 

◆人体や環境への影響は?◆
【石けん】は川に流れると、微生物によって分解されたり、水中のカルシウムと結びついて「カルシウム石けん(食用石けん)」になり、魚や微生物のエサとなったりしてなくなってしまいます。
薄まると泡が消えて洗浄力がなくなるので、肌にも残らず、ましてや体内に浸透することもありません。

【合成洗剤】は、自然界では分解されにくい洗浄料です。
合成界面活性剤は下水処理場でも完全に取り除けるわけではなく、時には下水があふれて、川や海に直接流れ込むこともあります。
また、合成洗剤によく含まれる蛍光増白剤や、近年よく宣伝されている柔軟剤も、分解物や副産物が海底に溜まっています。
深海生物や環境への影響はわかっていません。

【合成洗剤】の原料である合成界面活性剤の中には、PRTR制度(※)で“人の健康や生態系に有害なおそれがある化学物質”に指定されているものも多くあります。
また、肌や髪のたんぱく質と強く結びついて体に残留したり、肌のバリアを壊して有害な化学物質を皮膚の奥まで浸透させたりするものもあり、肌あれやアトピーの原因とも言われています。
また、水生生物や水をきれいにする微生物を殺してしまうこともあります。

 

※PRTR制度って?
人や生態系に有害な影響を与えるおそれがある化学物質が、環境中へどのくらい排出されているのかを集計、公表する制度。
指定物質の家庭からの排出量を見ると、全体の半分以上が合成海面活性剤で、市販のシャンプーや台所洗剤、洗濯用洗剤の洗浄成分として広く用いられています。

 

ベビー用全身シャンプーの裏側
赤ちゃんを食器洗いで洗っている?!

デリケートな肌の赤ちゃん用のボディシャンプー。
石けん製品でないものには、実は、食器洗い洗剤と同じ成分が使われているのをご存じですか?
さっそく成分を比べてみましょう!

パックスベビー 全身シャンプー
水、カリ石ケン素地、グリセリン、ローズマリーエキス、クエン酸

※パックスベビー商品はマカデミアナッツ油が原料です。
植物油の中では最も人の皮脂に近く、肌へのなじみが良い油と言われています。

 

市販のベビー全身シャンプーの一例
水、ラウリン酸PEG-80ソルビタン、ポリソルベート20、ラウレス硫酸Na、コカミドプロピルベタイン、ラウロアンホ酢酸Na、クエン酸、安息香酸Na、EDTA-4Na、香料、アニス酸

上記の成分のうち、下線が引いてあるものはすべて合成界面活性剤なんですって。
合成界面活性剤は皮膚のバリアを壊すので、合成界面活性剤だけでなく、その他に入っている有害な化学物質も肌に浸透しやすくなるのよ。

 

 

 

 

 

赤ちゃん用の体洗いに、こんなに沢山の化学物質が入っているなんてびっくりね~。
食べ物を購入する際に原材料表示や添加物を気にするように、洗浄剤についても、成分表示を確認する必要があるのね。
自分で選べない赤ちゃんには、安全な石けんを選びたいわね。