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なぁ~なちゃんレストラン:千葉会場(今季最終回)

12月11日 千葉市生涯学習センターで行われた、なのはな生協商品の試食講習会「なぁ~なちゃんレストラン」千葉会場の模様です。

今季のテーマは「ご家庭で簡単にパーティーメニューを」ということで、いよいよ近づいてきたクリスマスにぴったりのレシピを皆さんで調理・試食をします。

和気あいあいと実習が進みます。

なのはな生協の安全食材でクリスマスメニューが完成しました。

試食タイムでは、骨付き鶏もものフライパンソテーが大評判。「フライパンでもできちゃうのですね」「骨付きの方が美味しいことがわかりました」等の感想をいただきました。

今季のなぁ~なちゃんレストランは、今回が最終回。

今季は100名以上の組合員さんにご参加いただき、なのはな生協の良品を沢山ご紹介することができました。

 

豚肉と卵のとろみあんかけ

卵がとろーり 簡単おかずレシピです。
卵3個は割りほぐします。にら1/3袋は4cmの長さにカットします。豚バラスライス120gは食べやすい大きさにカットし、料理酒蔵の素小さじ1/3、丸大豆醤油小さじ1/3、片栗粉小さじ1/2を揉み込みます。
オイスターソース大さじ1.5、料理酒蔵の素大さじ1、味の母大さじ1、丸大豆醤油大さじ1/2、水140ccを混ぜて調味液を作ります。
フライパンに玉絞りごま油大さじ1を熱し、卵を入れて半熟の煎り卵にして一旦皿に取り出します。フライパンに再び玉絞りごま油大さじ1を熱し、豚肉を炒めます。肉の色が変わって来たら、調味液を入れて沸騰させます。にらを入れ、水溶き片栗粉(片栗粉大さじ1と同量の水)でとろみをつけます。卵を戻し入れて軽く混ぜたら完成です。

ご飯にかけてもgoodです。

こども食堂からべえ12/8

成田市加良部ショッピングセンター内、「こども食堂からべえ」12/8の様子です。

週末になり急に寒くなりましたが、ボランティアスタッフによる準備がてきぱきと進みます。

メニューは、豚丼、みそ汁、スパゲッティサラダ、さつま芋煮、フルーツ です。3杯おかわりする子もいました(^^♪

この日は73名の訪問がありました。

憲法@なのはな学習会

12月4日に、船橋市勤労市民センターで、憲法@なのはな学習会が行われました。

講師は、宮腰直子弁護士です。

「憲法は、権力を制限し、国民の人権・自由を守るもの」という憲法の基本を確認した上で、自民党改憲案の問題点について解説してくださいました。

今の政権は自分たちの都合の良いように憲法を変えようとしています。

自衛隊が憲法に明記された場合、徴兵制の可能性も出てきます。

憲法のしくみや理念をよく理解していないと、改憲案の文字だけ読んでもわからないので、まずは憲法に興味関心をもつことが大事です、と宮腰先生は言われました。

気がついたら、個人の人権よりも国家が優先される世の中になっていた、とならないよう、私たちは憲法を学ぶ必要があると改めて考える機会となりました。

シーフードときのこのオイルソテー

簡単で、肴にパーティーにぴったりのレシピです。

シーフードミックスは解凍しておきます。にんにく3片はみじん切りにしておきます。鷹の爪2本は種を取り除いておきます。お好みのきのこを食べやすい大きさにカットします。今回はエリンギ1本、まいたけ1パック、生しいたけ3枚を使用しました。深めのフライパンににんにく、鷹の爪、有機オリーブ油大さじ3~4を入れて火にかけます。香りが立って来たらきのことシーフードを投入し軽く炒めたら完成です。食欲そそる良い香りが広がります。

福島原発避難者訴訟第1回控訴審弁論期日

12月3日仙台高等裁判所で行われた、福島原発避難者訴訟第1回控訴審弁論期日を傍聴しました。

福島原発避難者訴訟とは…双葉郡楢葉町宝鏡寺早川篤雄住職と相双の会國分富夫会長を代表とした、福島原発事故当時、双葉町、楢葉町、広野町、南相馬市、川俣町(山木屋地区)に居住していた216名が東京電力を相手取り、完全賠償を求めた裁判です。2018年3月、福島地裁での判決を不服とし、仙台高裁に控訴しました。

仙台高等裁判所前での決起集会です。

早川氏のスピーチ

入廷前、原告団による行進です。

13時30分から法廷開始となり、原告団、弁護団による意見陳述・弁論が行われ、15時30分に閉廷しました。

閉廷後の報告集会

福島原発避難者訴訟仙台高裁控訴審期日 今後の予定は

第2回控訴審期日
2019年2月18日(月)

第3回控訴審期日
2019年4月19日(金)

と続きます。

上映会「パパ、遺伝子組み換えってなぁに?」

12月1日 成田市文化芸術センター内スカイタウンホールにて、映画「パパ、遺伝子組み換えってなぁに?」の上映会が行われました。

152名の参加がありました。

 

 

上映後には「遺伝子組み換えいらない!キャンペーン」代表 天笠啓祐氏の講演がありました。


天笠氏からは、地球上で日本人が一番食べていると考えられる「遺伝子組み換え食品」について、解説がありました。

上映会参加者には、農業従事者も多く、
日本の農業と食をめぐる危機的状況について、消費者と生産者が同時に学ぶ場となりました。

 

相双の会 会報79号

原発事故被害者「相双の会」会報79号が届きましたので、転載します。

10月25日に出された国連人権理事会特別報告で、理事会のトゥンジャク特別報告者は原発事故後、日本政府が避難指示の解除用件の一つとしている「年間20ミリSv以下」という被爆線量について、事故前に安全とされていた「年間1ミリSv以下」にすべきと述べました。

その上で子どもや出産年齢の女性 について 1ミリSvを越える地域への帰還をやめるよう日本政府に要請しました。

それに対して日本政府は「帰還は強制しておらず放射線量の基準は国際放射線防護委員会の勧告にもとづくものだ」と反論しました。
また「不正確な情報に基づいた声明が発表されることで被災地の風評被害助長されかねない」として懸念を示しました。
このように国連からの要請にも耳を傾けようとしない日本政府、本当にこの国には国民の命と健康を守ると言う考えがあるのでしょうか?
外国 からすれば異常な国としか見えないでしょう。
なぜそれまでして国策として原発を推進してきたのでしょうか。
被害者である我々こそ考えなければなりません。

電力会社は国策としての法律に守られ、稼働率が悪くても何百回となく事故を起こしてもボロ儲けしているのは何故でしょうか。
福島の原発のように大事故を起こしても、住民がふる里を喪失しても、謝罪もなければ責任も取ろうとしない。
国民の税金を使い原発をつくり稼働させ、事故を起こせば被害を蒙るのは国民です。
それでも自民党政権は原発を擁護している。
こんなことを許されているのは日本だけです。

 

 

除染土壌の公共事業再利用-全国に放射能ばらまくな

「相双の会」会報 77 号(10月1日)で報じたように、福島県内の除染作業で生じた大 量 の 汚 染 土 壌 を 減 ら す 目 的 で8000Bq/kg 以下の汚染土壌を公共事業に再利用する計画を環境省が進めている。
中間貯蔵施設に30年保管し後は最終処分場に移すという、当初から実行する気のない誤魔化しの計画をたて、汚染土壌を減容化していくために、公共事業に再利用する実証試験を南相馬からはじめた。
放射能汚染を規制する基本の法律は、福島事故以前は「原子炉等規制法」と「放射線障害防止法」の2つで、その法律では放射線管理区域から出てくる汚染の恐れがある物はすべて放射性廃棄物であるとされてきた。
2005年の「原子炉規制法」の改正により、原子炉解体にともなって出てくるレベル以下の汚染物は、放射性廃棄物ではなく普通の物(何に使っても構わない)としてよい、というクリアランスの考え方が導入された。

事故を想定してのドサクサの中での法律である事は間違いない。
(チェルノブイリ事故を想定しての対策であったのかさだかでないが)

命と健康を第一に考えるならば放射能に安全の値はないと考えるのは当り前のことだ。
汚染土壌を全国の公共事業に使うことは、放射能を全国にバラまくことだ。
こんな事は絶対に許されることではない。

 

 

友人のYさんが北海道で亡くなったという知らせが 10月末、彼の弟から届いた。
室内で倒れ、数日後に見つかったという。
死因は心不全。享年56だっ た。

Yさんは小高町(現南相馬市小高区) に生まれ、父親の転勤で小学5年のときに地元を離れた。
山梨県内の高校を卒業後、成田に赴いて空港に反対する農家の援農に勤しんだり、ひとり福島に戻って第二原発の建設工事に携わったりしていた。
第二原発で働いたのは、「原発そのものには反対だけど、故郷の福島になぜ原発がつくられているのか、この目で確かめたかったからだった」と話していた。
東日本大震災が起きるまでは、移住先の沖縄でサトウキビ農家を営み、都会の若者のために農業体験の場を提供するNPOの代表も務めていたという。

常磐線小高駅。昨年仙台から浪江まで開 通したが、日に数本しか通らない。

 

 

Yさんと知り合ったのは1983年の第1回ピースボートの船上だった。
話をしたら、ひとつ年上で小高町出身、日本キリスト教団小高教会に赴任していた牧師の息子だとわかった。
同じ町内とはいえ、私は在の福浦小学校、彼は街中の小高小学校に通っていたので、 子ども時代の接点はなかったけれど、 同郷のよしみで馬が合った。

その後、消息を聞くことはあっても、 長らく疎遠になっていた。
そのYさんから突然電話がかかってきたのは 2011年4月7日、津波で小高町浦尻の実家が流され、原発事故で避難を余儀なくされた妹一家のいる猪苗代町総合体育館に向かう途中のことだった。
「Yです。 俺のこと覚えているかな」。そう言うのだけれど、すぐにはわからない。
少し話をして、ああ彼かと思い出した。
共通の知り合いである保坂展人さん(現 世田谷区長)から私の携帯番号を教えてもらったのだそうだ。
久しぶりに声を聞いた旧友は、生まれ育った教会に はもう誰もいない、故郷の小高が心配だ、と語り続けた。
Yさんとは翌月の5月に再会した。
すでに警戒区域に指定され、町のなかには入れないものの、少しでも小高に近づきたいと沖縄からやってきたYさんと南相馬市に向かい、鹿島や原町の海岸沿いを回ったり、当時市長だった 桜井勝延さんに会ったりした。

私は先に帰ったものの、彼は大胆な行動に出た。
生まれ故郷に対する思いが強かったからだろう、生家である教会を見にいこうと、人目に付かないように原町から歩いて小高に入ったというのだ。
ところが、小高から原町に戻る途中の警戒区域内で警察官に見つかり、南相馬署に連行されて数時間に渡り、取り調べを受けることになってしまった。
後日、このときの様子を彼が面白おかしく語るので、ふたりで笑い転げたものだ。

離婚して独り身だったYさんはその後、福島に移り住み、復旧・復興の手助けになりたいという一心で、第一原発の収束作業に従事することになる。
宿舎となったいわき市湯本の温泉宿から毎日、現場に向かった。
ただ、持病のあった彼にはつらい仕事だったようだ。
いわき市内の病院に数カ月、入院した。

退院を機に、小高により近い相馬市に引っ越した。
相馬に住んだのは、原町では住宅の空きがなかったからだ。
が、いわきから原発に通勤するよりも遠くなってしまう。
会ったときには、 朝4時起きの出勤はきついとこぼしていた。
結局、体力が続かず、より近場の浪江の除染作業に就いたり、浪江の震災がれきの運搬の仕事に入ったり、 避難によって家族別々に暮らす高校生のための寄宿舎の管理人をしたり、警戒区域外にハウスを建てた農家の手伝いをしたりすることになる。

この間、原町に転居し、さらに一歩小高に近づいた。
父親の大先輩にあたる小高教会元牧師の杉山元治郎(後に衆議院副議長)や小高教会に通っていた鈴木安蔵(現憲法の条文に影響を与えたとされる憲法学者)らに対するリスペクトを語り、いずれ教会が再開できるよう関係者に働きかけながら、地域の人々やゆかりの人々、小学校時代の同級生らと交流していたようだ。
一昨年には南相馬市の助成を受けて「いのちの祭り」と称する復興支援の音楽イベントを開いた。
地元村上の田植え踊りも披露してもらったそうだ。

私も田舎に寄ったときにはYさんのもとを訪ね、町の様子や仕事の苦労を聞いたり、たわいのないおしゃべりに興じたりするのが恒例行事になっていた。
だが、Yさんは極度のアルコール依存で、しかも躁と鬱の差が激しい人だった。
ダウンするとまったく連絡が取れなくなり、アップすると妙に活動的になったり、必要のないものをじゃかすかと買いまくったり。
事情を知らないまわりの人を当惑させることもあったようだ。
果ては、私に累が及ん だことも……。

杉山元次郎が牧師をしていた小高教会。 今は無人で閉鎖中。

 

北海道移住を決めたと知らされたのは昨年の10月だった。
アルコール依存を克服し、生活を立て直そうと、働きながら障害者施設にかかわることにしたのだという。
「健康になって数年後に はまた南相馬に戻ってくる。そのときは小高で暮らしたい」と語っていた。
危ういなと思いつつも、自分自身の選択だろうから、と納得した。

あれから1年――。志半ばのまま、 Yさんは逝ってしまった。
さぞ無念 だったことだろう。
私も悔しくてたま らない。
震災と原発事故の陰で、こんな人がいたことを記憶にとどめてもらえればと思う。 (以下 次号へ続く)

(フリーランス記者/旧小高町出身・東京都在住/MAIL:BXQ01050@nifty.ne.jp/
震災関連の著書『復興なんて、してません』(共著、第三書館)、『除染労働』(被ばく労働を考えるネットワーク編、三一書房)など)

 

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ベーコンとじゃがいもの食べるスープ

あつあつのスープが美味しい季節です。
じゃが芋2個は皮をむき、5mm程度の輪切りにします。玉ねぎ1/4個は粗みじん切り、ベーコンスライス2枚は短冊切りにします。鍋に水200ccとじゃが芋、玉ねぎを入れ蓋をして中火で10分煮ます。蓋をあけて強火で一旦水気を飛ばします。じゃが芋をスプーン等で軽くつぶし、水200ccと洋風だし一番小さじ2、塩少々を加えさらにベーコンも加えます。混ぜながら中火にかけ、とろとろになったら火を止め、粗挽き黒こしょうをふって完成です。

パセリのみじん切りを飾りました。とろーりおいしいスープです

なぁ~なちゃんレストラン:船橋会場

11月28日、なのはな生協商品の試食講習会「なぁ~なちゃんレストラン」船橋会場の様子です。

会場は満員。早速講師より、なのはな生協商品の優位性についての説明があり、説明の後は実習に移ります。

普段、あまり使うことのない丸鶏。それでも皆さん手際よく調理が進みます。

ご家庭で簡単にパーティーメニューをということで、丸鶏はフライパンで焼き上げます。

カットの方法なども実際に見ながら学べます。

カラフルなメニューが完成しました。

お楽しみの試食タイムは和やかに進み、ご参加の皆様からは大変ご好評をいただきました。