なのはな生活協同組合

「福島の現状を知ろう」参加者の声

4月5日に行われた「福島の現状を知ろう」に参加した皆様からの感想を紹介します。

 

今回の視察ツア-に親娘で参加させて頂き、ありがとうございます。
ゴ-ストタウン化した町の様子、道路を隔てたあちらとこちらで帰還困難区域と制限区域に分けられている現実を目のあたりにし、
避難されている方々の心情や受け入れ難い辛い状況を想像することが出来ました。
お話し下さった方の当時の一日一日の様子に命がけの判断を迫られる事態を何度も何度も経験されたこと、
果たして自分だったら・・・と思わざるを得ません。
先祖代々平和に暮らしてこられた方々や、新しい家を建て健やかな生活を始めたばかりの人々の生活を、
権力やお金の力で台無しにされてしまわれたのです。決断の力で、裁判での勝利を勝ち取って頂きたい。
微力ながら応援させて頂きたいと思います。
人ごとではなく、つい将来起こり得る。
自分のこととして、また子どもたちの為に。経済より命優先の政治を切に望みます。(Sさん)

本日は貴重な体験をさせていただきありがとうございます。
まだまだ分からないことが多いのですが、考えていたいと思います。
ただこうした大きな事故、事件では最終的には国家賠償ということもあると思います。
その場合、されるのは、税金ですよね。
つまりは誤った国策をたてる政府を選んだつけは、やはり国民自身が支払わなければならないのだということを、
もっと一人ひとりが身にしみて感じるべきなのではないかと思いました。
ところで一言、山本太郎氏の講演会をというはどこからあがったのでしょうか。
先日そのチラシが入っていたのを見て正直がっかりしました。
反原発のような活動は理想的かつ継続的に行うことが大切だと思います
(今問題意識のない人を巻き込むという点で)彼のようなファナティックな人物を支持するというけど、
運動への信頼がなくなるということも一考されるべきではないでしょうか。
少なくとも私の周囲の人間は一様に「え?」といい顔をしかめました。(Fさん)

 

今回は放射能から逃惑う様子を被災された方から直接お聞きすることが出来ました。
その恐怖、不安、憤り・・・お気持ちはとうてい計りしれません。
原発事故は、国、東電だけでなく、そのエネルギ-を享受している私達の責任でもあります。
日本は原爆を経験し、今回の原発事故を経験したのですから、原発反対は、子孫のためにも世界に訴え続ける義務があるのではないでしょうか。
福島が一日も早くもとの故郷になるよう、私達は応援し続けなければなりません。(Nさん)

 

3年前の3月11日、あの地震の後、テレビをつけると連日津波の様子や家族と離ればなれになってしまった方たちの映像が流れていて、
見るたびに涙を流していたことを思い出しました。
原発事故のこと、地震のこと自分を含め風化させてはいけないと改めて感じました。
今後も微力ですが、復興に役立てられたらと思います。(Iさん)

4月5日に福島視察「福島の現状を知ろう まだ終わらない原発事故」に参加しました。
東北の再建、復興に向けての二ュ-スを聞くたびに福島はどうなっているかが気がかりでしたが今回この企画を知り参加しました。
富岡町は居住制限区域で、規制線が張ってあり立ち入り禁止となっていました。
周囲は人の声や人の姿は全くなくそこだけが置き去りにされたような非現実的な世界でした。
この町の人々は我家に入ることもできない状況は見るものとってもいたたまれない気持ちです。
被災者2名の方の話を聴くことが出来ました。
原発が危ないから逃げろという声で、逃げる先も分らず移った先も危ないから翌日は次の場所へと転々とこの3年内に9ヶ所をわたり歩いたということでした。
住む所を奪われただけでなく、家族の病気、風評被害や中傷など生きることに必死の3年間だった思います。
原発は安全だという定説はくつがえされました。
なのに、安部政権や経済界は原発再稼働にGOです。
国民の安全・安心はどこに・・・です。私たちは個人個人で出来ることを考えて行動することが求められていると思います。(Sさん)

 

3,11から3年が経った現状がどのようになっているか、自分の目で確かめたかったので、参加させていただきました。
報道や雑誌なので見ていましたが、実際現地を視察させていただき身につまされる思いでした。
ひっそりとした富岡町の住宅街の桜がきれいに咲き始めているのにもかかわらず、人ひとりいない通り。
何とも言いようのない不気味な雰囲気でした。
放射能の被害がなければ、もうとっくに従来の生活に戻って生活されていたでしょうに、
今だ、大変なご苦労をされている現状をお聞きし、目に見えない原発の被害の恐ろしさに痛感致しました。
日本は地震大国、頻繁に起こる各地での地震に身も凍る思いです。
二度とこのような事故・悲惨な思いをしてはなりません。
「原発廃止」を更に強く望んで帰宅いたしました。
自分の目で見た状況、想いを一人でも多くの人に伝えたいと思います。(Hさん)

 

福島原発の現状を視てみたいと考え、今年五月に東北旅行を予定していたが個人で現地を訪れて視るのは難しいとあきらめていました。
今回、このような企画があったので参加しました。

・桜並木通りの居住制限区域との境界線は何が違うの?

・富岡駅周辺の1年前と変わらない殺伐とした風景

・被災者3人の方の3.11以後の辛苦はいかばかりか

といろいろと考えさせられる1日でした。(Hさん)

 

3年が過ぎ節目の時とか、何か大きなイベントや出来事の報道しかなくなっているような気がします。
復興が進んでいると言われても、事、原発の被災はそんな簡単に進むとは思えず、どうしても自分の目で確かめずにはいられませんでした。
富岡町の桜並木の下に立ち、植木鉢の並んだ住宅の庭やアパ-トのベランダに干されたままの洗濯物を見ていると三年前までの人々の暮らしが見えてくるようでした。
とても哀しく腹ただしかったです。現状を知るには、活字や映像ではなく現場に行くことが大切だと確認しました。
この機会を与えて下さったなのはな生協さんに感謝いたします。(Kさん)

 

チェルノブイリの事故以来、原発には一貫して反対姿勢を示してきました。
当時幼かった息子2人は映画で「風が吹くとき」を見せ、部屋には原発世界地図を貼り「まだまにあうのなら」を語り聞かせ、 広瀬隆の記事や本を与えて、何とか原発のない将来を作って行って欲しいと思っていました。
それにもかかわらず日本では3・11のあの事故で悪夢が一挙に迫ってきて益々不安な時代になってきましいました。
3年経った今でも終わらない現実を見てるとこれから先の先の時代が心配になりますが、
若い人達の中には原発反対を強く訴える人と何を言っても仕方ないと見て見ぬ振りをして自分をごまかしている人に分かれる様に思います。
そんな若い人たちに伝えていくためにも、今の福島の現実を見て来ようと思い参加しました。
そして、実際に見た人影のない無人の街で放射能廃棄物の袋だけが目立っていたことは、
「渚にて」という映画や「AKIRA」や「火の鳥」を連想させ、怖さと無念さで鳥肌が立ちました。
決して戻ることのできないふる里にしてしまった罪は、いったい誰が償ってくれるのでしょうか。
この様なことが2度と起きないためにも一人でも多くの若い人たちに原発は反対していかなくてはいけないことを伝えていきたいと思いました。(Oさん)

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