なのはな生活協同組合

「福島の現状を知ろう」参加者の声

 4月5日に行われた「福島の現状を知ろう」に参加した皆様からの感想を紹介します。

 

私の通う高校では、3.11関連の講演会があり落合恵子さんのお話を聞いたり、福島から来ている友達の話など聞きくこともあり一度見ておかなくてはと思っていました。
ですがなかなか決心がつかずテレビや雑誌越しに見ているばかりでした。
そんな時、母からの誘いで3年経って世間からは忘れられつつあることですが、今からでも遅くないと参加しました。
家が壊れ、人が住めなくなってしまった町の様子を見てショックを受けましたが、正直テレビ越しに見ているような感覚でした。
それはきっと私は、そこで生活してきていないからでしょう。私には計り知ることのできない怒り、くやしさ、むなしさがあるんだろうと思いました。
「安心・安全」とくりかえす東電にだまされていた自分たちもおろかだったと相双の叫びにありますが、
東電のしたことは、洗脳であり疑問を持ちつつも信じざるを得なかったのだと思います。
今日は貴重なお話を聴くことが出来て本当に参加して良かったと思います。家族や学校の先生や友達に今日のことを伝えて話合えたらと思います。(Sさん)

福島の皆さんの置かれた状況が分かりました。
静かに話される被災者の方々の姿を前に新聞やラジオで知る現状とは遠いものであったのだと感じています。
町は汚されて捨てられた。人々は手も差し伸べられず、右往左往するのみであった。
町の様子を見ると、東京電力も国も町を再生しようなんて真剣に思っていないとしか思えない。3年経った今もそのまま。
町をこんなにした責任を誰もとらない。
あれほどの事故で人々を不安にさせた責任を誰も言わない。
この町に住んでいた人々は「東電を信じていた」「知らなかった」為にこんな結果を背負わされた。
「知らなかった」ことで、こんな結果を許してしまったのは、原発を受け入れてしまった私たちの責任かもしれない。
知ってしまった今でも再稼働、新設、輸出をしようとしている政府や電力会社は、一体どういうことなのか。到底受け入れられない。
「成長させなければいけない経済」とは本当なのでしょうか。
人々の生活が壊されてしまう、壊れても仕方ないというのはやっぱり違うのではないかと。
方向を変えなければならないし、もう「知らなかった」では済まされないのだと思った一日でした。
どうか、少しでも早く気の休まる日が訪れるように(Mさん)

 

今日、福島視察に行って見て、私は3月11日の地震があった時1年生で帰る途中だった時怖くなりました。
テレビで福島県の映像を見て駅が津波で流されていて怖いと思いました。
今日いろんな場所を見学して、怖さを思い出しました。
私は原発のことは良くわかりませんが、みなさんの話を聞いて良くないものだということが分りました。
これから千葉に帰ったら今日のことを友達に話したいと思います。(Iさん)

昨年も参加させていただきました。今年は参加を見合わせようとも思いましたが
双相の会の方のお話が直接お聞きできるということで行く事にしました。

バスからの風景は、昨年とちょっと違って見えました。地域にもよるのでしょうが、格除染とかプレートを貼った車と数人の作業員が建物を吹いたりアスファルトの道路に霧状のお湯を噴射して掃除機みたいなのですいこんだりしているのを目にし、「着々と帰還の準備をしている」と感じました。
勘違いかもしれませんが、広野の火力発電所の回りは仮設の寮またはアパートのようなものがあったように思います。
従業員のためなのか除染作業の人たちのためのものかわからなかいけど、人が増えたのだろう。
近くにコンビニがあって、パチンコ屋がありと良いか悪いかは別としてに人が増えていると感じました。
車が通っていたり、少しずつ町が息を吹き返してきたような感じ。でも、汚染は見えないだけで続いている。
一方、家屋はさらにいたんでいて、以前より荒廃が進んでいるように思えました。

双相の会の国分さんは、放射能は降り積もって土とともにあるから線量が高いけど心配ないというようなことおっしゃっていたと思います。これも記憶違いなら申し訳ありません。ただ、気になったのは、線量にかなり揺れ幅があったこと。おそらく、春風に煽られた粉塵の中に放射性物質が含まれていて、一定の数値を計測できていないと思いました。この地でクラスにはやはりマスク着用は必要なのではと感じました。

一転して、四倉の道の駅や交流会場となったいわき市の施設は松戸市とかわらない程度の線量で、ここに住めないなら松戸も住めないのだとあらためて考えました。福島の原発事故の問題は福島県でも状況が違っていて全体像が見えてきません。そして、政府や東電は被害を福島だけと線引きしたいのでしょうが、北は岩手、西は東京までは考えないとならないと思います。だから、ますます問題が複雑化してしまいます。

福島県内に限れば。私はネットなどでいろいろと情報を得るにつけ、被曝の問題は3つにわけられると思いました。

1.実際に原発内部で収束作業に関わっている方。
これらの人は、常に高線量の被曝をしつづけ、しかも、給与の中抜き、線量のごまかしなど、劣悪な労働状況におかれています。しかも、仕事のない福島県内の方も仕方なく働いていると読みました。以前原発にかかわっていた方は、なかば強制的に戻ってこないかというような勧誘を受けたり、病気になっても原発とは関係ないと言われているそうです。

2.避難を強いられた方々
強制避難区域など、いろいろな名称がもちいられ。残念ですがすべてを追いきれず理解してはいません。しかし、一定数の方が、自宅を着の身着のままのような形で後にし避難生活を余儀なくされています。双相の会の方たちはここに入るの思います。初期爆破かなり大きいのですが、その後はある程度線量の低い場所に避難し食材もそれなりに低い状況で生活している方々

3.福島市、郡山市などの都市部で避難区域に指定されずに、低線量とはいえ、放射線管理区域を越えるような外部被曝と日常生活では、地域の食材はもとより呼気による被曝もかなりしている地域の方々
それぞれの分類の人々の最大の問題点は異なるため、裁判にしろ、国や東電に対する要求も全く異ならざるを得ず、ひとつの団体としてはまとまれないということです。原告団としてどうしても小規模にならざるを得ず、同じ状況でも周囲に遠慮したり東電に遠慮して原告団には加われないという人々もいます。子どもの頃学習した公害問題がより複雑になって目の前に広がっていると思えました。

話は変わります。

双相の会の3名の方の体験談は、文字では知っていましたが、当事者からの言葉の重みを感じました。淡々とお話になる中に、今までなんど涙を流されたのだろう。それもおそらく誰にも見られない所で、もしくは、わかってくる人の前で、と思いました。県民の分断の問題、世帯での被曝に対する捉え方、このような問題は、本来なら事故を起こした国と東電が一人一人聞き取り調査をし、当事者がどうしたいのかを第一に考えて行かなければならない問題です。彼らが一方的に保証内容を決めたり、勝手に帰還せよと命じたりしてはいけない。

抱えきれない程の問題をかかえ、それに耐え、3年という日を我慢して過ごしてきた皆さんの気持ちを考えると何とも言えずに言葉につまりました。普通の人のささやかの幸せがあっという間に壊される。そして、それをないもののようにしてみんなしらぬ存ぜぬを決め込む。公害問題もこのようにして被害者が高齢になるのをまってすずめの涙程の補償で誤摩化してきたんだと実感しました。

双相の会の皆さんの裁判の主張をお聞きし、聞き逃した部分もあったので、バスで購入した小冊子「双相の叫び」を読んだりネットで確認しました。しごく全うな主張と思います。いわれない誹謗中傷とも闘いながら、精神的にも体力的にも大変な日々が続くと思いますが、泣き寝入りせずに頑張ってもらいたいと思います。

最後に、交流会で不躾な質問をしてしまったと思います。ただ、ネットで流れている噂と真実を私自身の中で切り分けたかったからです。感情に流されることは大事ですが、それには根拠がしっかりしていないとならないと思います。

なのはな生協さんには、このような機会を与えていただいて本当に感謝しております。これからも皆様の活動に期待しております。(Iさん)

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