なのはな生協

ピースアクション2015広島代表派遣

8月28・29日、組合員の皆さまに折っていただいた千羽鶴を届けに、広島へ行かせていただきました。

まず、特別養護老人ホーム「倉掛のぞみ園」に向かいました。

会議室で施設の概要を伺った後、ホールに移動したところ、多くの入所者の皆さまが出迎えてくださいました。千羽鶴とお見舞金をお渡しし、お返しに、ぬりえや手作りの傘の置き物をいただきました。

被爆者の聞き取りや手記をまとめた「紙碑 第七集」をいただきましたが、副園長の村上さんは「もうこれを出すのは、今回で最後かもしれませんね」とおっしゃっていました。

被爆者の方々の高齢化に伴い、その体験を伝える難しさを感じました。 その後、84歳(原爆投下当時14歳)の杉田邦子さんのお話を伺いました。

学徒動員で縫製工場での仕事中に被爆されたそうです。

「『これで勉強しないで済むね』と言っていたからバチがあたったんだねと友達と話している」との言葉に、返す言葉もありませんでした。

今回、参加中学生の高橋さんに対する「『戦争なんていつのことかしら?』と思えるような世の中にして下さいね」という言葉を重く受け止めました。

 

次に日本赤十字原爆病院を訪問しました。

院長先生から病院の概要・原爆投下後のお聞きした後、標本室とメモリアルパークを案内していただきました。

 病院建て替えに伴い、以前、敷地内にあった病院の窓枠や碑を保存するために、メモリアルパークを作りました。

窓枠のゆがみ方から、原爆の威力と、爆風が左から入って右に抜けたことがわかります。

平和記念公園に向かい、爆心地、原爆ドームを見学し、

原爆の子の像に千羽鶴を手向けました。 

折りしもアジア体操競技選手権の開催の直前で、慰霊碑には選手の皆さんからの花束が手向けてありました。

翌日は、原爆資料館を見学しました。

6日の平和記念式典に向けての準備が、着々と進められていました。

広島の街を歩いていて気づいたのは、印刷物等で目にした「被爆70年」という言葉です。

日本は70年前に戦争は終ったかもしれません。しかし、「戦後70年」ではなく、「被爆70年」という表現のしかたに、広島の方々、特に被爆者の方にとっては、今なお原爆投下による苦しみは続いているということを強く感じました。

原爆投下の原因である戦争を起こさないために、そのために行動しなければと思いました。