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機関紙「なのはな」9月号WEB版-2

機関紙「なのはな」9月号WEB版-2

平和代表派遣 広島

組合員さんの思いとともに

7月25日~26日、組合員さん5人と事務局2人の総勢7人で折鶴を届けに行ってまいりました。
1日目は、広島原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」、広島赤十字・原爆病院を訪問しました。
倉掛のぞみ園では被曝された方の話、原爆病院では当時の病院の様子や広島の様子を伺いました。
そして原爆の子の像に折鶴をたむけました。
2日目は原爆資料館、原爆ドームなど平和記念公園を各自で視察、「戦争」「核兵器」「平和」を考える代表派遣になりました。

戦争を次世代に伝える

最初に倉掛のぞみ園を訪問。こちらでは被爆された方で、介護が必要になった方が暮らしていらっしゃいます。
ホールには皆さんが待って居てくださり、折り鶴とお見舞金を渡しました。
その後、2人の方から2班に分かれて当時のお話を伺いました。

私達には中本さんという方がお話をして下さいました。
原爆が落ちた当時は小学5年生だったそうです。
8月6日、お父さんが他の方の代わりにたまたま工場へ行った時に2キロ以内で被爆されました。
全身大やけどを負って帰ってこられたお父さんを見て、ひどいショックを受けたそうです。

まもなくお父さんは亡くなり、今までは何不自由なく育ってきたのに生活が一変しました。
いじめられたりもしましたし、嫌な思いもたくさんしたそうです。
お父さんに褒められたくて勉強も頑張っていましたが、やる気が出なくてしばらくは何もせず、成績が落ちる一方でした。
しかし、お母さんが仕事も何もされなかったので、そのうち中本さんが生活を支えるようになったそうです。

一人の少女の人生が戦争が起こったこと、原爆が落とされたことにより大きく変わりました。

次に広島赤十字原爆病院を訪れ、事務の浜野さんから当時の様子や現在病気で100人の被爆された方が入院していらっしゃることなどを伺いました。
爆心地から1.9キロメートルほどにあるこの病院も大変な被害を受けました。
爆風で窓は全て割れ、鉄製の窓枠も大きく湾曲したそうです。
その建物は平成5年までは使われていました。今は病院も再建され、病院の道を挟んで向こう側にメモリアルパークとして建物の一部が残っており、当時の悲惨な様子がまざまざと感じられます。

その敷地内に「動員学徒の碑」というものがありました。
原爆投下の朝、近くの工場で中学生が働いていたそうです。
(働くべき大人は全て戦争に行っていた為)原爆が落ち、熱風でみんな亡くなってしまったのですが、顔は無傷できれいで、親御さんが引き取りに来た時に見つけやすいようにどなたかが顔を真ん中にして放射状に中学生を並べたそうです。
その子供たちの為に建てられた碑でした。
私には高校1年生の息子がいるので、その子供たちを見た親御さんの気持ちが伝わってきて涙が溢れました。

2日目は原爆資料館に向かいました。
8年前に家族旅行で行っていたので1回目ほどの衝撃はありませんでしたが、やはり目を覆いたくなるような写真ばかりでした。
色々な展示の中で、膝の中に原爆投下時の被害でガラスが入り、後になって手術で取った方の話が載っていました。
「今ある平和が大勢の方の犠牲の上にあることを忘れないでほしい。」と。

即時に多くの命を奪うだけでなく、生き残った方も遺伝子まで傷つけ、じわじわと長年にわたり苦しめ続けるのが原子爆弾の恐ろしさです。
戦争に勝つと信じていた人々の命を一瞬で奪った原子爆弾。
この後、原爆ドームの前に立ったのですが、いろんな方の魂がそこにまだあるのを感じました。
戦争をしたり、非人道的な核兵器が使われたりすることがないように、戦争を知らない私たちも子供たちにしっかりと伝えていかなくてはと思いました。
理事 山元

私の故里 ヒロシマ訪問

なのはな生協さんと私の故里 広島に行く機会に出会いました。
なのはな生協さんを知ったのは、つい2,3カ月前でした。核兵器反対廃絶運動、平和活動を多方面にわたり力を入れて下さっている事を知りました。
1981年に始まり、今日まで続けて下さっている事に深く感謝申し上げます。

1945年8月6日、当時私は3才10カ月でした。
広島で爆心地から2km荒神町の淨光寺にて朝食の最中でした。
又、その1カ月呉市で大空襲に遭いました。
被爆した状況は言葉では語れません。
今日迄、生かされている…最近になって強く感じている事ですが、神、仏、祖先、夫が守護してくださり、必要あって時間をあたえられていると。

さて、広島市内に入り、最初に倉掛のぞみ園という被爆者養護ホームに行きました。
入所者300人ですが、他の方が入りたくても5年待ちだそうです。
担当者の説明があり、皆で組合員からの寄付と折り鶴をお渡ししました。
私は入所者の方から色々お話が聞けたらと思っていましたが、平均年齢84才という事で、余り被爆体験については聞くことが出来ませんでした。


ここに入所されている方達の被爆後72年を生きてこられた人生に特別な雰囲気を私は感じました。
心が締め付けられ、私自身の人生と重なり…良く生きてこられました。
想像するだけで苦しくなります。

次に、広島赤十字・原爆病院に向かいました。
途中の広島市内は、すっかり美しい都市へと変わっていました。
私には72年前の焼野原や出来事が思い出され複雑でしたが、広島はやさしく懐かしく私を迎えてくれました。
赤十字原爆病院と聞くだけで、72年前の惨状が目に浮かびます。
担当者の説明があり、ここでも寄付と折鶴をお渡ししました。
その後、病院の資料室に献体された被爆者の標本に案内されましたが、一歩入っただけで、ただならぬ空気、被爆の犠牲になられた方の怨念と申しましょうか、私は苦しくて中に居られませんでした。
被爆当時の病院の様子、残骸の一部を見て宿泊先へ。

翌日は、原爆資料館、慰霊碑にも折り鶴を手向け、何度か来ている私は目的がありました。
啓発課で係りの方に語り部の助言、資料をいただき、その後にシアターで行われていた被爆伝承者のお話を聞きました。
寺前妙子さんの体験談をされていました。
何という事でしょう。私のすぐ近くにご本人寺前さん85才が座っていらっしゃいました。

この方の体験談を私は読んだことがあります。
座っているのも辛そうで、そばで支えてあげました。
自分も被爆者だと申し上げ、自然に二人で肩を寄せ合いました。
来年もお会いしたいと別れました。
お元気で…。
なのはな生協の皆様、折り鶴に御協力くださった方々、有り難うございました。

核は人類に扱えません。
地球を滅ぼすのみです。
二度と広島、長崎の過ちは繰り返してはならない。
被爆者の今日迄の苦しみを無駄にしないでください。
核兵器を使用しない平和な世界の実現が訪れますように。
並木町 木村(被爆者)

見て、聞いて、知って…思うこと

倉掛のぞみ園では、12才の時に学校に向かう電車の中で被爆した方の体験談を聞きました。

平和記念資料館や原爆ドームなどでは戦争の狂気を目の当たりにしました。

感想は「筆舌に尽くし難い」としか言えませんが、12才で被爆した少年が、母親に遺した言葉が忘れられません。
「お母ちゃん。泣いてはいけん。これだけの大きな戦争で学徒の僕たちが、生きておられることのないことは覚悟しとったよ。お母ちゃんは、人のためになることを…」と言って息を引き取ったそうです。

12才の少年に戦争での死を覚悟させるような教育を再び繰り返さないためにも、学齢期の子ども達は、全員必ず被爆地を訪れ戦争という人間の犯した愚行について学ばせることが、私達大人の責任ではないかと痛感しました。
宗吾 村上

平和活動募金
今年度4月~7月まで、皆様から384,300円の募金がありました。
折鶴活動、代表派遣をはじめとした平和活動に使わせていただきました。
今後も平和のための活動を行うにあたり、募金の協力をお願いします。
001890 → 1口 100円
001891 → 1口 500円
001892 → 1口 1,000円
*OCR用紙に6ケタ番号を記入して 何口でも募金できます。

再び訪れ、さらに知りたい

60代の母と一緒に参加させて頂きました。

原爆養護ホーム・倉掛のぞみ園で女性の方に被爆体験を聞かせて頂きました。
お話を聞けたのは本当に少しでしたが、子供の頃に路面電車で被爆した時の事を話してくださいました。

広島赤十字・原爆病院メモリアルパークでは、被爆遺跡として残してある当時の病院の歪んでしまった窓枠などを見学。

そして、広島平和記念資料館へ。
残念ながら本館は現在改修工事中で、見る事が出来たのは東館のみでした。
被爆されて亡くなった方の衣服の展示を見たのが衝撃的でした。
その後に、地下1階にある特別展示室の新着資料展で見た花嫁衣裳の着物も印象的でした。
持ち主の方は被爆して亡くなられているそうなのですが、その着物は原爆投下前日に引越し予定先に荷物の一部として運ばれていたため綺麗なまま。
原爆の被害にあった服と、被害にあっていない服。
もちろん服の持ち主は違うのですが、あまりにも違う現実にとても辛くなりました。

帰りの飛行機との時間の関係で、被爆体験伝承講話を聞けなかったのが残念でした。
時間が合えば聞いてみたかったです。

今回、団体で行ったことによって経験する事が出来た事がありました。
でも個人で時間にゆとりを持たせ行ってみないと分からない部分もまだまだあるなと感じました。

資料館も全てを見られた訳ではないので、来年の夏に本館リニューアルオープン後、また改めて行ってみたいと思いました。
宗吾 村上

 

核の恐怖を後世に残すのは私たちの役目

私は、千羽鶴を広島へ届けるという平和活動に子供と参加させていただきました。
広島に行くのも初めてのことで、一度は広島に行った方が良いと体験された方に言われたのと、被爆者の高齢化が進む今、体験された方のお話を伺う貴重な機会なのではと思い参加しました。
被爆者の方々が療養されている施設での、体験された方のお話は、とても悲惨なものでした。
突然いなくなる家族、助けてあげられなかった辛い気持ち、原子爆弾は体だけではなく心も傷つけるのだと思いました。

広島記念公園、原爆の子の像には、全国各地から平和への願いを込めたたくさんの千羽鶴が寄贈されていました。
平和記念公園資料館でも外国人観光客が多いのに驚きました。
熱線で重度のやけどを負う人、ほとんどの建物が爆風で壊れている様子、放射線による被害は想像よりもさらに悲惨なものでした。
原子爆弾の恐怖を知っているのは日本だけです。
その恐怖を語り継ぎ後世に残すのは、私達の役目なのだと思います。
子供がもう少し成長したら、もう一度家族で広島を訪れてみようと思います。
泉町 西井

二度とやってはいけない戦争と原ばく

ぼくは、広島に千羽鶴をとどけに行きました。
最初に倉掛のぞみ園に行きました。
そこでは広島の原ばくで、ひばくした人達が、入所していました。
広いデイルームにまっていてくださって、千羽鶴を一人一人わたしました。その時は緊張しました。

中本さんのお話を聞きました。
ぼくは4年生だけど、その人は、5年生のときにひばくしたそうです。
毎日、食べる物がなくて、おとうさんはなくなり、お母さんだけではどうしようもできなくて、とてもつらかっただろうと思いました。
つらい思いをしながら、生きようとする気持ちがすごいと思いました。

次に、平和記念公園の原爆の子の像に千羽鶴をかけてきました。
そこでは、ものすごいたくさんの千羽鶴がかけられていました。
平和をねがっている人がこんなにたくさんいるんだなと思いました。
最後に、平和記念資料館に行きました。
そこでは、アメリカの落とした原ばくのせいで、ぎせいになったたくさんの人たちの写真や映像を見ました。
もう二度とやってはいけない戦争、原ばくをやめようとする気持ちが痛いほど伝わりました。
西井(小4)

今だからこそ伝える

昨年の長崎に続き、今年は広島へ鶴を届けました。
長崎でも広島でも被爆体験者の方のお話の中で、必ずといっていいほど「戦争は2度としちゃいかん」という言葉。
同行した子どもに向かっては、「平和な世の中がいつまでも続くようにお願いします」と戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えていただいています。

原爆投下から72年経ちましたが、原爆の被害は癒えることはありません。
「原爆で亡くなっていった知人、友人のことを思うと、今でも耐えられない気持ちになります」と言います。
差別をおそれ口を閉ざしている人、過酷な状況から当時を思い出したくはないと言う人がいる中、生き残った者の役割として原爆の悲惨さを伝える活動をしている人が多くいます。

代表派遣では、広島、長崎に訪問し、被爆者の方の声を聞いています。
平均年齢は81歳を超えました。
高齢化に伴って、被爆体験をお話しされる方が少なくなってきています。
広島市では、被爆体験証言者の被爆体験や平和への思いを 受け継ぎ、それを伝える「被爆体験伝承者」を平成24年度から養成し、実際に資料館で話されています。原爆病院でも当時の建物の一部を残し原爆の恐さを伝え、資料館では被爆の実相を見ることや被爆者の証言を聴くことができます。
その他様々な施設もあり、後世に伝えることの大切さを街全体で共有しているようです。

私たち日本人は、広島と長崎で核兵器による惨禍を体験しました。
今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。
原爆は、多くの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたことを学びました。
核兵器の廃絶と恒久の平和を訴え続けなければいけない国民なのだと強く感じます。

現在、特定秘密保護法、防衛装備移転三原則、安保法制の成立、共謀罪の施行など戦前に回帰しているようです。
戦争への危険性を感じずにはいられません。
平和記念公園の中にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と書かれています。
これは日本だけではなく全世界に向けたメッセージと考えます。
先の大戦で世界中に多くの犠牲者がでました。軍人だけではなく、一般市民も犠牲者となりました。
すべての犠牲者に対して『もう戦争はしない』という決意と約束のようにも感じます。

訪れた時、平和公園には、多くの外国の方々が来ていました。
日本人よりも多いと感じました。
7月には国連で核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。
核兵器のない世界の実現の輪は確実に広がっています。
なのはな生協においても折鶴活動が平和を考え、その輪を広げる活動になることと確信しています。
今後もご協力をお願いします。
副理事長 涌井修

 

今後の予定
9月16日(土) 稲刈り体験  こうざき自然塾
9月27日(水) 安全たしかめ隊 丸和食品
9月28日(木) 被爆体験を聞く会と代表派遣報告会  船橋市中央公民館
10月7日(土) 搾乳体験  藤崎牧場
10月14日(土)わくわく収穫体験 大栄みみずの会

 

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