なのはな生協

「被爆体験を聞く会」と「平和代表派遣報告」

10月3日船橋中央公民館にて、千葉県原爆被害者友愛会より児玉三智子さんをお迎えして被爆体験についてお話しを伺いました。

1945年8月6日8時15分、広島市内に原子爆弾が投下され地上600m上空で炸裂。
児玉さんは当時国民学校2年生(現在の小学校2年生)7歳の時に、広島市内の国民学校校舎で被爆しました。
お父さんが小学校まで迎えにきて、おんぶされて自宅に戻る道々の記憶…洋服もほとんど着ておらず皮膚が焼けただれぶら下がっている人、真っ黒い炭のようになった赤ちゃんを抱いたお母さんらしき人、這うようにして逃げている人、眼球が飛び出して見えなくなり下を向いて歩いている人、飛び出した内臓を抱えるようにして逃げている人、自分と同じぐらい7歳ぐらいの女の子が声も出せず目で助けて!と訴えている様子…
辛い記憶を忘れたい…と思っても、記憶が児玉さんの中から抜け出すことを許さない。
被爆体験を語りつぐことを自らの使命と受け止めている様子が児玉さんから感じられました。

また、児玉さんは戦後も長期間に渡り偏見・差別・心の痛みという苦しみに直面された経験もお話しして下さいました。
そして最も辛い体験だったとおっしゃっていたのは、 娘さんが健康に生まれ結婚もし幸せだったある日、突然ガンに襲われ手術を施すも、ガン発症からわずか4ヶ月でこの世を去り逝ってしまったことです。
放射能が被爆者の遺伝子に影響を与えることは明らかになっていますが、被爆二世・三世についてはまだ解明されておらず大きな不安となり圧しかかります。
原爆被害の当事者だけでなく、後世に渡り甚大な影響をもたらす可能性のある核兵器の存在を認めて良いのでしょうか。

現在、世界には16,000発の核兵器が存在し、核兵器保有国は北朝鮮も含めると9カ国になります。
核保有国は抑止力のために核兵器が必要だと主張しますが、言い換えれば核兵器を保持するということは、万が一にも使用する可能性があるということです。
原子爆弾は過去のものだけではなく、明日にもどこかで使用される可能性があるということを示唆しています。

『今、わたしたちにできることは何か』を考えるとき-被爆体験者の話しに傾聴し、過去の戦争体験から歴史を知る-核兵器を廃絶するために私たち日本人がとるべき行動を考える -戦争という同じ過ちを二度と犯さないためにどうすれば良いか考える

すぐに全ての解決策が見出せるとは思いません。

しかしながら、これらを念頭におき日本国民が自分たちの課題として取り組み、考え、行動するとき、私たちは確固たる道標を得て迷うことなく歩むことができるのではないでしょうか。

No more Hiroshima. No more Nagasaki. No more war.

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広島・長崎代表派遣報告

戦後70周年という節目の年に、長崎へ7名、広島へ6名の代表派遣を行い病院施設や原爆資料館を訪問し、組合員の皆様にご協力をいただき折り上げた33,100羽の折鶴を贈りました。
訪問先では心温まる歓迎でお迎えいただき、原爆を体験された方々は思い出すことも辛い体験をとても丁寧に話して下さり、代表派遣者はそのことが印象深い様子でした。

今回、親子で代表派遣に参加されたお母さんの一言を紹介します。
「大人がきちんと戦争のことを伝えてないから、子ども達が戦争のことを理解してないのではないか?」 まさにその通りではないでしょうか。
まずはご家族で戦争や平和についてきちんと話し合うことが基本であり、その先に学校や社会の教育が必要になってくると思います。
代表派遣として参加された方々は各々感じたことを報告していただき、私たちも同じ想いを共有することができました。

なのはな生協では今後も平和活動の一環として、憲法学習会や憲法カフェを開催する予定です。
決して自分や家族に関係のないことではありません。
是非、話しを聞きに足を運んでみて下さい。きっと気づきがあると思います。