なのはな生協

「体験!戦時下の食事」

8月4日(木)行徳公民館にて「体験!戦時下の食事~食生活から考える戦争と平和~」というイベントを致しました。

当日は市川市の組合員である名和さんから、戦争当時のお話をしていただきました。

名和さんは群馬県桐生市にお住まいで終戦の時は中学校2年生だったそうです。

「年の近かった上級生は特攻隊として送り出されたこともありました。
桐生市は太田市に隣接しています。太田市に飛行機を製造する工場があったため、爆撃される可能性がありました。
B29のような大きな飛行機が爆弾を落としたところも見ました。
庭にお父さんが階段付きの防空壕を作って、皆でよく避難しました。
桐生市は田舎だったため都会に比べると食べ物はありましたが、イナゴを採って食べたりもしました。
戦後のほうがさらに無くなった記憶があります。
戦争中は御国の為に働け、といったような記載が教科書にもあったのですが、戦後は教師の教えることも180度変わって、先生への不信感も出ました。
戦後2年位はまともな授業も受けられませんでした。
自分のように戦争を体験したものは絶対戦争だけは嫌だ、と思います。
安倍首相は戦争をままごとのようにしか感じていないのでは・・・」

などと話してくださいました。

次に参加者の皆さんで当時の食を作り、食べました。
小麦粉(全粒粉)にふすまの入ったすいとん、代用醤油をかけたお浸し、麦を入れた玄米ご飯です。

ふすまは小麦を精製するときに出る胚芽と表皮の部分です。
茶色のぼそぼそしたすいとんが出来上がりました。
出汁もなくて、とても美味しいとはいいがたいものです。
また、さつま芋の蔓(茎)と葉が手に入る時期でしたので、葉をお浸しにしました。
蔓は、当時よく食べられていた野菜であるさつま芋とかぼちゃと共に、すいとんの汁の具にしました。

また、代用醤油というのは当時、調味料などもだんだんと無くなっていった中で、庶民が考えた物で、ひじきを煮詰めた汁の中に塩を入れたものです。雑草なども食べなければいけなかったので味付けを濃くしたものでした。

玄米も麦が多めに入っていてよく噛まないと消化が悪そうです。

玄米も麦が多めに入っていてよく噛まないと消化が悪そうです。

戦争になれば一番被害を受けるのは私たち庶民です。

その様な世の中にならない為に、政治の行方にも目を光らせていかなくてはならないと感じました。