原発事故被害者「相双の会」会報91号が届きましたので、転載します。

第8回2019年11月12日
福島原発避難者訴訟仙台高裁控訴審が結審しました

2019年11月12日に、仙台高等裁判所で結審しました。
福島地裁に提訴し、いわき支部で審理をすること5年、18年3月にだされた福島地裁判決は、被害者の実態は認めたものの、原告の求めは極めて不十分にしか認めていなかったので、18年4月に仙台高裁に控訴し、あらそってきました。
この間、裁判傍聴には県内だけでなく山形、 宮城、千葉、東京などからも多くの方々がかけつけていただきました。
皆様のご支援に感謝いたします。

高裁の判決は来年3月12日午後2時と決定しました。

今回仙台高裁で結審を迎えた福島原発避難者訴訟第1陣原告は 216名です。
原告は いずれも原発事故当時、避難区域にいた住民で、現在も福島県内外に避難生活を強いられている住民です。

なお、このほかに避難者訴訟としては2陣(376名)、3陣(162名)、南相馬訴訟(151名)が福島地裁いわき支部に提訴しており、 総計905名にのぼります。

第一陣原告の請求額は控訴人が福島原発事故によって被った損害に対する賠償として、合計18憶8070万260円を支払えというものです。

最終意見陳述では既に事故から8年も過ぎ間もなく9年になろうとしています。
放射能汚染が今なお回復しないまま深刻な状態です。
将来への展望が全く持てない状況 が続いていることから。公正な正義ある判 決を求めて終了しました。

以下、11月12日の原告からの最後の原告本人と、訴訟代理人弁護士の意見陳述の要旨を紹介します。

 

原告意見陳述・要旨(原告団長 早川篤雄)

最大・最悪の被害は次世代が戻れないこと

事故から8年8ヶ月が過ぎました。
避難解除された地域では「戻らない」「戻るか戻らないか判断できない」しかし、帰還したのは高齢者が多く若い世代は戻りません。
帰還困難区域はより深刻です。

原発事故による最大で最悪の事態(被害) は、子供を産み育てる世代、次世代を頼む 小・中・高生が戻らないことです。

それでなくても過疎が進み深刻ではあったが、そんな中でも海があり山があり、暑からず寒からず自然に恵まれた地域へ憧れて都会から移住してくる方も多くいました。
原発がなかったらもっともっと多かったでしょう。
このままではそれぞれが暮らしを立て人生を実現しようと生きてきた地域が消滅することになります。

原発事故により周辺住民が受けた影響の本質とは何かを考えたとき、「どこでどのように生きるか」は憲法で国民の権利として保障されていますが、私たちからは生活する場所、生活手段を選択する自由が奪われました。
まるで、地域紛争で国を追われた難民です。
生まれ育った土地の滅失、自分が築いてきた財産の滅失、帰還しても元どおりの生活ではなくなること、避難中に家族が離れ離れになることなど、先祖から受け継ぎ孫に引き渡すべき地域の歴史が変えられてしまいました。

今回の原発事故は、実に様々な深刻な被害を広範囲にわたる地域にもたらしました。
放射性物質の高濃度汚染地域の住民は長期にわたる避難生活や移住を強いられ、災害 関連死、自殺、家族の分離、農業・畜産業・ 商業・流通業・食品加工業・町工場等の続行不能や勤務先喪失の事態に追い込まれました。
このような不安定な生活によるストレスで体調を崩す中高年層の人々が少なくなく、いわゆる災害関連死で亡くなる人が相次いでいます。

 

命と尊厳、生活と人生の破壊

除染対策は費用の点でも除染効果の点でも困難な問題が多く、混迷が続いています。
高濃度汚染地域の除染はできないとされ、 復帰できなくなった「ふる里喪失」の住民たちがこれからどうコミュニティを再生し、どう生きていくのか、見通しが立っていません。
原発事故の被害を分析するに当たって重要なのは、総計的な数量で概況を据えるだけでなく、一人一人の人間の生命と尊厳がどのように脅かされ、生活と人生がいかにゆがめられたり破壊されたりしたのか、放射能汚染によって地域はどのように壊され、 どこが再生不能になったのかいった状況について、人間の被害の全体像とその詳細を 可能な限り具体的に据えるという点である。

私たちは、この復帰できなくなった故郷喪失、避難によって一人一人の人間の生命と尊厳が脅かされ、生活と人生が破壊された人間の被害を裁判で訴えているのです。

原告訴訟代理人弁護士 意見陳述・要旨

原発事故訴訟における本件訴訟の意味

本件訴訟は、本件事故による被害救済を求める訴訟の中でも、いわば代表的象徴的な意味を持っています。

すなわち、本件は、福島第一原発直近・周 辺の地域に居住していた強制避難対象者が最初に、そしてその被害地域を管轄する地元の裁判所である福島地裁いわき支部に提起した 最大規模の集団訴訟であります。
ならば、この裁判における被害救済が、あるべき完全な形で実現することは、本件事故による全ての 被害者を救済するための「先導」役であり、 その救済の内容は、今後の「模範」となるべき役割を持っております。

次にこの「避難者訴訟」は、原告216名(第1陣)に続いて、2陣、3陣、南相馬訴訟の全体では 900名を超える規模になります。
被害救済のあり方は、当然ながら、本件から分離された第2陣ほかの全ての原告らの被害救済を、決定的に左右する影響力を持っています。

さらに、裁判にまで至っていない多くの避難者が、現在の低額賠償の実情を克服する、 司法判断の確立を待ち望んでいるでしょう。
これらの故郷を奪われた十数万人の人々が、 まさに「我が事」として、この裁判の帰趨を見つめているであろうことに、想いを馳せて頂きたいと思います。

主張・立証を尽くした「被害の実相」、本件 の終結にあたって

本訴訟は、避難生活による深刻な精神的苦痛のみならず、「地域における生活と人生を丸ごと奪われる」という、類例のない未知の被害が課題となりました。

そこで本件では、深い精神的な被害を内在する、この全人格的・全生活的な被害の全体像と「本質」を見極める研究が求められる事になりました。

本件において侵害された権利法益は如何なるものなのか、地域の破壊は、人間に如何なるダメージを与えるのか、そして、生じた損害の全容はどのようなものか、さらに、請求方法に関する訴訟技術にいたるまで、多くの課題がありました。

その上で、多数の一審原告の実相を十分に 主張・立証するためには工夫と、膨大な時間と知的労働の注入が必要であったのです。

しかし、私は敢えてここに明言したい。
我々 一審原告は、これらの課題の解明を全力で実現いたしました。

これらの検討課題について、我々は被害事実を深く聞き取ること、
そして様々な学問領域の専門的知見を最大限に駆使して、裏付けのある、説得的で精密な損害論を確立し、展開いたしました。

立証においては、全世帯の詳細な陳述書に加えて、基本的に全ての原告世帯について十分な原告本人尋問を実施しました。
控訴審においても、代表原告の本人尋問を追加して、 それぞれの具体的な被害立証を尽くしたところです。
被害地域の被害状況、包括的生活利益の損傷を現認するためには、現地での検証と、控訴審おいては現地進行協議を重ねました。

また、それぞれの分野の最高権威というべき5人の専門家の意見書を提出し、うち3人に対する証人尋問を実現しました。

想起の被害救済のため、審理を急ぐ必要があり、迷いもありました。
しかし、我々は必要な主張・立証を尽くしたものと信じます。
あとは、これらの膨大な心理を受け止め、全てを見つめて頂いた裁判所の、判断を仰ぐのみであります。

判決を下す貴裁判所の役割

貴裁判所がこれから練り上げ、言渡す判決は「全人格的・全生活的」損害を救済する切実な期待を背負っております。
そして、放射能公害による前代未聞の被害に対する先導的・代表的な司法判断という歴史的な意味を持つ、貴重なものであります。
どうかその期待を受け止めて、歴史に残る判決によってこれに応えて頂きたい。

そして、この判決が被災から10年という大きな節目を迎えての司法判断であることを踏まえ、一審被告が判決を真摯に受け止め、原告の被害者に謝罪し、誠意をもって償う決断をすることを強く促すような、正義の判決となることを求めてやみません。

仙台高裁の判決は 2020年3月12日

判決日は3月12日福島第一原発一号機15時36分に水素爆発した時であります。
裁判長は意識的に判決日を決定したのかは定かではないがそれにしても 偶然である。

仙台高裁結審日 2019 年 11 月 12 日

現地視察バスツアー感想文(続)
本会報前号で掲載した、9月の東京南部のバスツアー参加者の感想要約の続です。

K.M
個人的には通算5回目のツァー参加でした。
昨年と比べ、充実した内容で國分さんのご努力がしのばれました。
國分氏といい、 大森氏といい、当初から原発設置に反対してきたのだからこそ今堂々と闘えるという言葉を伺って、さもあらんと納得いたしました。
伊藤氏の緻密で実証的な報告はとても勉強になりました。
2016年にも伺っていましたが「放射能は自然の循環サイクルにはいった」 というのが今回8年目のメッセージで、学術的にも一般認識としても価値あるものと思います。
飯館をはじめ帰還困難区域の実態と経過は世界中が注目しているはずです。
原発事故後、南相馬市役所生活安全課に貼ってあった「学べば放射能は怖くない」という標語は、ナチスドイツのアウシュビッツ収容所の入口に掲げられている「働けば自由になれる」という標語を思い起こしてゾッとしました。
程度の違いはあっても、国家権力が人々を欺き、犠牲を出すことをいとわない、あるいは確信している本質には変わりありません。

S.M
復興とは名ばかり、2011年3月11日福島第1原発事故から8年半、立派なハコモノが出来ても人間の復興には程遠い現実があるということを、今回のツアーで改めて感じることができまました。
地震・津波被害に原発事故が加わった福島県の災害関連死(原発関連死)2,200名を超えていること、将来を悲観して自殺する人が6%と増えていることなどの報告にショックを受けました。
帰還しているのは、年配者ばかり、それでも国や福島県は、被曝量の基準を20ミリシーベルト(従来1ミリシーベルト)に引き上げ、自主避難者の住宅費補助打ち切り、賠償金の打ち切り。
今なお帰還困難区域、人の声が消えた町並みなど原発事故は、人間を分断し・町・地域を破壊する何者でもない。
福島を忘れない、被災者との交流を通じて、反原発の仲間をひとりでも多く拡げていきたい。

ご意見のお願い
是非ご投稿をいただき「声」として会報に載 せたいと考えています。
匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

 

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