原発事故被害者「相双の会」会報77号が届きましたので、転載します。

政府は福島県の除染で出た廃棄物を道路や防潮堤などの建設資材として再利用する方針だ。
実際に除染土壌で盛り土を築き、周囲の放射線量などを確認する実証事業を、福島県南相馬市から始めた。

環境省は、放射性物質の濃度が一定の基準(セシウム濃度で1キロ当たり8000Bq)を下回ったものは、道路や鉄道の盛り土、防潮堤などの建設資材として全国の公共事業で再生利用し、廃棄物の量を減らす方針。
実証事業では、一定の基準濃度を下回った廃棄物1000立方メートルを使って実際に盛り土を築いた上で、周囲の放射線量の測定や大雨などの災害による土の流出対策などを数年間にわたって行い、再利用の安全性について確認することにしている。
しかし「仮置場3年、 中間貯蔵施設へ 30年、その後は福島県外へ最終処分場へ」と約束したのに、許されることではない。

自然界にないセシウム 137は 20年 30年で消滅するものではなく、200年 300年単位なのである。
3.11 事故以前から放射性廃棄物を再利用できる基準は1キロ当たり100Bq以下と法律で決まっていた。

それを 80倍の 8000 Bq以下まで可能として実証事業をおこなうのは、1年間の被曝量の法定基準 1m Sv以下を 20m Sv以下に 変えたのと同じ手口である。
1m Sv以下だと近隣県まで避難を余儀なくされることになるから、国が「緊急事態」の名のもと に無責任に変えたのだ。
しかし「緊急事態」は8年も続き、補償打ち切りで「帰還」を強いられている。

廃棄物を安全に管理し放射性物質の影響を監視する態勢を、100年単位の管理を想定して考えなければならない。
安易に廃棄物を全国にばらまくのは、絶対に許してはならない。
狭い日本に 52基の原発が稼働していたことを考えると、これから先不安でならない。


原発事故への慙愧の念をうかがう

国道6号線走行中の車中から計測する放射能値は未だ3.4μSv/h(大熊町夫沢)、 フレコンバッグは整然と緑色のカバーに覆われてあちこちで山を作り、仮設置場に3年中間貯蔵施設に30年保管のはずが予定地は 1/3も入らぬ狭さという。
国、 東電は当初から「除染土壌」再利用を目論んでおり、飯館村、南相馬市、二本松市を「再利用」実験場にするつもりだと國分富夫さんは憤る。

表敬訪問した曹洞宗岩屋寺(原町太田地区)は原発から 21.5km にあり、事故時 津波で亡くなった多くの人々を供養し遺骨を保管する中で自身も心身不調に陥ったという住職の辛い体験を聴いた。
先代 住職(80代)は賠償金を使い果たさざるを得なかった人々の行く末を思い、また 「相馬の女子は結婚できない」との見聞に原発事故への慙愧の念を滲ませていた。
全員で焼香させていただけたのは有難かった。(中川鮎子)

 

二度目の言い訳は許されない

3・11 震災から今日まで多くの自殺者が絶えない。
避難生活でギリギリの精神状態 の中、子どもを守るため生きて、守り続けた子どもを残し逝ってしまった方、「お墓に避難します」と亡くなった高齢者などの話を聞いた。今も続いている。

東京から南相馬に向う常磐高速道にある線量計は1~2.7μSvだった。
浪江や南相馬や避難解除された町々はそ れなりに綺麗になっている。
フレコン バックも仮置き場へ運ばれているのか以前より少なくなった気がする。
でも、汚染水は海の限りない汚染を、汚染土のばらまきは汚染拡大をもたらすことになる。
7年経って夏草に覆われた帰還困難区域を見ながら二度目の言い訳は許されないという思いを強くしたツアーだった。(望月牛女子)

 

せっかくの稲も飼料用

3年前は荒れ果てたままだった南相馬の青々とした稲の田んぼを、案内人の國分さんは、飼料用に(稲作)作っている。
飼料に含まれる放射線物質はどうなるのかなあと解説、飼料を食べた家畜は鶏? 牛?豚?となりますね。
福島事故で多量に発生した汚染土の再利用の実験が開始されている現場を遠景とはいえ、バスから観る機会を得たのは意味ありました。
フレコンバック 1,650万袋(2018年3月、福島県内数)以上が 積み上がる現状、その「中間貯蔵施設がこの辺です」と双葉町域を走るバス内で國分さんが指さして教えてくれた場所に到底収容しきれないことを踏まえ、再利用を画策しているのだろうか。
東京で実験するとなれば大騒動でしょう。(北野幸雄)

 

反抗のムーブメントに関わりたい

被爆の影響を粘り強く検証し、放射線モニターを継続し増設し、人体や生物への影響データを継続的に収集・開示し、 住民の幾世代に亘る健康を科学的に守っていくのが正道でしょう。
残念ながら、現実は国の政治体質で、上から下まで逆方向に進行しているように見受けます。
しかし、民意もじわじわと、この手ごわい現政権に反抗するエネルギーを蓄えているように思われます。
私も自ら手の届くところから反抗のムーブメントに関わっていきたいと思います。(岩井 孝)

 

消えてしまった友に会いたくて

3.11 のとき南相馬の実家に帰っていた友達が家ごと流され、原発事故で避難指示されたせいで十分探されることもなく突然消えてしまいました。
ツアーには友達のふるさとを見たいという思いで去年から参加しました。
地震、津波、放射能 という三重の苦しみを味わっている福島の現実を見て、聞いて、学ぶというこのツアーは、政府や東電、メディアが忘れさせようとしている現実に引き戻してくれる、忘れてはいけない、まだ終わっていないと強く感じることができます。
友だちを思いながら岩屋寺で焼香したことは、供養になったかなと思います。(一ノ瀬渉子)

 

怒りを再燃

帰還困難区域の家屋が朽ち、草木が茂った町の様子や、行き場のないフレコンバックが積まれている様は数年前に見た情景と変わっておらず、原発事故は終わっていないと実感できた。
事故は終結したと見せたい、原発を動かしたいという政府のために、国民は命も生活も放り出されていると思う。
地域で宣伝を指定していても関心が薄らいでいると感じるが、現地を訪れて鮮明な怒りを感じ、私自身も薄らいでいたかも知れないと思った。
怒りを再燃することが出来て良かったと思う。(水摩ゆきえ)

南部ツアー参加者の皆さん 南相馬原町区岩屋寺本堂

 

 

いまさら「トリチウム水」が大問題になっている。
東電福島第一原発に増加する高濃度汚染水のことである。
三重水素 (トリチウム)が酸素と結合してできる重水は、普通の水と分離することが至難であり、半減期は12.3年である。
体内に入るとDNAを傷つける。
汚染水を 濾過している多核種除去装置(ALPS) でも全く除去できない。
タンクに貯蔵された量は92万トンを超え、今後も年5万~12万トンペースで増える。
東電によると敷地内に増設するタンクは137万トンを限界とする。

政府は、かねてから「有識者会議」に五つの処分方法(1水で希釈しての海洋放出、2気化させ薄めて大気への水蒸気放出、3電気分解で水素を分離し薄めての水素放出、4地中のコンクリートの部屋にセメントと混ぜて流し込む地下埋設、 5深い地層内に圧力ポンプで送り込む地層注入)を提示させ、原子力規制委員会によって、東電や国の負担が最低となる1に誘導しようとしている。

福島県富岡町、郡山市、都内千代田区 で開いた「公聴会」では、「放出ありき」 の方針に、当然のことながら批判が続出した。
福島県漁協連合会の野崎哲会長は 「試験操業で積み上げてきた水産物の安心感をないがしろにする。
海洋放出されれば福島の漁業は壊滅的な打撃を受ける。
築城10年、落城1日だ」と強く反対した。
関連する漁業は福島だけではない。
重水であれ、トリチウムにしてであれ、 大気中や地下に放出するのも、空気や水や土壌や作物を汚染することになり、きわめて無責任である。

100万トンに迫る高濃度汚染水の中の放射性物質はトリチウムだけではない。
ALPS等の運転が不安定だった時には、 ストロンチウム90(半減期28.8年) やセシウム137(同30.0年)がかなり出ているし、半減期1570万年のヨウ素I29や、同21万1千年のテクネチウム99等は常時ALPSを潜り抜けている。

これらは濃度としてはさほど高くなくとも、100万トンに含まれる絶対量としては多量となる。
敷地外に捨てるいずれの考え方にも反対する意見が圧倒的だったのは当然である。
当初から我々が主張してきたように、 まずは高濃度汚染水の排出をゼロにするためには、凍土壁などのじゃじゃ漏れの糊塗策はやめて、原発の四方に遮水壁を造り、地下水の流入を完全に遮断することが不可欠である。

高濃度汚染水はセメント固化し、第二原発の敷地に建屋を造って保管すること、 そのためには第一から第二まで汚染水移送の配管を敷いて、第二で固化するのも良いであろう。

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◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

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