相双の会66号原発事故被害者「相双の会」会報66号が届きましたので、転載します。

一歩前進
福島地裁判決
原発事故、国の責任・東電の過失認める

10月10日「生業を返せ・地域を返せ」福島原発訴訟福島地裁判決は国の法的責任と東京電力の過失を認め断罪した。

私たち被害者、まっとうな国民からすれば当たり前のことですが、金澤秀樹裁判長には敬意を表したい。
それからすると9月22日の千葉地裁判決は何だったのか、現場検証もせず、被害の実態も分からず、被害者からの尋問を真剣に受け止めていたのでしょうか、納得のいかない判決でした。

被害者救済の件

被告(国・東電)の「年間20ミリSvを下回る被ばくであれば健康リスクは極めて小さい」 「被害は、科学的根拠のない危惧不安のたぐいにすぎない」などの主張について、裁判長は放射性物質による居住地の汚染が、社会通念上受忍すべき限度を超えた平穏生活権侵害となるか否かは「低線量被ばくに関する知見等や社会心理学的知見等を広く参照した上で決するべき」との理由で退けました。

それにしても、国、東電は未曾有の大事故を起こしておきながら「年間 20ミリSvを下回る被ばくであれば健康リスクは極めて小さい」 とは何事でしょう。
それこそ科学的根拠のない事を言っているではないでしょうか。
被害者、国民を人間扱いではなく単なる物としか見ていないような気がします。

『ふるさと喪失慰謝料』認めず

原賠審の中間指針等に基づく賠償対象地域 より広い地域について賠償の対象とし、かつ既払いの賠償金に対する上積みを認めましたが、「ふる里喪失慰謝料」は認めませんでした。

賠償金に対する上積みを認めたと言っても、求めていた水準よりはるかに低く押さえられました。
ふる里喪失は家族、親類、知人友人が二度と元に戻らないほどバラバラにされ生きる望みをなくし、どれだけの人が悩み苦しみ、中には自死してしまった方が多くいる事を知りながら、なんの対策もしていません。
一人では生きてゆけないのです。
地域コミュニティがあって成り立ちます。
原発事故でふる里が喪失してしまった事は紛れもない事実です。

それを認めないとは不当そのものです。
それでも被害者に対する権利侵害を認めて、賠償の対象地域の拡大や賠償水準の上積みを認めた点は、広く者の救済を図るという意味において一歩前進と思います。

私たちの裁判もいわき地裁で 10月11日に結審し、来春3月22日に判決です。
勝利します。
相双の会会長・國分富夫

福島地裁いわき支部・原発避難者訴訟結審

10月11日福島地裁いわき支部において第26回裁判にて結審しました。
弁護士と3人の原告が最終陳述を行いました。

原発事故が起きた翌年、2012年12月3日 第1陣の1次として提訴しました。
その後 2次と併合して1陣として裁判闘争を闘い、 5年10ヶ月が過ぎ、ようやく結審の運びとなりました。

当初は裁判がのらりくらりの進行であり、 一向に進みませんでしたが、2016年新年度から一気に進み前裁判長が拒んできた現場検証も勢力的に行われた。
いわき市の仮設住宅、 広野町、楢葉町、双葉町、浪江町、南相馬小高区、川俣町山木屋地区と三日間行われました。
本人尋問も一世帯を除き全世帯行われてきました。
それぞれの尋問は悲痛な叫びばかりでありました。

裁判長は現場を見、尋問を聴き、被害者救済の判決であることを熱望します。

 

原告3人の最終尋問(要旨)

「割り切れる」くらいなら自死などしない

原発事故によって私たちの住んでいた地域と社会・住んでいた人々の生活と人生の総てが奪われた。
二度と再び元通りになる事は、どう考えてもあり得ません。
ふる里喪失です。

「原発さえなければ」「事故さえなかったら」 この言葉が胸に刺さらない。
これが事故後も変わらない東京電力の正体です。
しかし、心ある人間なら届くはずです。
利潤追求最優先が事故の根本原因であることも明らかにされてきました。
それでも東電は責任を認めず、 私たちが求める償いも「争う」としています。

1971年福島第一原発1号機運転開始直後から、大小さまざまな事故を次々と起こし、 大事故寸前の事故まで隠し、その度に通報遅れを指摘され、その上データーを改ざん・捏造、等々が常態化し悪質化していました。

地 震・津波がなくても大事故がいつ起きても不思議でない状態が40年、これが福島の原発でした。

原発被害者には人生の多くの部分を注いできたもの、長い年月をかけてつくりあげてき たものがあります。
それを瞬時にして無にさせられて、私たちは自分自身の人格まで否定されたようにも思えるのです。
ふる里を失って、残された人生をどう生きていくか、迷いに迷っています。
事故後一時帰宅した時、街の様子を見て唖然としました、全てを投げ捨てて逃げたそのままの街は死の街そのものでした。
牛が、豚が、犬がうろうろしている。
そんな様子をだれが想像出来るでしょうか、 当初は戻る希望があったが数年も過ぎると 薄れてくる。
小高区の自宅周辺は家の解体が進み光景が変わってしまいました。
我が家は ネズミと野生動物で手のつけようもなくなり、 昨年11月に解体しました。
この家は家族全員の思いの詰まったものでしたから複雑です。
賠償で家を建てればいいではないかでは済ま ない、そんなに簡単に割り切れるものであれば自死者まででないでしょう。

被害者が泣き寝入りするような判決は考えられない

原発事故そして放射能の恐怖は、先が見えないのが現実です。
どんなに低い放射線量であってもリスクは線量の増加に比例して増加すると思います。
放射性物質を消す、または0にする科学的方法は持ち得ていませんから、 自然消滅を待つしかありません。

これからも続く生活は、放射能と向き合って生きていかなければならない生涯を考えると、夢も希望もなくなります。

日本は世界で最も多い地震大国であり、台風、大雪と一年中自然災害が加わります。

こんなことは原発建設前から分かっていたはずです。
つまり地震、津波は想定できるものであり、想定外などとは言い切れません。

死のどん底まで追い詰め、責任も取らず想 定外だと逃げ切るなど許されることではない。
司法は被害者を守ってくれるものと信じて提訴したのです。

被害者が泣き寝入りするような判決は考えられません。
当裁判は公正な判断に基づいた 判決であることを信じております。
私たちは、 原発事故による避難生活が人生そのものを破壊してしまった大罪が、正義の司法判断で、 正当な判決が求められることを、心から信じています。

正義の司法判断を求めることが私たちの責任

1年目は無我夢中で、本当に着のみ着のまま逃げた、2年目は不安と葛藤だったと思います。
3年目はそれでも先が見えなく、4年目になったらいい加減にしてほしいぐらい限界を超える。
本当にその心境の中でも生きていかなければならなくて、5年目から今日に至って絶望の中でも、やっぱり生きていかなきゃならないから、何とか食いしばっている、皆さんがそういう状況だと思います。
こんな 惨めな思いをするなんて思いもしませんでし た。これは経験した当事者でなければ理解出 来ないかも知れません。

私たちにとって、未だに避難生活は終了していないと断言いたします。
この先、生活拠点定住の判断ができないことについて、当事者以外の方々が疑問に思ったとしても、当事者である私たちは判断できないのでず。
歳だけはどんどんとっていく、5年先、10年先、20年先、それとも一生帰れないのか、ずっと悶々とした曖味な喪失感の中でいること自体がつらくて仕方ないのです。
決断できない境遇そのものによる苦痛が常にあるのです。

すでに原発事故から 7年目です。
私たちも 事故から 7歳の年を取りました。
結審・判決を見届けることなく亡くなった原告もいます。
裁判官の方々には、もう二度と私たちのような辛く悲しい原発事故避難者をつくらせないことを、すべての電力会社に確実に約束させることができるような正義の司法判断をしていただくことが、せめてもの当事者となってしまった私たちの責任と思い、心からのお願いと信頼をよせるものであります。

 

原告側弁護士の意見陳述(要旨)
―人類の未来を見据えた判決を

「公害裁判は被害に始まり、被害に終わる」と言われます。
被害状況を的確に把握し、 それに相応しい請求、理論構成を成すべきだとの意味です。
本訴提訴前、私たち原告団・弁護団は、本訴原告の内容は如何なるもので、原告にとって如何なる意味をもつものであるのかの点について、議論を何回も重ねました。
結果として、本訴原告の中心的被害はふる里喪失であり、それは原告にとってこれまでの人生の喪失を意味するものであり、この事実に立脚した請求をする事となりました。

ふる里を失った原告住民の苦しみは、筆舌に尽くし難いものがありました。
何人かの原告が「死のうと思った」事を口にしました。
口に出さないまでも、目の中に死の影を漂わせる原告は何人もいました。
原告としても、弁護士としても大変に重い裁判でした。
結審にあたり私たちが裁判官に望むことは、事実を正確に見て、その意味する所を正確に理解して頂きたい。
この一点に尽きます。

本訴は、その中心的被侵害利益として、ふる里喪失を真正面から主張する点に最大の特徴があります。
単に、金額が少ない事に対しのみ疑問を持っているのではありません。
いずれの判決も被害事実を直視する事なく、被害事実の持つ意味を考察することなく、賠償額を決定していることに対して、大きな疑問を感じるのです。
また、原発事故に至る東電の過失の重大性を損害額に反映させていない事についても疑問を感じるのです。
事故による賠償問題は基本的に解決しているとして、福島切り捨てを計る政府が存在します。

本判決によっては、原発推進に拍車をかける事になるか、あるいは歯止めをかける方向になるか、正に分水嶺と言えると思います。
その意味では、全人類の未来を見据えた判決でもあります。原告団・弁護団にとっては、人生を懸けた闘いでした。
裁判所に於かれましては、これらの点に思いを致し、腹を据えた判決を書いて頂きたい。

 

判決は来年3月22日(木)
福島地裁いわき支部
(時間は追って連絡します)

 

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匿名でもけっこうです。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

 

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