原発事故被害者「相双の会」会報65号が届きましたので、転載します。

9.22千葉地裁不当判決を、福島から跳ね返します
相双の会会長 國分富夫

国の責任論は無責任論に過ぎない。
事故が 起きれば国民の生命に関わる事となることを 旧ソ連のチェルノブイリ原発が証明しました。
国は参考にしてこなかったことが重大な責任 だと考えられます。
まして日本は世界で最も 多い災害国であり、過去にこれだけの地震・ 津波があったのです。
毎年のごとく日本は「想定外」に災害が起きているのだから、国を滅ぼしてしまうような原発を国策としてきたそ のものが問題でしょう。

千葉地裁はあまりにも無責任な判決です。
判決には「遅くても平成18年までに敷地高さ O.P.+10mを越える津波が発生し得ることを予見することができたというべきであるが、その予見可能性の程度及び当時の知見からすると、本件事故後と同様の規制措置を講ずべき作為義務が一義的に導かれるとはいえず、また、原告ら主張の各結果回避措置を採ったとしても、本事件を回避できなかった可能性もあり、同年の時点で、同規制権限を行使しなかったことは、許容される限度を免脱して著しく合理性を欠くとは認められず」とあります。
「回避措置」も効果がないなら、そもそも原発建設自体が過失ではないでしょうか。

損害賠償についても、納得できる賠償でなければならない、事故後6年半どんな思いで生きてきたのか分かっているのでしょうか。
千葉地裁は現場検証もしなかったと聴きます。
それで判決を下した。
現場を見ないでどう判断出来るのでしょうか、私たちには考えられ ません。
司法は被害者を救済する機関だと理解していましたが、加害者を擁護する機関だとは思っていませんでした。

このような訳の分からないことは終りにしていただきたい。
公正な判断、判決であってほしいものです。
私たちは 10月11日に福島 地裁いわき支部での最終意見陳述でそのことを精一杯訴える決意です。
何としても来春の 勝利判決を勝ち取ります。

 

とても心配なフレコンバックの保管状態

福島原発被害視察の東京南部バスツアーに参加した T さんが、フレコンバックの保管状態を撮影し、たくさん心配な点をレポートしました。
その一部を紹介します。

浪江町か南相馬小高区かの海辺付近の写真。
フレコンバック(放射性廃棄物の詰まった袋)が長い間雨ざらしにされ、半分以上が地中に埋まっているフレコンバックもあります。
これでは、 二次汚染は確実です。
また、護岸工事中の河口近くにフレコンバック(放射性廃棄物の詰まった袋)が、ここでも長い間雨ざらしにされ地中に埋まっています。
さらに、川岸につまれているフレコンバックは豪雨等によって流出する危険性もあります。
福島県のホームページによると、放射性廃棄物の管理方法は、下図のように①上部シートによって雨水等の進入の防止、②下部シートによる放射性物質の流出の防止等々が行われなければなりません。
余りのズサンさに憤りを覚えました。

 

東京南部・第5回福島原発事故
被害者交流ツアーの感想

 

東京南部地域を中心にとりくまれてきたバスツアー、5回目が 9月 16~17日に行われました。
今年も大型バス 1 台で浪江と南相馬小高区を視察。
原発建設反対運動をしてきた元漁師の志賀勝明さん、小高の長老 92歳の佐々木清明さんからじっくり話を聞き、帰京しました。
たくさんの感想が寄せられました。
そのごく一部の要約を紹介します。

「忘れてはいけない人は忘れ、忘れたい人は忘れられず」という國分美枝子さんの言葉が印象的だ。
國分ご夫婦は会津に避難していた息子一家と隣同士で相馬市に家を建てやっと落ち着いた。
周りに知り合いもいない毎日で一人家に引きこもりがちだったが、幼い孫たちと触れ合いやっと生かされているという。
胸ふさがれる話だ。

相双の会の國分富夫さんは避難解除地区で帰還者したのは高齢者のみ、南相馬小高区内の小学校は4校合併したが、児童数 700名から62名に激減、今年度の入学した1年生は3名、夏休み後になったら何故か51名に減っていた。
小児甲状腺がんは 180 名以上(通常大人のガンといわれ 100万人に一人の確率と言われている)。
膨大な除染作業や相も変らぬ立派な箱ものが次々と建てられ、帰還を強いられている。

南相馬市小高区川房の佐々木清明さんは、 農地5町(40ha)と山林を持ち、園芸農家として一人住まいの原町仮設住宅から毎日車で 自宅へ通い、先祖伝来の土地を手入れしている。
事故前小高の人口 12,800人中この集落は 73世帯 200数十名だったが、現在5世帯 11名でほぼ全員高齢者のみ。
木材は風評被害で経済的打撃が深刻だと述べた。
さらに、行政の街づくり基本計画の杜撰さを指摘し、もはやこの地域再建は不可能という。
町議会議長もしたという 92歳の長老は背筋を伸ばして 2時間以上立ったまま凛とした声で話し続けた。
「やがて消滅する運命」を淡々と受け入れる その姿勢に申し訳ないが何故か納得している自分がいた。

荒れ果てた田畑に山積みされたままの汚染土入りフレコンバックは相変わらず放置状態。
個人ボランティアとして何度も通ってはいたが、6年半たってもアンダーコントロールの真逆状態は変わらぬまま、変われぬままのこの惨状を前に言葉を失う。
情けなさ、怒り、苛立ちの感情に翻弄されながら、同時に、日々の暮らしの中で、東京在住の一人として現地の声を聴き続けることの大切さを再認識した。
N.A(女性 大田)


昼食休憩の南相馬道の駅で出会った近所のおじさんに、どこから来たかと聞かれ、視察ツアーの事を伝えると「いくら避難解除しても、若い人は戻らない。戻れないよ。」「最近はトラックばっかり増えている。復興住宅を5階建てとかで、バンバン建てているけど埋まるとは思えない。なに無駄な事やってんだ かだよ。」と話してくれました。

夕食交流会での漁民の方の、原発事故以前からひとり原発に反対していたため漁業組合から排除され、漁場で事故にあっても助けないと言われたお話しに、「原発容認」の圧力の酷さをまた一つ知りました。
小高の佐々木さんの話も、このとんでもない状況を強いている、無責任な国と東電に心底増々の怒りが湧 きました。
私はたくさんのことはできないけど、1人でも多くの友人知人にこの現実を伝えたいと思います。
N.S(女性 目黒)


今回の企画は、「負けないぞ!原発福島」を実感しました。
裁判のこと、漁師の原発反対に対するしうち、南相馬市の小高を守ろうとしている92歳のおじいさんの話。
お二人の話は私たちだけではなく全国の人達にもぜひ聞いてもらいたいと思いました。
T.T(女性 横浜)


小高の長老が、地域でいかに良い生活を送れるか考えて知恵を尽くしアイデアを出して行動してこられた姿勢に感銘を受けました。
山林経営にしても牧場経営にしても長い年月の積み重ねの結果、成果が出るもので一代や二代では間に合いません。
そのよな営みを原発事故は壊滅させました。
基本計画のないまま小高はこのまま朽ちてゆくのか、小高の姿は日本全国各地にある限界集落の近未来を示していると思いました。
M.K(女性 杉並)


今回は「異色」の漁師の方のお話が印象的でした。
地域は、自分達の利権(莫大な漁業 補償金、地域経済が潤うとか、雇用の場が生 まれるとかいう役得)のために、他の地域と争うことまでして、原発を積極的に呼び込んだということ。
おかげで、今回の大事故によって、このような利益にあずかれない多くの住民にまで多大な損害をもたらしたこと。
そして、地元住民は地域のしがらみにがんじがらめにされているため、本当は不安があっても声を出せない。
そのような束縛のない立場にあるあなた方のようなの力で、なんとか原発を止める方向にもっていってもらいたい、ということでした。
A.I(男性 大田)

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◇メール(國分)kokubunpisu@gmail.com

 

 

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