原発事故被害者「相双の会」会報61号が届きましたので、転載します。

4月29日原発事故による帰還困難区域内 にある福島県浪江町の十万山(じゅうまんやま、標高 448.4m)は 12日間燃え続け、 5月10日午後にようやく鎮火した。
焼失面 積は50ヘクタール以上。
人が立ち入れない区域だけに消火活動も難航した。
自衛隊はヘリによる上空からの消火、地上から消防隊員は防護服と防護マスクを着用し、水タンクを背負い消火活動だ。
放射線量が最も高いところで放射能が拡散される恐れがあるから消防隊員は命がけともいえる。

放射能が含まれたものが燃えれば放射性物質は煙などで拡散、移動すると考えるのは正当ではないだろうか。
チェルノブイリ周辺での森林火災について、セシウムは沸点が低いため、土壌中に固定されていても 森林火災中に一部が揮発し、煙に混入して運ばれると説明されている。
また、これから梅雨の時季になり連日雨が降れば放射性物質を含んだ灰が里の川に流れてくることも考えなければならない。
福島県はホームページで、5月11日に更新するまで「火災現場周辺の環境モニタリングおいても火災の発生前後で空間線量率に変動はなく、林野庁による過去の山火事調査の結果においても、鎮火後に森林から生活圏へ放射性物質が流出する危険性は極めて低いとされており、現在、周辺環境に影響が及んでいる事実は一切ありません」としていた。

しかし、5月9日に福島県が発表したデータでは、周辺の大気浮遊じん(ダスト) の測定結果が、5月8日に、急にそれまでの3倍から9倍程度に上昇している。


セシウム 137は半減期が 30年ですからこれからも何度も山火事が起きると考えなければならない。
山火事ばかりではない。
毎年台風が 30号以上日本を襲う。
その度に放射能が流れ出てくるだろう。
福島の山林と大地に深くしみ込んだ放射能は、いつどういう形で現れ、人を犯すか、予測もつかない。

2012年8月3日より始まり、毎月4回欠かさず実行してきました「幸せの脱原発ウォーキング」も、5月21日で 200回を迎えます。
平均年齢 70歳前後、12人程度の小さいデモですが元気に続いています。

さて、あの 2011年3月の震災・原発事 件から6年の月日が流れました。
明治維新 から150年、戦後70年、水俣病60年、原発が稼働し、1970年大阪万博の開催、経済発展がうたわれ、福祉元年の看板も乱立し、 国鉄民営化はじめ様々な分野で規制緩和が行われ、1989年の消費税導入に踏み込まれます。
私たちの地域や生活は、気付いた時は大きく変えられてしまいました。
元気だった小企業が、自営業者が厳しく、大企業が栄える社会が当たり前の風潮が整備されて行きます。

「学問のすすめ」の著者、1984年から一万円の肖像画に居続ける福沢諭吉はあの 《教育勅語》に感泣したそうです。
彼の本願は「兵を強くして、商売の繁盛する国」を創ることのみにあったようです。

1992年の広告会社電通の「PR戦略十訓」 は次のようなものです。
➊もっと消費させろ ➋捨てさせろ ❸ムダ使いさせろ ❹季節を忘れさせろ ❺贈り物をさせろ ❻コンビネーションで使わせろ ❼きっかけを投じろ ❽流行遅れにさせろ ❾気安く買わせろ ❿混乱をつくり出せ

このPR戦略はまさに現在の日本社会そのものです。
消費を煽りあらゆる分野で混乱をつくり出し、そして人々に不安を意識させ続けています。

原発事故が起き、分かったことと言えば、あまりにも杜撰な社会システムであり、経済成長のためには国民の人権は二の次という社会だということです。
脱原発運動とは単に核発電を止めるという事ではなく、原発のような巨大な支配に組みしない社会でなければならないということです。
原発事故後、それまでの普通の生活が奪われたのです。
まさに人権の問題なのです。

自主避難者の住宅問題支援について、各地で様々な取り組みがなされていますが、きたる6月3日(土)午後2時より米沢・置賜総合センターにて【原発事故避難者を支援する会】が発足し、海渡雄一弁護士の講演会も行われます。
私たち「幸せの脱原発ウォーキング山形」も支援していきたいと思います。
ご協力よろしくお願いします。
クレド サラヤジ(韓国語でそれでも生きていかなくちゃという意味です)、あまりにも理不尽な有様の現実ですが、少しでもいい明日をつくるために前を向いて進んでまいりましょう。

山形においでの節はお寄りください。
手打ちそば「羽前屋」
山形市旅籠町1-18-11
☎023-622-5702
毎月曜定休日

 

 

 


2015年の7月にホームページ「サヨナラ原発けいじばん」を開設し、北海道で行われている脱原発に関するイベント・裁判等の情報提供をしてきました。

福島の事故後まもなくスタートした脱原発の市民団体の記事があり、2012年から始まった 旭川、釧路、札幌、伊達、函館での脱原発抗議行動の情報が並んでいます。
旭川では、毎週金曜日、幟やプラカードを持った市民が、真冬でも、正月元旦でも、黙って 1時間半立ち続けています。
札幌の道庁前行動は、毎週金曜日に参加者がリレースピーチを行う形で行われています。

川原茂雄さんの「原発出前講座」が最近 400回を超え、北星大学教員による「北星・原発問題を考える会」の講演会、北大・家田研究室の 「一緒に考えましょう講座」も続けられています。
それぞれ別の運動ですが、ホームページ上で並ぶと、脱原発を願う人々の営みが、緩やかに繋がっているように見えます。

とはいえ、担い手は年々減少傾向にあり、年齢層も高いことが多く、大変になってきたグループが多いようです。
それでも「もうやめよう」とは言わないのは、原発事故の報道に接して抱いた恐れと怒りと忸怩たる思いが、膨れ上がりこそすれ、なくならないからだと思います。

被害者に対し、東京電力と国が何を行ってきたか。
これだけの不条理に目をつぶり、再び原発を動かしてはならないと思う人が存在するからだと思います。

そのような市民たちのグループが 52団体集まって、5月13日には「泊原発を再稼働させない北海道連絡会」も結成されました。

 

 


いつも情報有難うございます。
読んで涙が出てきます。
ホントにこの国は民主主義国家なのか。
憲法とは何なのか。
考えさせられます。

 

ご無沙汰しております。
去年お世話になりました兵庫県の I 子です
福島の実態、原発のおそろしさを多くの人に 伝えて行かなければいけない、皆に知ってほしいと思いで、2月に加古川、高砂、震災の現状を学ぶ交流会で報告。
毎月3日加古川駅前 で脱原発はりまアクションの行動でビラまき、訴える行動を行っています。
私に出来る事は限られていますが、交流する場を切り開いて行かなくてはと考えています。

 

相双の会58号ありがとうございました。
みなさまの文章が、胸に突き刺さります。
さきほど、また福島で地震がありましたね。
何とか、みなさんが、まともに生きられるよう、祈っています。
(広瀬隆)

 

58号、ありがとうございました。
帰還政策、小池都知事が、福島県知事と並んでにこやかに旗を振っていました。
郷里の山口県で、昨年8月、知事が上関の原発工事再開を認め、10月県議会で促進を勧めました。
しかし、40年前、豊北町の原発予定を住民の反対で中止に持ち込み、これを「県民の誇り」と知らせてくださった郷里の友の声に、感動しました。
上関もこれからこの「県民の誇り」で中止に持ち込んでいただかなくてはなりません。

 

時々、日本は、もう一度、事故がおこらないとわからないのではないか?!
もしかしたら、もう一度起こってもわからないのではないか?!
その根底は最初から責任なんかとるつもりはないのではないか?
被害者も含めた 国民の税金や、電気代上乗せすればいいと考えているのではないか?!
などなど、本当に人間としての、良心、普通の真面目な考え方が、全く欠除してしまっているのではないか?!
と考えざる得ない状況になっているとおもいます。
いつから、こうなったのでしょうか?基本的に前からこうだったのでしょうか?

 

いまだに福島人への苛めがあるという事は 日本人として恥ずべきことである。
こんな人種は子供への教育も出来ないんだろうな。

 

全国に2度と福島の苦しみを体験するところがあってはなりません。
福島の方々に何もできず、心苦しいばかりです。千葉県 O子

 

PDFはこちらから>>