原発被害者相双の会 会報124号が届きましたので、転載いたします。

汚染水は、事故によって原子炉の内部に溶けて固まった燃料(「燃料デブリ」と呼ばれます)を冷却するために水を使うことなどから発生しています。

その水を「放射性物質は除去装置」(ALPS)により処理しますが、放射性物質100%取り除かれるものではなく、特にトリチウムは除去できません。
それにも関わらず海洋放出されるのです。
放射性物質に安全基準などありません。

汚染水が溜まると「復興」の妨げになると、一部の当該自治体は「海洋放出を認める」と言っています。

先人たちが後世のために何代も苦労を重ね開拓してきたおかげで、豊かな山・川・海となり安心して生活できるようになりました。

そこへ原子力発電所建設が計画され、何も知らない地元住民へ原発ができることにより、もっと豊かになると宣伝され、各市町村は諸手を上げて賛成しました。

「原発ほど危険なものはない」と反対運動してきた方々は村八分にされ、それを押し切って建設稼働した責任は重大です。

結果は世界に例のない未曽有の事故となりました。
汚染水は薄めようが薄めまいが海洋放出で汚染が拡散されることに変わりはなく、日本近海だけで収まりません。
長年、原発は「安心・安全」の嘘に惑わされてきたように汚染水の海洋放出を認めてはならない。

対策は多々あるでしょう。
一例を上げれば、パイプラインを敷設して第二原発に送り、タンク貯蔵しても放射能は十分に減衰するまで貯蔵して置けるのではないでしょうか。
タンク貯蔵でなくともセメント固化(モルタル化)貯蔵すれば、永久に海洋放出はしないで済むと思います。

海洋放出した方が安上がりで済むからだと思いますが、人類の命と健康を第一に考えるならば汚染水海洋放出は許されない。

8月 24 日、岸田首相は、最大9基の原発を「国が前面に立って」再稼働させると言明した。
さらに「次世代革新炉の開発・建設」など「年末に具体的な結論を出せるよう検討の加速」を指示した。
また老朽原発 の運転期間延長もする。

福島第 1 原発事故以降、原発の新増設はしないという方針の大転換だ。
ロシアへの経済制裁のために原油や天然ガスなど価格上昇しているからというが本当だろうか。
原発事故から 11 年6ヶ月、各電力会社が電力不足して止まったことがあるだろうか、特に原発事故当時、全原発が停止しても不足はしなかった。

つまり、停止している水力発電を稼働すれば原発に頼らなくても十分間に合うことが証明された。
現在、太陽光発電が大幅に普及していることからすれば、原発事故当時より余裕があると見られる。

長年、政府に裏切られ、信用できないことを体感している多くの避難者・被害者たちは、屁理屈で固めた方針転換に怒っている。
その声の一端を紹介する。

浪江町から会津若松市へ避難を続け、間もなく80歳となる鈴木宏孝さん。

ふる里を一日だって忘れたこともなく夢にまで見ます。
原発事故当時はまだ60代後半であり、何でもやる気十分でした。
大衆食堂を妻と二人で経営し、お客さんに「美味しいね」と言われるのが喜びで楽しい日々を送っていました。

そんな浪江町と人生を奪ったのは原発事故だ。
それが原発事故を忘れたかのような 原発再稼働・新設と私たち被害者を逆なでするような事を平然と言い放っていることを許すわけにはいかない。

浪江町の今

富岡町から福島県中通りの三春町に避難を続けている関根憲一さん

自宅はまだ帰還困難区域のため一時帰宅するときは許可を得なければならない。
それでも俺は懐かしく時間のある限り帰宅している。
被爆しても癌になってもいいからここで生活したい気持ちです。
事故当時はまだ真新しい新築したばかりの家でしたから、原発が憎い、「俺の人生返せ」と叫びたい。

私たちの孫の代までも安泰のはずだった。
それが全て駄目にされた。「自民党っていうのはなんだ」、電力会社の儲けのためには庶民を苦しめるのか、そうでなかったら原発再稼働などと言えないだろうと思います。

富岡町の今

7月22日~23日、脱原発をめざす首長会議の一員として函館市と、高レベル放射性廃棄物最終処分場の候補地として自治体が手を上げた寿都町(すっつちょう)人口2,837 人、神恵内村(かもえないむら)870人の方々と交流してきました。

函館市長工藤さんのお話

「青森の建設中大間原発から函館市は 23㎞と近距離であることと、大間原発は、プルサーマル発電(ウランとプルトニウムの混合酸化物燃料を用いること。プルトニウムの利用効率が低く,高速増殖炉が実用化するまでの過渡的なもの)と最も危険な原発であることから2012 年(平成24 年)に経済産業省、民主党、電源開発へ要望書を提出しました。

①大間原発を無期限凍結すること。

②30 キロ圏内の自治体の同意がなければ大間原発建設の再開をさせない。

ことを要望書提出してきました。

福島原発事故後に市長、議会議長、副議長4会派の議員で福島を訪れ南相馬市長、浪江町長から当時の説明を受け、事故がおきれば周辺の自治体は壊滅的となることを報告され、参加者全員が自覚してきたところです。

住民の命と健康を第一に考え守るのは自治体です。
よって大間原発の無期限凍結を求める訴訟を起こすことを全会一致で可決し、函館市として 2014 年(平成 26 年)に東京地裁に提訴したことを話されました。
(全国初の自治体からの訴訟です)。
「私は反原発でもなく、脱原発でもありません。函館市民の安全を守りたいだけなのです」。

工藤市長の話を聞き、反原発、脱原発と言う前に広島・長崎の原爆投下で 77 年も家族、知人友人の死、そして世代を超えて苦しみ続けてきたこと、11 年前の福島の原発事故後、毎年視察し現実を見てきたが、その被害者は世代を超えて被害は続くことを知りました。

寿都町「最終処分場に反対する会」との意見交換

北海道寿都町(すっつちょう)では 2 年前から最終処分場反対運動を行い、小泉元首相や元高知県知事の橋本さんや神恵内村の講演を頂きながら反対署名 800 を集めたそうです。
文献調査で 20 億円、最終処分場となれば 70 億円が国から入ります。
片岡町長は「文献調査で 20 億円入る。これはビジネス、洋上風力発電事業をおこしたい」と言っています。
昨年の 10 月には町長選挙に反対の立場で立候補したが 1135 対 900 で現職・片岡町長が当選。
しかし、補欠議員選挙では 900対800 で反対する方が当選しました。
町長は「最後は断れるのだから」「住民投票も考えているが、投票率が 50%を割れば開票しない」、と説明している。
町民も「最終処分場とはならない、どうせ来ないのだから」と言う声があるといいます。
しかし私は思います。
国はそんなに甘くないぞ、自民党政権が続く限り命と健康など一かけらも考えていない政権だから。

次に泊り原発の隣村、神恵内村(かもえないむら)でのお話です。
商工会から議会に請願が出され、可決。
最終処分場として村長が国に手を上げましたが、村では反対運動はおきていない。
とのことでした。

感想

今回の視察で思うことは過疎地がどんどん増え町や村をどう守っていく事が出来るのか、北海道ばかりではなく全国の町村で悩んでいます。
そこへ付け込んでプルトニウム半減期2万4千年の放射性物質を最終処分場するなどとは許されないことです。

まずは原発再稼働させない事が先決であり、大企業と推進してきた自民党が全責任を負うべきです。

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