原発被害者相双の会 会報121号が届きましたので、転載いたします。

私は福島県双葉郡富岡町小良ヶ浜で、私を含む家族 7 人で生活していました。
妻、関根八重子、母、関根孝子、息子、典幸、息子の妻、由美、孫、凪流、蒼空 です。

四世代仲良く普通に暮らしていました。
この陳述書の中で、同じく原告となった妻と母の事情や気持ちは、私が代わりに述べます。

尚、私の母、孝子は私たちと一緒にこの裁判の原告に加わっていましたが、2015年10月18日避難中に他界しました。

本当に幸せだった富岡の生活

私の父、典雄は富岡町で生まれ故郷でした。
戦後、母孝子と結婚し、故郷の富岡に戻って農業を始めました。
そして、1948 年2月 10 日に私が生まれ、その後原発事故によりに避難するまで富岡町で暮らしていました。

富岡町第一小学校、第一中学校をへて、農業高校を卒業しました。
私は子供のころから農業を手伝い、高校を卒業後は他の仕事と兼業しながら農業を行ってきました。
農業の主体は稲作でした。
米は出荷していましたが、私がつくった米は、妹や母の兄弟へ毎年送っていました。
皆に大変喜ばれていました。
野菜も作っていましたが、自家用でした。
一時期和牛の繁殖と養豚を20年ほど行っていました。

農業高校卒業ですが、隣町の農業機械販売店に一年ほど勤め、その後地元の郵便局に36年間勤め民営化直前でありましたが 59 歳で早期退職しました。
その後隣町の造園業に勤めました。
また、富岡ガスに勤め、メーター検針の仕事をしていました。

このように兼業農家を続けてきました。
私の周りには同じように兼業農家の方が多く友人も沢山いました。
隣近所は家族のようなものでした。

このように息子も一緒に兼業農家となり子供たちとささやかながら本当に幸せな生活でした。
原発は地域コミュニティ、過去、家族、財産全てを奪ってしまいました。

原告であった母が他界

妻、八重子は私の家から少し離れたところが実家で富岡生まれの富岡育ちです。
学校も富岡で私と同じ境遇です。卒業後は東京の会社に就職していましたが。
私と見合で 23 歳の時結婚しました。

結婚後一年ほど地元の会社に勤めておりましたが、その後は勤めることなく、子育てと農業一筋です。

母、孝子は、神奈川県横浜市出身で、戦後父典雄と結婚期に富岡へ移住し農業に従事していました。
高齢になってきたこともあり自家製の野菜をつくり楽しんでおりましたが、原発事故後 2015 年に亡くなりました。
裁判の原告でありながら判決の結果をみることができませんでした。

想いを込めて新築した自宅だったのに

以前の自宅は私たち家族にとって愛着のある建物でありましたが、雨漏りなどで痛んできましたので一念発起で1999年に自宅を新築しました。
私は自宅新築にこだわり他の新築された家を訪れ見て歩き研究してきました。
ですから思いこだわりの詰まった家です。
また庭園にもこだわりました。

当初、母は以前の家にこだわっていたようですが、徐々に新築自宅を気に入ってきたようなので親孝行できたと満足していました。

フレコンパックに囲まれたわが家

自宅は 3.11 の地震でも何事もなく耐えることができました。
しかし放射線量が高く帰還困難区域となり現在でも居住することはできません。
私の敷地の近くの広大な土地には放射性物質の詰まった汚染土壌などがフレコンパック五段重ねで緑のシートで覆われています。
一時帰宅するたびに否応なし目に入り悲しくなります。

いずれ帰還困難区域が解除されることがあっても息子家族は戻らないとおもいます。
地域住民だって戻ってくるとは限りません。
私や妻は帰りたい気持ちはありますが、判断は難しいです。

孫たちの被ばくが心配

放射性物質は見えない、臭いもしない。
それでも危険だから強制避難、幼い孫たちを含めどれだけ被ばくしているのか計り知れない。
特に孫たちにどれだけ将来に渡って影響があるのか不安でなりません。

そんな変りはてたふる里に先祖の墓がありますが、家族、兄弟姉妹、親類縁者もお参りにも行けなくなってしまいました。
原発が憎い。

自宅の隣り合わせに汚染土壌が山積

是非ご投稿をいただき「声」として会報に載せたいと考えています。
匿名でも結構です。
◇電話 090(2364)3613
◇メール(國分) kokubunpisu@gmail.com

ICRP(国際放射線防護委員会)報告書による
私の放射線防護策案

元原発労働者 白髭幸雄

3.11 福島原発事故から 11 年が経ちます。
この間に国の膨大な予算投入により、除染をはじめ様々な復興事業が展開されてきました。
しかし、放射線防護対策は除染以外には殆ど実施されておらず、それどころか放射線の影響を過小評価して、如何に住民の不安を取り除くかに力点が置かれているのが現状です。

防護のためのガイダンス

2009 年に策定された ICRP(国際放射線防護委員会)の報告書では「緊急時被ばく状況から現在被ばく状況への移行に伴い、合理的に達成可能な限り被ばくを低減することを目指した防護計画へと変更されなければならない」として、原子力事故または放射線緊急事態後に長期汚染地域に居住する人々の防護のためのガイダンスを策定しています。

それによると、長期的戦略として被ばく防護のための数値目標(参考レベル)を立て(1~20mSV/年)それぞれの地域に即した具体的な防護対策を実施することが必要であり、それらは汚染レベルや空間線量率とその時間的な変化にも対応したものでなければならないとされています。

行政責任の明確化

そして、その対策の実施においては行政の責任で被災住民が参加できるように対策・畜産業対策・環境と農産物のモニタリング、非汚染食品の提供・廃棄物の処理・測定のための機器の提供・健康サーベラス・小児の教育・情報の公開などを上げて、それを達成するために、「実用的な放射線防護文化の普及」が必要であると言っています。

また、住民の自主的な環境モニタリング(食品を含む)や、自身の外部被ばく・内部被ばく及び、小児や高齢者の被ばくモニタリングの実施と被ばく低減のためのレベルに応じた生活様式の改善の必要性にまで言及しています。

健康登録制度の確立

さらに、放射線モニタリングと住民の健康サーベランスを継続することは行政の責任であり、健康登録制度の確立を強調しています。
そして、汚染物品の管理として、食品汚染情報の提供や食品以外の物品も対象として、地域住民を慢性的な内部被ばくから防護することを推奨しています。
そして最後に、原子力事故及び放射線緊急事態によって生じる現在被ばく状況における参考数値の設定は、最終的には1mSv/年に近いか等しいレベルにすべきであると結論づけている。

私は以前から、放射線防護活動の重要性を訴えてきましたが、ICRP のこの報告を読んで、その必要性をますます実感しています。

放射線防護の必要性と私の具体案

前項で、ICRP(国際放射線防護委員会) が、2009 年に策定した報告書の要旨をまとめてみましたが、その具体策を私案として以下にまとめました。
この私案は、福島第一原発に30年間従事していた経験に基づいたものです。

1.スクリーニング(放射能測定検査)

体制の整備:

スクリーニング(放射能測定検査)は、汚染区域から非汚染区域へ移動する際に、人・物に対して汚染検査を実施するものですが、自然全体が汚染区域である場合には、スクリーンを繰り返し通過するこ とによって、汚染物質を回収・隔離する必要があります。

現在もスクリーニング場を設けていますが、体裁を整えるだけになっており、実効あるものとするためには、電離則(電離放射線障害防止規則)での作業者の管理区域での退出でも、この基準が用いられています。

現在の緊急時レベル基準 40Bq/㎠を、法律基準である 4Bq/㎠に引き上げることが必要です(最終 0.4Bq/㎠)。

また、スクリーニング場増設と除染施設も併設する必要があります。

土壌汚染が㎡に換算すれば日本では放射性物質セシウム 137 で 4 万㏃/㎡以上汚染された地域は放射線管理区域なのであり、農作物は放射線物質の検査なしに食べてはいけない、と定められています。

2.モニタリング体制(監視、観察、記録すること)の確立

放射線防護の基本はモニタリングです。
①空間線量率・ホットスポットなど ②田畑・山林・公園他の土壌 ③水道水・地下水・河川・ため池・水路などの水④ 食品関係(市場販売品・地物・山菜・キノコ)など定期的・定点的な測定が必要です。

モニタリングは測定所を設置し、専門家による測定講習会を開催し、市民によりモニタリング活動を実施・運営する。
モニタリング結果は集約して公表する。

3.個人被ばく管理と健康管理

ガラスバッジによる個人被ばく線量測定と、内部被ばく測定及び電離健診受診(放射線業務に携わる者、原発事故による放射性物質に汚染された住宅、森林、農地等を除染する業務等に携わる者、除染等の業務に携わる者など)を義務化する(頻度は年2回)。

被ばく線量が高い人については、追跡調査(環境・生活など)を行い、被ばく・健康についての『個人管理手帳』を発行して管理する。

4.放射線防護教育の徹底

放射線リスクを反映した防護テキストを作成し、防護のための生活指導や汚染物質の取り扱いなど、放射線防護教育を定期的に実施する。

5.その他の管理

ホットスポットは積極的に摘出し、注意喚起標示を掲示・除染を実施する。
側溝などは定期的に清掃除染を行う。
山火事や野焼きに対する注意喚起と指導を行う。
スギやヒノキの枯葉などは、行政において回収する。
子供の遊び場や公園・通学路については、ホットスポット調査を定期的に行い、除染を行う。

このような管理を遂行するためには、市に放射線管理(または防護)課を設置して各課横断の管理をする必要性がありますが、国や行政は、ICRP の現存被ばく状況における1~20 ミリ㏜参考レベルの最大値を採用し、自己責任による手抜き防護管理しか実施せず「風評被害」と「心の問題」にすり替えています。

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