原発被害者相双の会 会報116号が届きましたので、転載いたします。

振り返れば悪夢、前を向けば夢を抱く

原発事故により 11 年前、何の指示もなく危険だから避難、何がなんだか分からなく死に物狂いで逃げました。
特に子連れ家族は必死だ。
このような状況になるとは誰一人想像もしていませんでした。
現在80歳以上の方々は戦争により逃げた経験はあるかも知れませんが、家族・地域ぐるみで 逃げるなど経験はありません。
戦争は国と国の殺し合いですから何とも浅はかなことです。
それでも地球上のどかで争い、国民の血の滲む税金を使い戦争の準備をし威嚇し合っています。

原発はどうでしょうか、福島の原発事故でお分かりのように何十年何百年と被害が続くことが明らかです。
人間の造ったものに壊れないものはありません。
例え事故を起こさず廃炉にするにしても後始末は出来ません。
使用済み核燃料はじめ廃棄物を地下何百mに保管したとしても地殻変動が起きれば自然を破壊し生物を死に追いやることになります。

広島・長崎に原爆投下されてから「核と生物は共存できない」と訴え続けてきました。
原発は「安心・安全」、「経済発展と恵み」を与えたでしょうか、現在起きている地球規模の気温上昇は、主に人間活動による化石燃料の使用や森林の減少などにより、大気中の温室効果ガスの濃度の急激な増加が原因と考えられています。
ところが国は「温暖化防止」を口実に、原子力発電所は「CO²を出さない」として、福島第一原発事故の反省もなく原発再稼働を推し進めています。
福島は原発被害県として脱原発を訴え続ける責務があるだろうと思います。
また今年こそ原発避難者訴訟で最高裁における一刻も早い勝利判決を実現したいと思います。

小出 裕章(元 京都大学原子炉実験所助教)

約束を守れない国・東電のロードマップ

フクシマ事故が起きてから、11 年になろうとしている。
「10 年ひと昔」というが、赤ん坊は 小学校高学年になっているし、高齢だった人は次々と死んでいっている。
しかし残念ながら、 事故自体の収束も一向に先が見えないし、被害者たちに負わされた謂われない苦難も一向に軽くなっていない。

国や電力会社は「原発は絶対に安全だ」と ずっと言ってきた。
でも事故から無縁な機械など存在しない。
大きな事故が起きる前に原発を廃絶したいと私は思い続けてきたが、その私の願いはかなえられず、フクシマ事故は起きた。
国と東電は、事故を収束させるための工程表 (ロードマップ)を書き、熔け落ちた炉心(デブリ)は、30 年から 40 年後までには回収し、 福島県外に持ち出すと書いた。
しかし、10 年以 上たった今でもデブリがどこにどのような状態で存在しているのか分からない。
曲がりなりにも分かって来た知識は、当初のロードマップ が願望の上に書かれたものであって、デブリの回収など到底できないことを示している。
その度に、国と東電はロードマップを書き換えてき たが、30 年から 40 年という見通しは頑なに変えない。

汚染水海洋放出は犯罪

原子炉建屋やタービン建屋はもともと放射線管理区域であり、外界とつながってはいけない。
もちろん、それらの建屋は地震によっても 健全性が保たれるはずであった。
でも、事実としてそれらは破壊され、そこに地下水が流入し続けている。
その地下水はデブリに触れること で放射能汚染水となり、いまやその量が 130 万トンになっている。
なすべきことは、原子炉建屋、タービン建屋を放射線管理区域として外界と遮断することなのに、国と東電は凍土遮水壁 など、もともとできもしない作業を続けてきた。
挙句に、どうしようもないので放射能汚染水を 海に棄てると言い出した。
人間に放射能を消す力はない。
また自然にも放射能を消す力はない。
そうであれば、自分に始末が出来ないからと 言って放射能の始末を自然に任せてはいけない。
放射能汚染水を海に流すことは犯罪だし、 その犯罪は今後 50 年にもわたって続けることになる。

「石棺」しかない

デブリの回収もできない。
一刻も早くそれを 認め、デブリを 30 年から 40 年後までに福島県外に持ちだすと言った嘘を謝罪する必要がある。
しかし関係する官僚は 3 年か 4 年経てば移動になってしまい、誰も責任を取らない。
デブリの取り出しは当面不可能で、現時点でできる ことは旧ソ連チェルノブイリ原発事故でやったように、原子炉建屋全体を「石棺」と呼ばれ るような構造物で覆い、閉じ込める以外に方策はない。
でも、チェルノブイリの石棺は 30 年 経ってボロボロになり、さらに巨大な第 2 石棺 で覆われた。
その第 2 石棺の設計寿命は 100 年 と言われる。
その第 2 石棺がボロボロになった時にはどうなるのだろう…。
フクシマ事故も 100 年経ったところで、収束などできない。

「放射線管理区域」に住む

被害者たちの苦難は今後どうなるのだろう?
事故によって噴き出してきた放射性物質により東北地方、関東地方の広大な大地が、 本来の法令を守るなら「放射線管理区域」に指定しなければならない汚染を受けた。
原発事故など起きないし、住民の避難も不要だと言ってきた国は「原子力緊急事態宣言」を発令し、被曝についての法令を反故にした。
「放射線管理区域」とはかつての私がそうであったように、 その仕事をして給料をもらう大人(放射線業務 従事者)だけが入ることを許される場であった。
でも、その私にしても「放射線管理区域」に入れば、水を飲むことも食べ物を食べることも禁じられた。
そこで寝ることも禁じられ、そこに はトイレもない。
しかし、いまでは、その場に普通の人たちが棄てられ、普通の生活をするように仕向けられている。

被曝は危険を伴う。
だからこそ、法令で被曝量に制限をつけた。
普通の人々には 1 年間に 1 ミリシーベルト以上の被曝をさせてはいけないとした。
放射線業務従事者は給料をもらう代償として 1 年間に 20 ミリシーベルトまでは許すとされた。
それなのに今では、放射線感受性 が高く、給料などもらわない子どもたちすら 1 年間に 20 ミリシーベルトまで被曝せよと加害者である国が言う。

人々に被曝を加える主要な放射性核種はセシウム 137 である。
そのセシウム 137 は 100 年経って 10 分の 1 に減る。
しかし、10 分の 1 に減ったところで、本来の日本の法令を守るなら「放射線管理区域」に指定しなければいけない汚染地が数百平方キロメートル残る。

百年たっても解除できない「緊急事態宣言」

事故から 10 年以上たった今も、「原子力緊 急事態宣言」は解除できないまま続いている。
多くの人々はその事実すらすでに忘れさせられている。
でも、100 年経っても「原子力緊急 事態宣言」は解除できない。もちろん私は死んでいる。
フクシマ事故を引き起こした加害者たちも、故郷を追われた被害者たちも全員が死んでいる。
でも、それ以降にもまだまだ被害が続 く。
原発事故とは誠に恐ろしいものだと思う。
そして、それ以上に恐ろしいのは、加害者の誰 一人として責任を取らない無責任社会である。

昨年は1月から9月末まで緊急事態宣言や まん延防止で仕事どころか他県への移動も許されませんでした。
ようやく福島へ行くことが できたのは12月に入ってから。
二本松のふれあいセンターで開催された「第 3 回原発問題研究会」に参加し、翌日は昨年3月放送の SBC「まぼろしのひかり」で紹介された戦後開拓の集落地、双葉郡葛尾村の岩間政金さん(97)宅を訪ねました。
長野県飯田から7歳の時に満蒙開拓団として大陸に。
ソ連軍の侵攻時19歳だった岩間さんは必死に逃げます。
半年後故郷に帰るも居場所はなく葛尾村に。
くじ引きで当たった場所は日当たりがよく米を作り牛を育てて暮らしていたところへ原発事故。
全村避難になり、避難所から二日に一度餌をやりに通ったが牛はみるみる痩せていき‥そして殺処分。
戦争と原発事故、どんなにかお辛かったことか!
その岩間さんの無念さは原発被害者全員の怒りと諦めでもあります。

事故から10年の昨年は、被害の実態を明らかにし、再稼動の愚を訴える節目の年でした。
が、 五輪開催のせいでコロナ感染が爆発し報道はコロナ禍一色。
しかし今年は年明けから明るい兆しがみえてくるような気がします。

そう、裁判です。
これまでの地裁、高裁判決は賠償金には不満があるものの謝罪と責任に 対しては徐々に明確な判断の判決が出てきています。
最高裁の判決が間もなくあります。
民主主義を守る重要な最高裁判決で、謝罪と責任の所在をはっきりさせてもらいましょう。
岩間さん宅の色紙には「何が起きても正直に まっすぐに笑顔で歴史を作ってきた」とありました。
原発被害者も支援者も手を取り合って「正直にまっすぐに笑顔で歴史を作って」行こうではありませんか。

神田香織さん。日本と世界の社会情勢を取りあげた講談を次々と発表しています。震災以前か ら、非戦・原発問題に取り組み、「はだしのゲン」「チェルノブイリの祈り」などを講談にし て語り続け「社会派講談師」として活躍しています。