原発被害者相双の会 会報114号が届きましたので、転載いたします。

東京電力福島第一原発事故からもうすぐ 11 年がたとうとしている。
被害者の私たちはこれからどうなるのかと悩み苦しんでいる。

現在でも地震、台風のたびに原発は大丈夫なのか気になる。
これまでも電力会社は事故・トラブルをひた隠しにした事があった。
この数年、大雨をともなう台風が多い。
また震度 3~4 程度の地震が頻発している。
大きく破損した第 1 原発内でいったい何がおきているのか、外からはわからない。

日本の面積は世界の 0.25%であるのに対し、マグニチュード6以上の地震回数は世界全体の 20.8%を占め、災害被害額も世界の 18.3%と非常に高い比率になっていることは、内閣府の「平成 18 年版防災白書」でも明らかにされている。
こんな日本に原発をつくったこと自体が間違いだった。
あらためて「福島復興」や「帰還」の実態を、多くの方々に知っていただきたい。

泣く泣く住民票を移す

この間、強制避難区域が続々と解除され、政府はいかにも福島の「復興」 が進んでいるように宣伝してきた。
第1原発周辺町村の沿道に観客もいる中

でオリンピック聖火リレーが実施されたのを見て、そう誤解された人もいるだろう。

ところが、避難指示が解除されても、当該地域に住民登録者をしている人の数が減り続けている。

原発事故の被災者の多くは、ふる里に住民票を残したままで、避難先に居住してきた。
避難が長く続くと、避難先が仕事や子育ての場となり、ふる里が戻れる環境になる見通しがつかないため、ふる里から居住地に住民票を移す人が増えている。
だれでも、できることなら戻りたい。
しかし放射能の影響で農業や仕事先など暮らしの条件が整わない。
かといって、先人たちが後世のために苦労して豊かな自然を守り、荒地を開拓してきた田畑を自分の代で捨てるわけにいかない。
思い出の多いふる里だから住民票を移すのは忍びなかったのである。

けれども事故から10 年以上も立ち、亡くなる高齢の方も多く、子供も学校や就職先など避難先で定着し、複雑な気持ちで住民票を移す方が増えている。

住民登録に比べとても少ない「居住者」

住民票を移す人が増えて、被災地域の住民登録者は事故前からは大きく減っている。
東京新聞の調査によれば、それでも 2021 年2月1日現在、住民登録者数に占める避難解除地域の居住者の割合はとても少ない。

葛尾村(2016 年一部を除き避難解除)の居住者は 431 人で住民登録者の 31%。
富岡町(2017 年4月一部を除き解除)は1576 人で同 13%。
楢葉町(2015 年 9 月解除)は 4038 人で同 60%。
飯舘村(2017年 3 月一部を除き解除)は 1482 人で同28%。
浪江町(2017 年3月山側を除き解除)は 1579 人で同9%。
なお浪江町は事故前には2万人超が居住していたので、13 分の1にまで減ってしまった。
大熊町(2019 年4月一部を除き解除)は 283人で同 3%。
双葉町は一部が避難解除されたが、居住できる環境になく居住者はいない。

しかも「居住者」とされる方々は、地元住民の帰還者以外の方が大勢含まれている。
避難指示が解除された楢葉町をはじめ、富岡町、浪江町には、原発の廃炉や“復興”工事、除染関連の 作業員らが多数住み、その人数も含まれる。大熊町には東京電力社員が居住している。

つまり、「復興」の掛け声で「帰還」が推進され、事故前のふる里の賑わいが戻り始めているかのように宣伝されているのは事実ではない。

被災町村居住者の年齢構成からわかること

東京新聞は被災町村ごとの居住者(2020 年)の年齢構成の事故前との比較も調査している。
帰還者に高齢者が多く、子供は少ないから年齢による人口バランスはいびつな形になる。
特に飯舘、浪江、大熊は0~9 歳、10 代は1~2%しかいない。
事故前はいずれも十数%はいた。
避難解除された被災地の町村では小中学校が開校されているが、多くの児童生徒はスクールバス等で通っている。
ただ、高齢者の割合が増えているとはいえ、富岡、楢葉、浪江、大熊では 20 代~50 代も事故前と大差ない割合になっている。
これが農林漁業など地場産業の働き手がもどってきたとは思えない。
正確な統計はないが、これらの町村は、外部からの企業従業員と家族が相当数居住している。
東電作業員が多い大熊町は0~9歳代と10代が1%程度なのに、20 代が3割近くで事故前の3倍近くに増え、30 台も15%近い。
しかし作業員の方々は仕事がなくなればいずれ転居する。
時が進むほどに人口バランスの歪みが加速することは必至だ。

外部からの作業員がほとんど見当たらない飯舘村の年齢構成は対照的で、0歳~50 代までの居住者は事故前を大きく下回っている。

やはり外部からの作業員が見当たらない南相馬市小高区も飯舘村と同じである。
小高区(2016 年7月12 日避難解除)は、原発事故前は子供から高齢者まで比較的バランスのとれた町だった。
事故から 10 年過ぎた現在、住民登録者約 6900 人のうち、実際に居住しているのは半数強の約3800 人。

子供 10%強、働き盛り40%弱、高齢者 50%弱となっている。
居住者は頭打ちとなり減少傾向にある。

ひろがる無残な農地

実質的な住民が減り、高齢化も加速化して農業の担い手が減らされた結果、いたるところに無残な農地が広がる状況になった。

一年でも放置すれば農地はセイタカアワダチソウに覆われる。
数年もすれば、柳などの雑木が繁茂する。
だれしも先人から受け継いだ田畑を荒らしたくはない。

今のところは復興支援として田畑の刈払いをしているので何とか農地の形はとどめているが、遠からず復興支援も終わるだろう。
農地の維持に見切りをつけ、ソーラー業者に土地を貸し、無計画にソーラーが虫食い状に広がっているのが現状だ。
これも原発事故が引き起こした被害の一つである。

ふる里小高地域農業復興組合による刈払作業
農地の活用も出来ないが、このままだと雑木林となってしまうので刈払いをしている。
農地をあきらめソーラーパネルが至る所に設置され増え続けている

除染したから安全か?

原発構内等、核物質をあつかう施設では、一定以上放射性物質に汚染された作業着などは、汚染レベルにより厳格に管理されます。
管理対象となる汚染レベルは100㏃/㎏以上です。

核物質は一度拡散したら元に戻せません。
その間放射線を出し続けるために、核物質を扱う職員は専門教育を受けて厳しい管理をしています。

しかし、私たちは除染をしたから安全と言う事で避難解除されましたが、100 ㏃/kg以下の所など殆どない状態です。
長泥地区を除き、2017 年3月に避難解除された飯舘村内の汚染状況は以下の通り。
・除染済み 33 カ所(村面積の 16%)の汚染状況 10,744 ㏃/kg
・未除染 13 か所(村面積の 84%)の汚染状況 42,667 ㏃/kg
・内、長泥地区(未除染) 47,709 ㏃/kg
元気づける言葉もなく

人影のない地域にポツンとあった真新しい平屋建ての家の広場へ駐車したところ、突然おばちゃんが「誰だ、何か用事あんのか」と声かけて来た。
「写真撮りに来たんだ」と言うと「ここらには誰もいねー上がってお茶でも飲んでいけ」と人懐っこくはなす。

お茶をいただいて話を聞くと、原発事故前は牧場と田んぼを耕作していたという。
牧場は大変であったが生活は十二分にできた。
夫は身体が弱く入退院してたが、原発事故後に亡くなり続いて息子も亡くなってしまった。
原発がなかったらこんなことにならなかった。
事故後は精神的に疲れ果てた。
娘がいたが避難して千葉の方へ行った。

一時は娘の所へ同居したが、ふる里を忘れられなく、それに娘家族に迷惑かけられないと思い、避難解除してから帰ってきた。
娘は「大丈夫か」と電話くれるが寂しい。
時々は近くの人が避難先から帰ってくるようだが、また帰ってしまうので話す機会がない。
最近転んで身体が思うように動けない。等々延々と話す。

何とか元気つけたいと思うが言葉がなく「また来るから元気で居てください」と言い残して帰ってきた。
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