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相双の会 会報70号

相双の会 会報70号

原発事故被害者「相双の会」会報70号が届きましたので、転載します。

7年たっても「原子力非常事態宣言」解除されず

1月19日飯舘村へ視察に行ってきました。
曇り空で今にも雪が舞い落ちそうな天気でした。
1月6日の東京新聞に福島県内での国の除染事業で、防水用の内袋を閉じていない手抜き除染袋(フレコンバック)が大量に見つかった問題が掲載されていたこともあり、飯舘村比曽地区を重点に見て回りました。
原発事故から6年過ぎた昨年3月31日に帰還困難区域を除き避難指示が解除されてから9ヶ月になりますが、人一人見かけませんでした。

フレコンバックは至る所に緑のシートでかぶせてありました。
こんな風景は双葉地方、相馬地方では7年も過ぎると当たり前に感じられています。

被災地域は今なお「原子力緊急事態宣言」の下にあります。
「原子力緊急事態宣言」は被害者・国民の安全を確保するための宣言であると思われて当然でした。
しかし、そうではなかった。
強制避難させられ、ふる里を奪われ、生活を根こそぎ破壊された。
「特別措置法」 は緊急事態などに際して現行の法制度では対応できない場合に対処する目的で制定される法律です。
「大規模地震対策特別措置法」「テロ対策特別措置法」などがありますが、「原子力緊急事態宣言」で被害者住民には全く不利な「特措法」がつくられました。
そして命に関わる被ばくは世界的常識からすれば年1ミリSvなのに、「緊急事態」だからと 20ミリSvまで引き上げそれ以下は安全であると、7年も強弁し続けています。

「原子力緊急事態宣言」で加害者である国と東電を擁護する「特別措置」を山ほどつくり従来の法律をないがしろにしているのです。
こうなると「原子力緊急事態宣言」は解除できないでしょう。
解除すれば従来の法律に戻らなければならないからです。

 

手に余る手抜き「除染」

国と東電は「放射能を理解すれば何も恐くない。年100ミリSv被ばくでも健康に異常はない」 などと科学的根拠のない事を言い出しています。
チェルノブイリ原発事故から 32 年過ぎても根本的な解決はできていません。
福島原発事故から7年、これで大丈夫、安全ですなどと言えるでしょうか、除染したフレコンバックは「仮置き場3年、中間貯蔵施設へ30年それから最終処分場へ移す」と政府は言いますが、すでに仮置き場へ山積みのまま7年です。

また除染した地域を再々度除染しなければならないように、いくらやっても拭いきれません。
こんなことは当初から予測されていました。

避難指示されて住民が居ない中で除染作業されたのですから、作業現場は誰も見ていません。
春先であればすぐ草がボウボウとなり分からなくなる。
そんな中で除染は終わりましたという。
手抜きかどうかは一寸見ただけでは分かりません。
たとえば田んぼの除染は、 5cm削って5cm客土する事になっているが、 その後誰も計っていません。
二枚の田んぼを計ってみたら、一枚の田んぼは5cm以上の客土でしたが、もう一枚は3cmでした。
当然放射線量は高いのは当たり前で、2cmの差はとんでもなく大きいわけです。
手抜きで終了後の点検がされていないのです。

 

原発つくって儲け、事故で儲け…

決定的なのは先行検査がやられていない事です。
除染に飯舘村が何千億円かかったか分かりませんが、民間の事業なら一億二億の仕事を頼むとなれば「仕様書」があって条件と 作業手順が明記され、終わった時点で「仕様書」通り終わっているかどうか点検する。
それが一切やられていません。

国直轄の事業以外は自治体が主体で除染しています。
福島市は避難していないので住民が作業を日常見て、線量も計って基準以上だと住民が指摘します。

だから「再除染」となる。福島市だと側溝をしょっちゅう開けて作業をしていますが、強制避難区域は国直轄事業ですが監視の目がありません。
「除染は終わった」と言うので持ち主が見に来たら、浄化槽をスッポリ掘り起こしたのではなく、浄化槽の上に砂を5cmかけてそれで終わったとしている。
さらに、その辺の川にゴミを流して手抜きしている感じ。

人件費は国の予算書では一人当たり 46300円、作業者本人に渡るのは 15000円、その大半はゼネコンがピンハネしています。
二次請け・三次請け四次請け、その間に3万円抜かれています。
それだけで国民の税金を使いゼネコンがどれだけ儲かったかです。

自分が当事者になってよく分かりました。
原発つくって儲け、事故起こして処理で儲けてます。
事故で犠牲になるのは地域住民であり、国民です。

原発被害者相双の会会長・國分富夫

 

国は何も指示せず、
住民高濃度汚染地帯にもどる

福島第一原発から放出されたセシウムの蓄積量は事故直後の4月29日時点で山木屋地域は 100万~3000万ベクレルという高濃度でした。
放射能は浪江町方面から山木屋の国道114号線に沿って山木屋を汚染した。
3月12日から次々と爆発した後の国道114号線は車で溢れ、ガス欠で車を放置していく人もいた。
何も持たず着の身着のままの姿での逃避行は、パニックそのものでした。

当時山木屋には避難指示が何もないので、 浜通りからの避難者に対して支援する人もいたし、仕方なく農作業を続けているものもいた。

しかし爆発が何度も繰り返され身の危険を感じて山木屋住民の7割くらいが各地に一旦は避難した。
しかし、3月15日になって山木屋に再び電気が通るようになり、国の避難指示が何もないので、一時避難した住民の大半が山木屋に戻ってきた。
家畜の世話も必要だったし、農作業もあったから。

私は町議員として県などに対し一生懸命情報を求めたが、避難に関する情報や指示は何も出されなかった。
川俣町が住民説明会を3月18日に初めて開いたが、役に立つ情報は何もなかった。

 

2011年4月6日に小中入学式まで実施

平成23年度の山木屋小学校・中学校の入学 式が4月6日に予定どおり行われた。
入学式などやっている場合ではないだろうと意見を議会では述べたが、川俣町当局は国から何の指示もないということで、予定通り行われ、 小学生65人、中学生24人の生徒と、父兄が参加した。
入学式の前日の4月5日時点の山木屋地区放射線量は山木屋の行政区長会が観測した。
山木屋の中心街で10.19 Svμ 、小学校で6.60と高濃度放射線量が記録されている。
行政区長会はこのデータをもとに町当局と折衝し早期避難が必要ではないかと言ったが、 町当局は国の避難指示がないと、取り合わなかった。

避難に関する国の最初の説明会は4月16日が初めて。
内閣官房副長官ら副大臣3名が来て山木屋を「計画的避難区域」にいずれ指定すると説明された。
その時点ではまだ、何日付けで指定するという具体的な話はなかった。
事故から1か月以上も放置されて、国から何の情報も指示も出なかったことに対し住民の怒りが示された。

 

長期間の被ばくで健康不安

4月22日付けで「計画的避難区域」に指定されたが、簡単に避難できなかった。
4月、5月という時期は農家にとって一番大切な時期。
葉タバコや米に限らず穀類・野菜の種蒔きや植え付けをする時期。
これを逃したら農業はできない。
みんな必死になって農作業をしていた。
「計画的避難区域」というのは1カ月以内に避難するのが望ましいという程度のものとしか聞いていなかったので、大切な農作業を優先させた。
賠償も補償も制度として何も決まらない中では大切な農作業を諦めることはできなかった。
住民の大部分が避難したのは6~7月頃になった。
住民は放射能高濃度汚染の中の山木屋に3~4か月間も留まっていたことになります。
皆被ばくを受けている。ホールボディカウンターの検査を受けた人の結果としては数値が高くなっている。

最近山木屋の住民の間で放射能被ばくの影響ではないかという事態が起こっている。
山木屋では 40、50代でも心筋梗塞を発症して亡くなる人が相次いでいる。
福島原発事故の初期被ばくの影響と思って不安になっている人が多い。
山木屋では今まで経験したことがなかった。

原爆症患者は心筋梗塞の罹患率が高いという統計数字があるので、山木屋住民の間で不安感を持つものは多い。

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